第54話 側室と愛妾(1) ~グレーテルとベアトリス~

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第54話 側室と愛妾(1) ~グレーテルとベアトリス~

 正妻が決まったとなれば女子連中は今までのようなモラトリアム状態では納得しないだろう。  まずは側室の問題がある。  側室については、世間体(せけんてい)もあるから、それなりに身分のある者でないと難しい。  そうすると候補は二人。  マインツ大司教の娘のベアトリスと騎士爵ではあるがショーダー家のグレーテルだ。  ヘルミーネについては、この()に及んでも出自を明らかにしないのでどうしようもない。     ◆  まずは、簡単な方から片付けよう。  グレーテルの直系親族は全て亡くなっているから根回しの必要がない。本人の承諾だけだ。  フリードリヒはグレーテルを訪ねた。 「今度正妻を迎えるに当たり、グレーテル。君を側室に迎えたい。いいね」 「私みたいな年上のあてがい女でよろしいのですか?」  グレーテルは24歳。中世の常識はともかく、フリードリヒの感覚からすれば女ざかりである。否やはあろうはずもない。 「年齢については、私としては全く問題がない。  君にはずいぶんと長い間お世話になっているし、特に娘のブリュンヒルデとガラティアを育ててもらっている件については、心から感謝しているのだ。  それを形で示したい」 「フリードリヒ様がそうおっしゃってくださるのであれば、私に異存はありませんわ」  心なしかグレーテルの顔が軽く上気している。言葉には出さないが、騎士爵の娘が身分違いの伯爵の側室となるとあって感慨深いのだろう。  抱き寄せると、グレーテルはフリードリヒの胸に顔を(うず)めた。優しく髪を()でてあげる。  そのまましばし無言で抱き合った。 「ヤーコブは許してくれるだろうか?」 「私から言って聞かせますわ」  グレーテルの長男であるヤーコブは9歳になった。  もう小さい子供ではないから、フリードリヒとグレーテルの関係にも気づいていることだろう。  グレーテルはヤーコブを呼ぶと結婚のことを話した。 「ヤーコブ。お母さんね。フリードリヒ様と結婚することになったの」 「えっ。そうなの!」 「喜んでくれるわよね」 「う、うん」  ヤーコブは突然のことに当惑している。返事も生返事だ。 「フリードリヒ様のことは今度からお父さんと呼ぶのよ」 「えーっ…わかったよ」  だが、ヤーコブは釈然としない顔をしている。 「まあ突然のことだから無理にとは言わないさ」  血もつながっていないし、歳も7歳しか違わない。フリードリヒとしては呼び方を強制するつもりはなかった。  だが、数日後…  ヤーコブが「お父さん」と言って抱きついてきた。 「剣術道場でね。白銀のアレクがお父さんなんてカッケーて言われちゃった」  ヤーコブはホクホク顔である。(まだ子供なんだな)とフリードリヒは思った。しかし、いじめられたとかじゃなくて良かった。  だが、これには裏があった。  妹のルイーゼが白銀のアレクの冒険譚(ぼうけんたん)の第2弾を出版したらしい。アウクスブルクの町では、再びアレクの物語の読み聞かせがブームとなっていた。  ──これはうかつにアレクの恰好(かっこう)で町を歩けないな…     ◆  さあ。問題はベアトリスをどうするかだ。  こちらから言わなくとも側室の件はむこうから押し込んでくるに決まっている。  ならば先手必勝でこちらから話を切りだそう。  フリードリヒはベアトリスの部屋をノックした。 「どうぞ」という声が聞こえたのでフリードリヒは部屋に入る。 「フリードリヒ様の方から来ていただけるなんて珍しい」 「今日は話があってきたんだ」 「話?」 「ベアトリス。今度正妻を迎えるに当たり、君を側室に迎えたい。正妻にできなくてすまない」 「…………」  ベアトリスは(うつむ)いたまま返事がない。 「やっと…このときが来たのですね」  目が涙ぐんでいる。  フリードリヒは何かひどく悪いことをした気分になってしまった。  ベアトリスをそっと抱きしめる。  しばしの間、2人とも言葉が出ないまま、互いの温もりを確かめ合った。  そしてベアトリスの気分が落ち着いたと思われたころ 「ずいぶんと待たせてしまったみたいだね」 「本当ですよ。6年ですよ。6年!」 「それは出会ってからの年数だろう。君はその頃から結婚するつもりだったのか?」 「あ、当たり前じゃないですか!」  ベアトリスは恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。  と言いつつ、じゃあ自分はいつからだと言われると答えられない。明確に意識していなかっただけで、自分も最初からかもしれない…  そこで気持ちを切り替える。 「それはともかく、君の両親に許可をもらわなければならない。  君は出奔(しゅっぽん)してから一度も家に帰っていないのだろう。全く連絡はとっていなかったのか?」 「実は母とはたまに手紙で連絡をとっていました。でも父はそのことは知りません。  父に知られると強引に連れ戻されるだろうということで秘密にしていたのです」  ──そうだろうな。ブリュンヒルデやガラティアがそうなったら俺でもそうする。 「君の父上の説得が大問題だな。だが、策を(ろう)してもしょうがない。真正面から誠意を持ってお願いするだけだ」 「そうですね…」  司教座に先触れの知らせを出し、1週間後。ベアトリスを連れてマインツの町へ向かう。  司教座に着く前。ベアトリスの母親とは町の中央公園で待ち合わせをしていた。  30代の女ざかりと思われる女性が教会の人間と思われる付き人とともに待っていた。目元がベアトリスにそっくりだ。間違いない。 「お母さま…」 「ベアトリス…なのね」  ベアトリスは母親の胸に勢いよく飛び込むと抱きついた。 「まあまあ。はしたないですよ。それにしても美人さんになっちゃって…」  二人とも涙ぐんでいる。6年越しの感動の再会だ。無理もない。  落ち着いた頃を見計らって、フリードリヒは挨拶(あいさつ)をする。 「初めまして。私、フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンと申します。この度は突然の申し出で申し訳ございません」 「あなたがツェーリンゲン卿ね。なんていい男なのかしら。私もあと10歳若ければ…」 「お母さま! フリードリヒ様は私のものですからね」  ベアトリスが鬼の形相(ぎょうそう)(にら)みつけている。 「冗談よ。あんな熱々な手紙を何通も読ませられる身にもなってちょうだい。これはその意趣返(いしゅがえ)しよ」 「もう。フリードリヒ様の前でそんなこと言わないで」  ベアトリスは真っ赤になって照れている。 「ところで大司教は今日のご機嫌はいかがですか?」 「朝からムスッとしちゃってたいへんよ。覚悟しておいてね」 「わかりました」  それから司教座に向かった。  司教座の前ではベアトリスにゆかりのあると思われる者たちが待っていた。それに走り寄るベアトリス。 「お嬢様。ご健勝そうでなによりです」 「皆も心配かけたわね」  ベアトリスは皆と手を取り合って再会を喜んでいる。  とにかく問題を先送りにしても解決にはならない。  早速、大司教の部屋へ案内してもらう。  ドアをノックすると「入れ」という横柄な声が聞こえた。  扉を開けてベアトリスを先頭に中に入る。 「お父様…」 「べ、ベアトリスなのか…大きく、美人になって…」  感動のあまり、それ以上は言葉がでない。  大司教が手を広げると、ベアトリスはその中に飛び込んだ。  しばらくして落ち着くと大司教はフリードリヒに威圧するような視線を向けると言った。 「それにしてもこんな悪い虫を付けて帰ってくるとは感心しないな」  戦争を何度も(くぐ)り抜けてきたフリードリヒにとって、この程度の威圧はなんともない。  これを無視して挨拶をする。 「大司教。初めまして。私、フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンと申します。シュバーベン近衛第6騎士団長とホルシュタイン伯を兼ねております」 「そのくらい知っておるわ。教会の情報力を()めるなよ」 「これは恐れ入ります。この(たび)はベアトリス嬢との結婚を許可いただきたく、まかり越しました」 「娘を6年間もかどわかした犯人が何を言う!」 「お父様。それは違うわ。私は自分の意思でフリードリヒ様に付いていったのよ」  ベアトリスが必死に言い訳をする。 「わかっておるわ。言ってみただけだ。暗黒騎士団(ドンクレリッター)に逆らえる者などこの帝国内にはおらぬわ」  大司教は吐き捨てるようにそう言うとソッポを向いてしまった。  いちおうこれは大司教なりの肯定と解釈してよさそうだ。 「ありがとうございます。広い御心(みこころ)に感謝いたします」 「そのかわりに式は絶対にここで挙げるのだぞ。これだけは譲れんからな」 「承知いたしました」  元々フリードリヒはお願いするつもりだったので、手間が省けた。
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