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第43話 皇帝のイタリア侵攻 ~シチリア防衛~
「陛下。ピンチなんじゃない?」
皇帝のお気に入りの愛妾であるクララ・エシケーは何ごとでもないかのように言った。
オットーⅣ世はその物言いにかえって腹を立てる。
「わかっておる!」
物怖じもせず、クララは続ける。
「ドイツがだめならイタリアなんていいんじゃない? 商業も盛んだし豊かな土地よ。
どうせ教皇との約束なんて始めから守るつもりもないんでしょ」
確かに一理ある。それにイタリア南部の両シチリア王はホーエンシュタウフェン家のフリードリヒⅡ世が兼ねている。ここを奪えれば…
「うむ。そうだな…それもありだな」
オットーⅣ世のこの決断により、政治情勢は一気に動き出す。
◆
ホーエンシュタウフェン家との闘争が帝国北部、すなわち現在のドイツで旗色が悪くなったとみると、オットーⅣ世はイタリアに矛先を向けて教皇領に侵攻することにした。
教皇イノケンティウスⅢ世は、オットーⅣ世の戴冠に際し、イタリアにおける領有権やドイツの司教叙任に関して多大な要求をし、オットーⅣ世はそれを了承していたが、彼にはそれを守る意思など毛頭なかったのだ。
侵攻の結果、2つの町から教皇の軍隊が追放され、帝国の領地として編入された。
さらに、オットーはローマに進軍し、インノケンティウスⅢ世にウォルムス協約の取り消しと聖職者の叙任権の付与を要求した。
ウォルムス協約は、聖職者の叙任闘争を解決し、「叙任権は教会にあり、皇帝は世俗の権威のみを与える」ことを内容とし、神聖帝国皇帝ハインリヒⅤ世とローマ教皇カリストゥスⅡ世の間で結ばれた政教条約である。
「あの大ぼら吹きの大男め! わしの力を見せつけてやる!」
侵攻に激怒した教皇インケンティウスⅢ世はオットーⅣ世を破門し、帝国の反乱を扇動した。
しかし、彼は構わず、さらにシチリア征服を企てていた。イタリア半島南部及びシチリア島を版図とする両シチリア王国の王はフリードリヒⅡ世が兼ねており、その勢力を削ぐことを狙ったのである。
これを受けて、ホーエンシュタウフェン家近衛騎士団の第5・第6騎士団はシチリア防衛を援助するため、派兵を命じられた。
◆
「今度はシチリアくんだりかよ。面倒くさいな」
ヴェロニアがぼやいている。
「決して『くんだり』ではないぞ。イタリアからみれば、ドイツの方がよっぽど『くんだり』だ」
この時代、世界を俯瞰すると、中東や東アジアの方で文明が進んでおり、ヨーロッパはイタリアを玄関として文明が入ってきているのが実情だった。
そういう意味では、イタリアはヨーロッパの中の文明先進国だったのである。
「旦那も細けえこと言うなあ。ただ遠いって言うことさ」
ヴェロニアは半ば呆れている。
「世界の広さに比べたらヨーロッパの中の移動など些細なことだ」
「世界って…何言ってんだよ。旦那ぁ…」
ヴェロニアはフリードリヒの常識というものを疑ってしまったようだ。
確かに、この時代はアフリカの奥地も開発されていないし、新大陸も未発見だ。それに交通手段も未発達だし、世界スケールで物事を考えることなど夢のまた夢というのが実情だろう。
フリードリヒはこの世界の常識を改めて実感した。
「いや。気にするな。何年もかかる旅ではなく、たかだか2週間くらいという意味だ」
「十分長げえじゃねえか!」
「それは見解の相違だな」
確かにヴェロニアのような短気な者にしてみれば長いのだろう。
2週間後。予定通り、両シチリア王国の防衛拠点に到着した。
シチリア軍を驚かせないよう今回はダークナイトは召喚しない予定である。
「ホーエンシュタウフェン家からの援軍だ。門を開けてくれ!」
フリードリヒはイタリア語で叫んだ。
門が開き、大柄な男が護衛を連れて出てくる。いかにもラテン系な感じの面構えだ。シチリア軍の指揮官だろうか?
「おまえが指揮官なのか?」
「そうだ」
「こんな若造が使い物になるのかねえ。それに他の面子も若造だし、女までいるじゃないか」
どうやら一目で信用されなかったようだ。せめてマスクをしておくんだったか…
「強いかどうかは戦いぶりを見てもらえばわかる。憶測で物を言わないでもらいたい」
「はい。はい。わかかりましたよ。 で、名前は?」
どうやら若者の強がりと思われたらしい。
「フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンだ」
「俺はアメリゴ・サントゥニオーネだ。シチリア軍の指揮官をやってる」
「よろしくお願いする」
「援軍ということだが、シチリア軍の指揮下に入ってもらう。それはあらかじめ承知しておいてくれ」
「了解した」
翌日。第5騎士団が到着した。
前団長の死去に伴い、第5騎士団長は副官のモーリッツ・フォン・リーシックが繰り上がっていた。
こちらの方はそれなりに信用された様子だ。
人を外見で判断するとはつまらない。
数日後。ヴェルフ家の軍がやってきた。
相手はバイエルン公国・シュバーベン公国の従士たちである。シチリア軍と違い、同士討ちとあっては、なかなか帝国軍の戦意は高揚しない。
ヴェルフ軍はシチリア軍の立てこもる砦にまずは矢を射かけてきた。
シチリア軍も矢で応戦している。
まだ緒戦ということもあってか、第6騎士団に声はかからない。
そのうちに敵は据え置き式の大型弩砲であるバリスタや平衡錘投石機であるトレビュシェットを持ち出してきた。
フリードリヒはたまらず指揮官に伺いを立てる。
「指揮官殿。ペガサス騎兵を出しましょうか?」
「なにっ? そんなものが役に立つのか? まあいないよりはましだ。勝手にしろ」
「では、そうさせてもらいます」
指揮官はペガサス騎兵の威力を全く知らないらしい。無理もないが…
「ネライダ。ペガサス騎兵を出せ。バリスタとトレビュシェットを操作しているやつらを集中的に狙うんだ!」
「主様。わかりました」
ネライダはペガサス騎兵を連れて素早く出陣していく。こういうことを予想して、準備万端、待機していたのだ。
型どおり、まずは炸裂弾を投下する。破裂して爆風及び破片を飛び散らせることによって高い殺傷能力を持つ砲弾である。
「今だ。投下!」
ネライダの号令で炸裂弾が投下された。
激しい爆発音に人も馬も驚き、特に馬は制御を失って走り去っていくものも多い。
投下位置に近かった者は爆風や破片を浴びて血まみれになって助けを求めている。
「続けて弓放て! バリスタとトレビュシェットを狙え!」
上空から打ち下ろす矢の雨が敵を襲う。
これを避けようと上に盾を構えると、今度は砦から横向きの矢がやって来る。これを同時に防ぐことはできない。
下から弓を打ち上げて反撃を試みる者もいるが、重力に逆らって打ってもペガサス騎兵には届かない。
逆にペガサス騎兵が打ち下ろす矢は、重力によって加速されその威力を増している。
みるみるうちに敵の負傷者が増えていく。
そのうち、ヴェルフ軍は万事休すとばかりに撤退を始めた
撤退後には多くのバリスタとトレビュシェットが置き去りになっている。
シチリア軍はこれを直ちに鹵獲すると砦に運び込んだ。
攻城兵器がなければヴェルフ軍もそう簡単には砦を落とせないはずだ。
事実、その後は散発的に攻めてはきたものの、砦を攻めあぐねている様子だった。
数か月後。
ヴェルフ家の軍が帝国に向かったとの連絡があった。
「結局、戦闘らしい戦闘は初日だけでしたね」
ネライダが言った。
「ああ。ネライダの活躍のおかげだ。よくやった」
フリードリヒは素直に労いの言葉をかける。
「そ、そんな真正面から褒められると照れてしまいます…」
とネライダは頬を赤く染めてもじもじしている。
そんなネライダをかわいく思ってしまうフリードリヒだった。
シチリア軍指揮官のサントゥニオーネは、ペガサス騎兵のことをしきりに褒めた後、「こんな強い軍隊を持つシュバーベン公には逆らわない方が身のためだな」と感想を漏らした。
──強いのはペガサス騎兵だけじゃないんだけどね。
◆
イタリアにおける抗争の間も教皇側から交渉の申出があったが、オットーⅣ世は妥協を示さなかったため、インノケンティウスⅢ世は反ヴェルフ派の諸侯に新たなローマ王の選出を認める。
ドイツ諸侯は、北方で勢力を拡大するデーン人に対応せずにイタリアに注力する皇帝に不信を持っていた。
教皇とフランス王フィリップⅡ世の支持を受けて、諸侯はニュルンベルクでオットーの廃位とフリードリヒⅡ世をローマ王=皇帝に選出することを決定する。
フリードリヒⅡ世はフランスからの援助を受け、諸侯に対しては特許状を発行して支持を集めて吝嗇な性格のオットーに対抗した。
オットーⅣ世は窮地から脱するため、イタリアから帰国することにする。
しかし、イタリアから帰国して間もなく、ホーエンシュタウフェン家から輿入れしていたベアトリクスが亡くなったため、ホーエンシュタウフェン派を含めた諸侯の大半がフリードリヒⅡ世を支持することになった。
その後、フランクフルトでフランス王フィリップⅡ世と教皇の使者が見届ける中で、フリードリヒⅡ世は改めてローマ王=皇帝に選出され、マインツで戴冠した。
これによりオットーⅣ世は更に追い込まれることとなったのである。
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