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ー序章 試衛館ー
安政二年(一八五五年)
ここは江戸、市谷甲良屋敷(いちがやこうらやしき)にある試衛館(しえいかん)という名の小さな道場。
「宗次郎(そうじろう)、今日からここに入門する鐐(りょう)だ。兄弟子として面倒をみてやりなさい」
道場主の天然理心流(てんねんりしんりゅう)三代目、近藤周助(こんどうしゅうすけ)とその養子である勝太(かつた)は一人の弟子を連れてきた。
少し斜めにうつ向いたその子は、袴を履いているが女の子らしい。武家の子だと見受けられる綺麗な身なりで、実際その子を連れて来た父は伊庭秀業(いばひでなり)と言って練武館(れんぶかん)という大きな道場の八代目だった。
なんでこんな子が内弟子なんだ、と宗次郎は不思議に思っていた。
「鐐、この子は沖田(おきた)宗次郎。十四歳で君の二つ上だ。宗次郎は強いぞ! この前は何と白河藩の指南役と試合をして勝利したんだ。宗次郎に付いてしっかりと修行するといい。君もきっと強くなる」
勝太は宗次郎を紹介した。
同じ年頃で、同じように内弟子になるといっても宗次郎の両親は亡くなっている。姉に連れられてここに来た宗次郎は、自身の事を口減らしの、いらない子だと卑下しており、そんな経緯もあってか、父と一緒に来たその子を受け入れ難く思ったのであった。
とは言え、宗次郎より八歳年上の、師と仰ぐ勝太の指示を無視することは出来ない。
宗次郎は、鐐を部屋まで案内するよう言いつけた勝太に渋々従った。
試衛館は田舎道場で、出入りしている五、六十人の門弟達のほとんどが百姓や豪商、また武士といっても貧乏御家人ばかり。
亡くなった宗次郎の父もまた最下級武士の足軽であった。
一方、錬武館は今や江戸で最も栄えている玄武館(げんぶかん)、練兵館(れんぺいかん)、士学館(しがくかん)に並ぶ大道場。城に出仕している者も多いという。
そんな所からやってきたのだ。毛色が違うし何よりこの子は女の子。何故こんな小さな道場に内弟子として来たのか、如何にも訳ありだ。
あまり関わりたくはない。鐐への第一印象だった。
しかし、思ったことは何でもそのまま口に出してしまう性格の宗次郎。彼は自分の疑問を直球にぶつけた。
「ねぇ、君はどうして男の子の格好をしているの?」
「えっ、えっと、父上が……」
「どうしてここに来たの?」
「あっ、あの、父上に……」
目を泳がせ、歯切れの悪い受け答えをするその子。
宗次郎は苛立ちを覚えた。
父の庇護のもと自分の意思を持たない他律的な奴。裕福な武家の子どもなんてそんなものか。やはりこいつとは合いそうにない。さっさと案内したら道場で素振りでもしよう。
「君の部屋はここ。隣は僕だけどこっちには入って来ないでよ」
これ以上干渉しないことを決めた宗次郎は、そう言って鐐を部屋に置き去りにして行ってしまった。
この日から宗次郎と鐐の生活が始まった。
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