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第5話 元気な娘 ~邪竜ティアマトの落とし子~
フリードリヒは現世でも週休二日制と決めている。
5日間冒険をした後は、1日は商会に顔を出し、最後の1日はフリーだ。
フリーの日は、技術開発や魔導書の研究をすることもあるし、商会の影響で発展していく町の様子をぶらぶらと見て歩くのも好きだ。
その日も町を見物しようと歩いていた。
ある建築現場に差し掛かったその時、後ろから鋭い風切り音がしたのでとっさにしゃがんで避けた。
「あっ。ごめんなさ~~~い」間の抜けた謝罪の声が聞こえる。
(なんだ。本気で謝る気があるのか?)と突っ込みたいところをこらえる。
声がした方を見て、フリードリヒは驚愕した。
フリードリヒと同じ年頃の少女が大黒柱にでもなりそうな太くて長い木材を3本も担いでいた。
(あの怪力。本当に人族か?)とフリードリヒは驚愕した。
「本当にすいやせん」
大工の親方と思しき人物が声を掛けてきた。
「あれでも悪気があってやったわけじゃないもんで。許してやってくだせえ」
「こっちも被害にあった訳ではないから、これ以上は拘らないが…」
「そう言っていただけると助かりやす」
その後、その日はいつもどおり町をぶらぶらとして過ごした。
翌週。町を歩いていると後ろからぶつかってくる人の気配があったので、素早く横に避けた。
「痛った~~~い」ぶつかってきた人物は石畳につんのめってしまったようだ。
「あっ。お前は」
「えっと~。どなた様でしたっけ?」
「覚えてないのか!」
「先週柱をぶつけそうになった…」
「ああ。あの人っ。すごい反射神経でしたよね」
「そういう問題ではないだろう。本当に先週といい今日といい、おてんばにも程があるぞ」
「てへっ。ごめんなさ~~~い」
「だから。その間の抜けた謝り方はやめろ!」
「え~~~っ。一応ちゃんと謝ってるつもりなんだけど…」
「は~。もういい。で、今日は何なんだ。そんなに急いで。急用だったんじゃないのか?」
「いや~。仕事をサボってたらお父ちゃんに見つかっちゃって…。怒られそうになったから逃げていたの。でももう振り切ったから大丈夫」
「そういうことなら、もう問題はないな。じゃあ」
「ええっ。待ってよ。あたし今日はもう暇だからさ。どこかに連れていってよ」
「なぜ私が?」
「ええっ。いいじゃない。いいじゃない」甘えた声で懇願してくる。
「今日、私は町の店舗を視察するのだ。勝手について来る分には構わないが…つまらないぞ」
「ちょっと甘かったかな」と内心思う。
「うん。ついてく」うれしそうにニコニコしている。
よく見るとちょっと可愛い。少し目じりが下がりめで、美人というよりは、可愛いい系だ。
フリードリヒは町の店舗の品揃えや客の入りなどをチェックしていく。
少女は横に並んで、ふんふんと頷いたり、「なるほど」と呟いたりしている。
(お前。ほんとにわかっとんのか!)と疑問に思うフリードリヒ。
「楽しいか?」
「うん。男の人とこうやって町を歩くのは初めてなの。楽しいよ。あっ。そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。あたしはタラサ。あなたは?」
「私はフリードリヒだ。タラサとはいい名前だな。」
「そうなの。意味がわからなくて…。お父ちゃんに聞いても、お母ちゃんが付けた名前だからわからないっていうの」
「ギリシャ語で海という意味だな」
「へえー。そうなんだ。海みたいにおっきな人間になれってことかな。あなたって物知りね」
「そうでもないさ。常識だ」
「ねえねえ。フリードリヒさん」
「フリードでいい」
「じゃあフリードさん。お腹すいてない?」
「そういえば、そろそろ昼食の時間だな」
「あたし前から行きたかったお店があるの。連れていって。お願い」
「しょうがないな…」
いつの間にかタラサのペースに引きずり込まれている。
早めの時間だったので、お店に着くとすぐに席に座れた。
「あっ。すみませ~~~ん」
店員を呼ぶと、タラサはものすごい勢いで注文していく。
「これと、これと、これと…それからこれも。あとパンは特盛でお願いしま~す」
「じゃあ。私はこれで」
店員は若干不審そうな顔をしているが、タラサは気づいていないようだ。
「そんなに食べられるのか?」
「あたし体を動かす仕事をしているからお腹がすくの」
(そういう問題の量じゃないだろ。大食い選手権に出られるぞ)と突っ込みたいがこらえる。
タラサは出てきた料理を片っ端から無心に食べ続けている。まるで戦場のようだ。
(ヴェロニアより食べるやつは始めてだ)と驚嘆する。
フリードリヒは感心して見入ってしまった。
一段落して、タラサはフリードリヒの視線に気づき「あっ。ごめんなさ~~~い。あたしばっかり…」と謝る。
「気にする必要はない。ゆっくり味わって食べるといい。それが料理人に対する礼儀というものだ」
「ふ~~~ん。そんなこと始めて言われたよ。だって、現場で食べる昼食は早い者勝ちだから…。でもわかったよ」
ペースは落ちたがまだ早い。そこはそういう環境で育ったということなのだろう。
食べ終わると「ふ~~~っ。満足。満足」とおっさんのようなセリフを吐いた。
(まったく。色気のない…)と内心思うフリードリヒ。
午後。行く当てもないので、店舗の視察を続ける。タラサは相変わらず、午前と同じ調子でついて来る。
(本当にこんなので楽しいのかな?)と疑問に思う。
日も傾いてきたので、家路につく前にタラサを家まで送っていくことにした。このまま別れたらどこへ跳んでいくか心配になったからだ。
家へ着くと家の前で父親が待っていた。これは想定外だ。
男連れで帰ってきた娘を見て「タ、タラサ。色気のない娘と心配していたが…こんなに早くお前に春が来るなんて。大きくなったんだなぁ」と感動してうっすら涙ぐんでいる。
(いえいえ。お父さん。それ大きな誤解ですから)と思うが突っ込みがたい。
「えへっ。お父ちゃん。こちらはフリードリヒさん。今日いろいろお世話になったんだ」
「フリードリヒです。どうも…」
「えっ。フリードリヒって、もしかしてご領主様のところの?」
「ああ」
父親は少し顔色を曇らせた。例の噂が気になったのだろう。フリードリヒという魔性の男が次々と少女を毒牙にかけているというあれだ。
「これはお見逸れいたしやした。娘が何か失礼を働きやせんでしたか?」
「いや。問題ない。ところで親方。私とタラサは親方が思うような関係ではないぞ。そもそも今日知り合ったばかりだ。日も暮れてきて心配だったので家まで送ったまで」
「それはご丁寧に。ありがとうごぜえやした」
「では。今日はこれで」
「あっ。今日はありがとう。またねー!」
(タラサよ。またねとはどういう了見だ)と考えても深刻になるだけだからスルーしよう。
◆
翌日曜日は急ぎの技術開発があったので外出しなかった。
そして更に翌日曜日。町へ向かうと。
「ど~~~ん。タラサちゃん参上~っ」
タラサが勢い良く腕にしがみついてきた。
待っていたのか?もしかして先週は待ちぼうけを食わせてしまったとか…。
(って、なぜ私が負い目を感じなければならない!)とフリードリヒはセルフ突っ込みを入れる。
「タラサよ。仕事はどうした?」
「お父ちゃんに頼んで、休みは日曜日に入れてもらうことにしたんだー」
「なぜ?」
「えっ。そりは………。とにかく、今日もどこかへ連れていってよ」
今日、本当は商会へ顔を出したかったのだが、女連れでは行けない。また、騒ぎになってしまう。
さて、どうするか…。
「どこかって、お前はどこへ行きたいんだ」
「フリードさんが連れて行ってくれるなら、どこでもいいよ」
「どこでも」って、男に対して警戒感なさすぎ。心配になるよ。
「とりあえず、あてもないから歩こうか」
そのまま町をぶらつく。
「そういえば、お前何歳なんだ」
「10歳だよ。フリードさんは?」
「同じだ」
「えーっ。絶対年上だと思ってた。背も高いし、しゃべり方も大人だし…。でも、まあいいや。気にしな~い」
その日は結局何をするでもなく、町をぶらぶらし、タラサを家まで送って家路についた。
約束をした訳ではないので、その後は、毎週末をタラサのために空けるでもなく、自然体で過ごしたが、日曜日に町へ出れば必ずタラサにつかまった。
約束をすればいいのにとも思うのだが、タラサがそれを言い出すことはなかった。
待つのが好きなのか?よくわからない。
そんなある日曜日。ローザに請われて服を新調するので見立てて欲しいと頼まれた。断る理由もないので引き受けたが、日曜日とあって、タラサのことが一瞬頭を過った。
町へ出るとローザが慣れた感じで腕を組んできた。
ふと視線を感じてそちらを向くと、タラサが凄い形相で睨んでいた。
木の実を頬張るリスのように頬を膨らませている。もちろん本人は大真面目なのだろうが、なんだか可愛らしい。
「ぷっ」と吹き出しそうになるのをこらえていたら、ローザが様子を察して「あなた。どうかしたの?」と尋ねてくるので、「いや。なんでもない」と答える。
悪いがここはスルーさせてもらおう。
──だって、タラサと俺は客観的に見ればただの友達関係じゃないか。まだ…。
翌日曜日。罪滅ぼしという訳ではないが、町へ出かけてみる。
「ど~~~ん。タラサちゃん参上~っ」
いつもの調子でタラサが勢い良く腕にしがみついてきた。
とりあえずローザのことは口にしないでおく。タラサの方も先週のことを非難するつもりはないようだった。
(一応まだ友達関係っている自覚はあるのかな?)と思うフリードリヒ。
いつもどおり町をぶらつくが、今日は心なしか甘え方が激しい。体をベタベタと密着させてくる。
(おい俺の腕に胸が当たってるぞ。たいして大きくもない胸が)と注意しようとも思ったが、口にするのもちょっと恥ずかしいのでやめておく。
「あたしねぇ。小さいころに絵本で読んだ眠り姫のお話が大好きでぇ、ずっと憧れてるの。悪い魔法使いがあたしを眠らせてぇ、それを王子様がチューして助けてくれるの。素敵でしょ」
「ああ」どうリアクションすればいいのか悩む。
そういうして歩いているうちに、タラサはアクセサリーを売っている店の前で立ち止まった。
「ねえ。これ見ていっていい?」
「もちろん」
フリードリヒは「色気がないとは思っていたが、こういう女の子っぽいところもあったのだな」と少し見直す。
タラサは真剣に品定めをしていたが、目が留まった。薄いピンク色の花型の髪留めをじっと見つめている。タラサの赤みがかった髪に同系統のピンクは似合いそうだ。落ち着いた色合いなので、黙っていればどこかのお嬢様のように見えるかもしれない。
「それが欲しいのか?」
「あ!いや別に…」
「おやじ。これをくれ」
「あいよ。大銅貨3枚ね」
(高っ!ふっかけやがったなこいつ。たいして手の込んだ細工でもない。大銅貨1枚がいいとこだろ)と思うが、ここで値切って雰囲気を壊すのも憚られたので、ここは折れておく。大銅貨1枚は前世の千円くらいの感覚だ。
「ありがとーっ」
「着けてあげるよ」
タラサは少し照れているのか、うつむき気味にしてじっとしている。フリードリヒは髪留めを付けてあげる。前世の姉妹たちにもやってあげていたので、慣れたものだ。
「思ったとおり似合うじゃないか。どこかのお嬢様みたいだ」
「お姫様じゃなくて?」
「お姫様はどちらかというとティアラかな。だが、庶民が町中でティアラを着けていたら目立つぞ」
「うん。フリードさんが買ってくれたこれがいい」
2人は歩き出す。
「ねえ。王子様とお姫様ってどういう感じで歩くのかな? 手をつないだりする?」
「腕を組むのが自然だろうね。王子様がエスコートして、お姫様が寄り添う感じかな」
「素敵。ねえねえ。やってみて」
「えっ」フリードリヒは少しためらう。
「ねえー。ねえー。いいじゃない」
「しょうがないな。ベタベタひっつくんじゃないぞ。お下品になるからな」フリードリヒは押し切られ、仕方なく左腕を差し出す。
「うん。わかった」
タラサはそっとフリードリヒの左腕につかまるが、なんだか様になっていない。
「もうちょっと。手は添えるだけというか…」
「こ、こうかな」
今一つだが、クオリティに拘る意味がわからないので、ここでやめておく。
「いいんじゃないか…」
しばらく歩くとタラサは徐々にすり寄ってきて、結局頭をフリードリヒの肩に頭を預けてきた。注意しようかとも思ったが、幸せそうな顔をしているので、そのままにしておいた。
その日、タラサは上機嫌で家に帰っていった。
◆
そして一月ほど経ったある日曜日。
「ど~~~ん。タラサちゃん参上~っ」
また、いつもの調子でタラサが勢い良く腕にしがみついてきた。
「お前なあ。もうちょっとお淑やかにできないのか」
「ええーっ。いいじゃない。これがタラサちゃんぽくって」
「…………」
いつもどおり町をぶらぶらして、昼食。
これまた見事な食べっぷりだ。
フリードリヒもつられて少し食べ過ぎてしまった。
「少し食べ過ぎたな。公園ででも食休みするか」
「公園。いいね。いいね」
公園に行くと草地が広がっていた。もちろん、現代のような立派な芝地などではないが。
フリードリヒは靴も靴下も脱ぎ、裸足で地面を踏みしめる。
「あーっ。いけないんだーっ」
「お前が言うな。たまには、こういうのもいいだろ」
「うん。じゃあ私も」
タラサも裸足になって草地をピョンピョン跳ね回っている。形のいい指をした素足が少しなまめかしく感じられ、ちょっとだけドキリとした。
「ひんやりして気持ちがいいだろ」
「うん」
フリードリヒはそのまま仰向けで寝転がる。
「あーっ。私もーっ」
「こうやって空の白い雲をボーッと眺めていると気持ちが和らいでくるだろう。」
「そうかな」
「少しは落ち着け!」
「はーい」
しばらくソワソワしていたタラサも、少し経つと落ち着いてきた。
「あ。なんとなく…。わ…か……る」声がフェードアウトしていくので、様子をうかがうと…。
──寝るの早っ!
しかし、寝顔も可愛らしいな。この無防備さがたまらない…。
──って、俺は何を考えているんだ!
でも、ちょっとだけ…。
タラサの唇に触れるか触れないかの軽いキスをする。
「チュッ」
次の瞬間。タラサが目をカッと見開いた。
いつものタラサの目ではない。何か化け物でも乗り移ったかのような恐ろしい目をしている。
体もガクガクと痙攣しだした。
「なんだ。癲癇の発作か何かか?」と驚くフリードリヒ。
フリードリヒはタラサの体をギュッと抱きしめ、声をかける。
「おい!タラサ! しっかりしろ!」
しばらくして発作らしきものは収まったが、体が異常に熱い。すごい熱だ。
とにかくタラサの家へ行こう。
フリードリヒはタラサをお姫様だっこすると、早足でタラサの家へ向かった。
まだ昼過ぎだったが、タラサの家へ着くと、幸い親方は在宅していた。
「親方。たいへんだ! タラサが…」
「フリードリヒ様。いったいどうしやした?」
「公園で寝ていたらタラサが突然痙攣しだして…。とにかく、凄い熱だ。熱を下げなくては。すぐに水と手ぬぐいを用意してくれ。タラサの部屋はどこだ?」
「そこの階段を上がった突き当りです」
「わかった」
フリードリヒはタラサをベッドに横たえると額に手を当ててみた。さっきよりは少し下がったようだ。だが依然としてかなりの熱だ。
程なくして親方がやってきた。
「もってめえりやした」
フリードリヒは手ぬぐいを水に浸すと、絞り、タラサの額に当てた。
「頼むから下がってくれよ」
フリードリヒは額の手ぬぐいを何度となく取替え続けた。親方も心配そうにしている。
夕刻になって、ようやくタラサの意識が戻った。
「うーーーん。あれっ。あたし、どうして家にいるの?」
「公園で寝ていたら突然痙攣しだして…。とにかく、凄い熱だったんだぞ。心配させるな」
「えへへっ。ごめんなさ~~~い」
「とにかく、もう熱も下がったようだし、俺は…」
「ちょっと待って」
タラサはフリードリヒの手をとると、頬に当てた。
「フリードさんの手。冷たくて気持ちいい。もう少しこのままでいさせて…」
そのままタラサが寝入るまで付き合ってあげた。
「親方。私は帰るぞ」親方に声をかける。
「たいしたもんもありやせんが、夕飯でも食っていってくだせえ」
親方なりに気遣ってくれているのだろうか。聞きたいこともあるし…。
「ああ。ごちそうになる」
男2人の食卓は少し気まずい雰囲気だった。
「タラサは以前にもこういうことがあったのか?」
「いや。初めてでやす」
「そうか」
癲癇の発作ならば今回が初めてということはまずない。それにいつ発作が起こるかわからないのでは、大工仕事など危なくてやらせられない。では、いったい何だというのだ…。
「では、ごちそうになった」
フリードリヒはそのまま中途半端な気持ちで家路についた。
◆
タラサが倒れたことも忘れかけたころ。
フリードリヒが黒の森にパーティーメンバーとともに狩にでかけた帰り道。誰かが倒れていた。
「おいタラサ。しっかりしろ!」
かなり出血していたようで、服が血にまみれている。しかし、不思議なことに傷はもうふさがっているようだ。
周りに十数体ほどの大型の狼の死体が散らばっていた。おそらく戦闘になったのだろう。
手首に触れ、脈をとってみると鼓動はあるが弱い。呼吸も微かだ。
「おい。タラサ起きろ!」
フリードリヒはタラサの体をゆすったり、頬を軽くたたいて刺激を与える。が、目を覚まさない。
「あのう。主様。この方は…」
ネライダに問われる。
「知り合いの大工の親方の娘でな。タラサだ」
「それにしても、こんなところで1人で何してやがったんだ」とヴェロニア。
「ああ。まったく」
タラサに全く起きる様子はなく、フリードリヒは焦った。
そんなときタラサの声が聞こえた気がした。
『王子様がキスしてくれたら起きるかも…』
そんなバカな。あの時の二の舞になったら…。しかし、他に解決策も思いつかない。
フリードリヒは意を決し、タラサにキスをした。
「旦那ぁ!」「主様!」パーティーメンバーはフリードリヒの意味不明な行動に驚愕したようだ。
フリードリヒは気にせずキスを続ける。
次の瞬間。タラサが目をカッと見開いた。
タラサの目ではない。あの恐ろしい目をしている。体もガクガクと痙攣しだした。
「くっ。失敗だったか…」
タラサの体が膨らみ始め、服をびりびりに切り裂き、なおも膨らみ続けている。
そして………。
そこには邪悪そうな竜の姿があった。タラサは竜に変化してしまったのだ。
体はさほど大きくない。エルダーには届かないだろう。
竜は正気を失っているらしく、炎のブレスをそこらじゅうに放っている。森が燃え上がり始めた。
メンバーは回避行動をとるので精一杯のようだ。
「やむを得ん」
フリードリヒは時空魔法で空中に瞬間的に足場を作り、反復横跳びの要領で空中に駆け上がると、竜の首にすがりついた。
延髄の部分に掌底を食らわせ、気を内部に打ち込む。
「効いてくれ」
竜は一瞬硬直していたが、次の瞬間、昏倒して地面に激しく倒れ込んだ。
すると竜の体は縮み始め、タラサの姿に戻って行く。当然、全裸だ。
フリードリヒはマントを外し、タラサの体に掛ける。
そしてメンバーにタラサのことを頼むと、森の消火へ向かった。
終わってメンバーのところへ戻る。
「主様。いろいろおできになったのですね。さすがです」とネライダ。
「旦那ぁ。まだ隠してんじゃねえのか」とヴェロニア。
「まあ、このくらいできて当然ですわ」とローザ。
とそれぞれの反応。彼女たちらしい。
その時、タラサが「う~ん」と呻くと目を覚ました。
「あれっ。あたし、どうしたの…」
自分の全裸マント姿に当惑したようだ。
「細かいことは後にして。とにかくタラサの家へ行こう」
「あれっ? フリードさん?」
「ああ」フリードリヒは仮面を外す。
「やっぱり」
「さあ。親方が心配しているぞ」
「うん」
フリードリヒがタラサをお姫様抱っこすると「大丈夫だよ~。自分で歩けるよ~」と抵抗していたが、しばらくすると諦めておとなしくなった。
後ろからローザが「ずるいですわ」と呟いている声が聞こえる。
タラサの家へ着くと、親方が家の前で心配して待っていた。
マントにくるまれお姫様抱っこされている姿に驚いている。
タラサはフリードリヒの腕から降りると「お父ちゃん。大丈夫だよ。何でもないから」と一言。
親方は「タラサ!また突然いなくなりやがって」と怒っていたが、「早く着替えてこい」と部屋へ送りだした。
親方は「フリードリヒ様。いってえ何が?」と問うてくる。
「タラサが黒の森で倒れていてな。助けたのだが…」
「黒の森に?」
「とにかくこっちへ来てくれ」
フリードリヒは親方の腕を引っ張り、人気のないところへ連れていく。
「親方はタラサに人外の血が混じっていることを知っていたのか?」
「えっ。それはいってえ…」
「黒の森でタラサが竜に変化したのだ」
「まさかっ!」
「幸い元に戻すことはできたのだが…」
わかりやした。フリードリヒ様にはすべてを打ち明けたほうがよさそうでやすな」
そう言うと過去のいきさつを語ってくれた。
ことは10年前、バーデン=バーデンの町が異国の邪竜ティアマトに襲われた事件に端を発する。
ティアマトは町を破壊した後、黒の森の魔獣たちに襲い掛かった。しかし、黒の森で激しい戦闘の気配がした後、姿が見えなくなった。
領主であるフリードリヒの祖父は、確認のため領軍を黒の森に向かわせた。親方はその時領軍に徴発され、黒の森に入ったが、運悪く軍とはぐれてしまったらしい。
そして、森を彷徨ううちに傷ついた女を発見した。
親方は森を迷いながらも女をかつぎ、家までたどり着き看病した。
幸い、女は回復した。女は名をマーレという以外に一切の素性を語らなかったという。
マーレは神々しいまでに美しい女性で、2人は恋に落ち、そしてタラサが生まれた。
ある時、親方はマーレが夜中にこっそりと外出していることに気づいた。
後を付けていくとマーレは黒の森に行き、竜に変化すると、魔獣を食らい始めた。人間としての食事では体を維持できなかったのだろう。
竜の正体はあのティアマトだった。
親方はあまりの衝撃に悲鳴を上げてしまい、竜に気づかれた。
竜はマーレの姿に戻ると、正体がバレたからには親方を殺さねばならないところだが、情が移った。この上はタラサも置いていくから面倒を見てくれと言って去っていった。
以上が事の顛末ということだった。
「タラサはティアマトの娘だったということか」
それならば、あの姿も納得がいく。
「フリードリヒ様。このことはぜひご内密に…」
「ああ。わかっている」
竜に覚醒するのは、おそらく寝ていてタラサの意識が失われている間にキスされたときだ。
タラサは本能的にそれを自覚していて眠り姫のことを夢見ていたのだろう。
とにかくこの件は、これ以上手のほどこしようがない。タラサのことは、このまま秘しておくしかないだろう。
◆
あたしはタラサ。大工の親方ヨーゼフの一人娘だ。お母ちゃんはあたしが小さい頃に行方不明になってしまったらしい。
男手ひとつで育てられ。男ばかりの大工の社会に囲まれた育ったあたしは、周りからおてんばな娘と言われ、お父ちゃんにも、「このままでは嫁に行けないぞ」といつも叱られていた。
でも、こんなあたしにも春が来た。
あたしは、フリードさんと友達?…になった。
フリードさんは、とってもハンサムで、やさしくて…話し方はちょっとぶっきらぼうだけど…とにかく王子様みたいな人だ。
あたしは眠り姫のお話が大好きで、王子様に憧れていたので、いっぺんに好きになった。
本当はこちらからきちんとデートに誘いたいのだけれど、恥ずかしくてできない。こんなにおてんばなあたしなのに!
いつしか、毎週日曜日、フリードさんを待ち伏せすることが習慣になった。
フリードさんは毎週来るわけではないけれど、今か今かとドキドキしながら待つのも悪くない。なんだか慣れちゃった。
ある日。仕事に出かける途中ある冒険者一行とすれ違った。
「あれっ。フリードさん?」
仮面を付けていて顔はよくわからないけれど、あれはフリードさんだ。
きれいな女の人を3人も連れている。
「もう、フリードさんったら…」
あたしはふくれっ面になってしまった。
そういえば、フリードさんから冒険の話なんて聞いたことがないけれど、冒険をしているフリードさんはカッコいいに違いない。ぜひ見てみたい。
気がつくと、仕事のことも忘れ、あたしはフリードさんのことを付けていた。
フリードさんたちは、黒の森に入っていった。私も続いたが森を歩き慣れていないあたしは、すぐにはぐれてしまった。
「こんなことなら付いて来るんじゃなかった~」
森の出口を探していると、大きな狼の群と遭遇した。
狼たちはあたしを威嚇して唸っている。
あたしは恐怖で足が震えて動けない。
群れの一頭が襲い掛かってきた。
無我夢中で拳を振るうとなんとか当たったらしく、狼は悲鳴を上げた。
しかし、反撃はそこまで。
狼たちは前後左右から次々と襲い掛かり、あたしの腕や背中を切り裂いていく。傷が焼け付くように痛い。
あたしは無我夢中で拳を振るい続け、いつしか力尽きて倒れてしまった。
周りも静かになったようだけれど倒せたのかしら。でもまだ怖い。
『フリードさん。助けて…』
あたしは意識を失った。
次に目覚めたとき、私は全裸でマントに包まれていた。ちょっと驚いたが目の前にフリードさんがいた。
「あれっ? フリードさん?」
「ああ」フリードさんは仮面を外す。
「やっぱり」
「さあ。親方が心配しているぞ」
「うん」
フリードさんはあたしをお姫様抱っこで家まで送ってくれた。ちょっと恥ずかしかったけれど、まあいっか。
それからもフリードさんとの関係は続いているが、全く進展はない。
やっぱりこちらが積極的にならないとダメなの?フリードさんったら…。
◆
あの事件があってからもタラサとの関係は相変わらず続いている。友達なのか恋人なのかよくわからない関係が…。でも、そんなぬるま湯の関係も悪くはない。
タラサは自分の正体に全く気付いていないようだ。秘密も周りには漏れていない。
女性の成人年齢は12歳。タラサもあと2年で結婚可能になる。もし結婚して寝ている間にキスされたら…。その惨劇を考えると恐ろしい。
(やはり俺が面倒をみるしかないのか…)とフリードリヒは考え込んでしまう。
結局、何の決断もできないままフリードリヒは12歳を迎えた。
タラサとの関係は全く進展がない。
その夏。
「お前に話しておかなければならないことがある」
「えっ。なーに?」
タラサは不思議そうな顔をしている。
「私は、秋になったらアウクスブルグにある学校に通う」
「アウクスブルグって?」
「シュバーベン大公国の首都だな」
「ここから遠いの?」
「歩いて1週間から10日といったところか。そんなに遠くはない」
タラサはうつむいて青い顔をしている。
「ま、まあ、バーデン=バーデンの町は実家だからな。ちょくちょく帰ってくるさ。その時はまた会おう」
「うん」声に力がない。
その後何回かタラサと会ったが、表情が明るくなることはなかった。
なんだか後味の悪い別れ方になってしまったな…。
◆
秋になった。
フリードリヒは今日からアウクスブルグの学校に通い始める。
まずは第1印象が大事だ。人付き合いの苦手なフリードリヒとしては、気合を入れねばならない。
フリードリヒは校門に向けて歩きだした。その時。
後ろから鋭い風切り音がしたのでとっさにしゃがんで避けた。
「あっ。ごめんなさ~~~い」間の抜けた謝罪の声が聞こえる。
えっ。この間の抜けた声は…。
振り向くとタラサが大黒柱を5本ばかり担いでいた。
(追いかけてきたのかよ。女の情念、恐るべし…)と驚くフリードリヒ。しかも、何気に5本にグレードアップしているし…。
さて。これからどうしたものか…。
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