ー第二章ー

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万延という元号が一年も経たずに改元された文久一年(一八六一年)。  天然理心流三代目、近藤周助は名を周斎(しゅうさい)と改め隠居していた。  四代目を襲名した勝太は近藤勇(こんどういさみ)と改名し、試衛館には数人の客分が住み着いていた。  仙台藩を脱藩して江戸に来た山南敬助(さんなんけいすけ)は二十九歳。北辰一刀流の使い手で、四代目近藤との立ち合いに敗れて以降、近藤の腕前や人柄に感服し門人となった。近藤もまた、一つ年上の博識で温厚な人柄の山南を敬っているようで、年長であるのに驕(おご)ることなく、達観して仏のような彼は、鐐や総司にとって日頃の心得を学ぶ良き師となった。  伊予松山出身、種田流槍術の原田左之助(はらださのすけ)は二十二歳。人情に厚く、義理堅い熱血漢だが喧嘩っ早いところがある。奉公人として武家に出仕していた時には、若党に「腹を切る作法も知らぬ下司(げす)」と罵られ、本当に腹を切って見せたらしい。幸い傷は浅く命に別状はなかったそうなのが、この気短な男は酒を飲む度「俺の腹は金物の味を知ってるんだぜ」等と言って、その一文字に残った傷を見せびらかしていた。  松前藩脱藩者の永倉新八(ながくらしんぱち)は二十三歳。武者修行に出たいが為、脱藩するぐらい剣術が好き過ぎる永倉は、心形刀流の門人である坪内主馬(つぼうちしゅめ)に見込まれて、坪内道場師範代を務めていた経緯もあるそうだ。力の剣法と言われる神道無念流も極めている永倉は、我武者羅、遮二無二、兎に角考えるよりも先に体が動くような男であった。  山南と同じ北辰一刀流の藤堂平助(とうどうへいすけ)は鐐と同い年の十八歳。真偽は定かではないが伊勢津藩藩主、藤堂 高猷(とうどう たかゆき)の御落胤だという。幼い顔立ちに小柄な見た目とは裏腹に、勇猛で活発な彼は稽古では常に先陣を切っていた。底抜けに明るく、人の輪に入るのが上手い。  似たような性質を持つ原田、永倉、藤堂。彼等は「単純で豪快な三馬鹿」と土方に一纏めにされていた。  そしてもう一人、居合を得意とする無外流の山口一(やまぐちはじめ)、十八歳。無口であまり自分のことを話さないが、ふらりと立ち寄っては元々そこにいたかのように馴染み、そしていつの間にかふらりと帰っている。御家人株を持つ家の次男だと聞くが、掴み所がなく、何を考えているのかよく分からない人物だ。しかし何故か試衛館にしっくりはまっている。恐らく三馬鹿のようにべらべらと話すことはしないが、本質的に同じような思考を持っているのだろう。  こうした者達を近藤は食客として快く迎え入れていた。というのも彼らは皆、他道場で修行を積み、かなりの腕前の持ち主であった為、道場破り対策に打ってつけであったのだ。  そもそも天然理心流は、最前線で戦う為の業を想定した剣法であり、実戦向きではあったが竹刀試合には向いていなかった。以前は、腕に覚えがある者が道場破りに来ると、近くの道場に助太刀を依頼することもあったのだが、彼らが来てからはそういったことも無くなった。  そして彼らもまた、田舎剣法と揶揄される試衛館の、身分や肩書きを問わない大らかさ、お飾りで帯刀している侍にはない大義などを感じ、志を共にしていた。 「ーー今、総司は山南さんと小野路まで出稽古に行っていますよ。兄上、ここのお団子美味しいですね」 「剣の腕前が確かな沖田さんと、良識で博学な山南さんだと無敵の組み合わせですね。えぇ、美味しいですね。鐐と一緒に食べると余計に甘味が増す気がします。是非今度は一緒に一日千棹も売れるという船橋屋の羊羹を食べませんか?」  以前交流試合をした練兵館に書状を届けに出た鐐は、その帰り八郎と落ち合い茶屋で団子を味わっていた。甘い物に目がない八郎は羊羹、お汁粉、カステラ等いつも美味しい甘味処を教えてくれる。 「それは魅力的ですね、是非。ところで兄上、昨年の桜田門外で大老の井伊直弼が暗殺された件ですが、あれ以来幕府の権威が失われつつあると危惧されています。講武所ではお変わりありませんか?」 「そうですね、まだまだ修行の身である私にまでは対した影響はありませんよ。それにしても鐐が幕政について話すなんて驚きですね」 「山南さんですよ。分からない事は何でも教えてくれます。下手人が水戸を脱藩した浪士だったということも教えて頂きましたーー」 「ーーそうなんですよ! その後、捕らえられ斬首された浪士達の、事後処理資料を纏めるのが大変でした」  突然一人の男が話に入り込み、鐐の向かいに座った。 「おや? 小太郎(こたろう)殿ではありませんか。下城した帰りですか?」 「えぇ、八郎殿はこんなところでお仲間と茶屋とは珍しいですね」 「大事な人との逢瀬ですよ。鐐こちらは評定所書物方(ひょうじょうしょしょもつかた)の本山(もとやま)小太郎殿です」  腰に大小二本を差し、上質な羽織袴を着た、旗本の侍だと見受けられる男は、八郎の朋輩(ほうばい)なのであろう。逢瀬などと語弊のある言い方をして大丈夫なのかと、鐐が本山に挨拶をしようとすると、男は目を見開きこちらに迫ってきた。 「鐐!? もしや、あなたは八郎殿の妹君ではありませんか!?」 「えっ、あっ、はい。そうですが……?」  八郎の妹と言われつい返事をしてしまったが、男の格好をしている自分が女であることを露見され鐐は焦りを感じた。  しかし本山は鐐の格好には気にも留めず、八郎に詰め寄っていた。 「八郎殿、私に嘘をつきましたね! 妹は気丈で負けん気が強く屈強な男のようだから、とても私の手には負えないと言ったではありませんか!?」 「えぇ、嘘は付いておりませんよ。鐐は幼子のうちから剣術を嗜んでいましたし、今も男に引けを取らない程の腕の持ち主です」 「なんとしたことか!」  着飾れば勿論の事、例え男の姿をしていようが容姿端麗である鐐はとても屈強な男のようには見えない。  微笑む八郎と激しく悔いている様子の本山に、鐐は以前縁談の話が進んだ相手が、目の前の男であることを知った。 「ところで小太郎殿、以前私が頼んでいました件は進展ありましたか?」 「無茶言わないで下さいよ。評定所の書物方とはいえ、私が勝手に何某を調べているなんて知れたら、下手したら切腹ものですよ」 「そうですか。鐐に良い報告が出来ずに残念です」 「ん?」 「あぁ、言っていませんでしたね。私が調べて欲しいとお願いしている明楽氏は鐐が昔世話になった人でしてね。どうしても一度お会いしたいのですがーー」 「ーーそうだったんですね! 鐐殿!! 私にお任せ下さい。必ずや私が探し出してみせましょう!」  そう言うと本山は忙しなく行ってしまった。 「……行ってしまわれましたね。兄上、良かったのでしょうか?」 「そうですね。流石、小太郎殿は頼りになる方だ」  呆気にとられている鐐とは反対に、八郎は全く気にしていないようだ。  縁談の話が出たのが、かれこれ三年ほど前。それ以来の付き合いであろうか、随分と気心の知れた間柄になっているようだった。  鐐は本山の諜報活動に後ろめたさを感じつつも、明楽茂正の手掛かりに繋がりそうな気配に心が浮き立った。
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