ー第二章ー

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 カンカンカンッと木刀のぶつかる音が響き渡る。その音の速さと重みからは、二人が相当な手練れであることが伺える。  総司は山口一の剣を受けていた。 「やっぱり一君の左構えは打ち込みにくいね。これまで右差しの人と出会ったことがなかったから、いい勉強になるよ」 「総司の手数の多さと速さも、俺はこれまで出会ったことがなかった」  山口は武士として御法度とされている左利きであった。作法として決められているので右差しは蔑視される。しかし山口の予想外の攻撃は、単純に剣術を極めている試衛館の者達にとっては珍重するものであった。  近頃、門弟達の稽古が終わった後、道場に残り総司が剣を磨く相手となるのは専(もっぱ)らこの男である。  以前まで相手となっていた鐐は、この頃は稽古が終わると自室に籠っている。恐らく部屋はたくさんの書物で散乱しているだろう。元々読み物に没頭することが多かった鐐だが、今は何かを漁るように様々な書物を読んでいた。  土方はコレラの流行に私財を投じて薬剤を施与(せよ)している、姉婿の佐藤彦五郎宅へ手伝いに駆り出されており、近藤と山南は稽古が終わると政(まつりごと)について談話するのが常である。  政にはこれっぽちも興味のない総司は、残る原田、永倉、藤堂や山口と共に道場に居座り続けていた。 「皆さん、こんにちは」  そして三日に一度の割合でこの男がやって来る。 「よう、八郎。お前また来たのか」 「丁度いいとこに来たぜ。もうすぐ周斎翁が講釈場から帰って来るんだ。お前が来てたら爺さん喜んで蕎麦を振舞ってくれるぜ」 「まぁた新八は爺さんの懐を当てにしてやがる」 「左之さん。新ぱっつぁんは、食べる事と剣術しか頭にない獣だから仕方ないんじゃね?」 「何だと平助! お前だっていつも、ちゃっかり付いてきて、この前なんか三杯も食べてただろ! 小さい体のくせに遠慮無く食べやがって」 「小さいからこそ、育ち盛りの体には食う量がいるんだよ!」  三馬鹿が騒がしくなり、山口がそっと木刀を片付けて道場を後にしたので総司もそれに続いた。 「一君、帰っちゃうの?」 「あぁ。総司は彼(か)の者達と残らなくて良いのか?」 「別に。どうせ伊庭君は鐐に会う為に来ているんだろうし。一君こそ昼餉を食べてから帰ればいいのに」 「そこまで世話になる義理はない」 「ふぅん。真面目なんだね。だったら僕も途中まで一緒に行くから、ちょっと付き合ってよ。今日は蕎麦の気分じゃないんだ」  試衛館を出て四半刻後。  総司は山口を連れ立って茶漬け屋、の隣の茶屋に腰をかけていた。 「昼餉を食べに出たのではなかったのか?」 「うん、そうだよ。一君は食べないの?」 「俺は昼餉の代わりにするほど甘味を好んでは食べない」 「やっぱりね、そうだと思った」 「……?」 「土方さんだよ。土方さんも甘味はあまり食べないんだ。一君さ、土方さんと似てるよね。直ぐに眉間にしわが寄るところとか、目つきが悪いところとか。因みに俳句なんて詠まないよね?」  くすくすと土方の発句集を思い出し笑う総司を、訝(いぶか)しげに見る山口は、右腰に差した刀に視線を移し言葉を紡いだ。 「土方さんと似ているかどうかは分からんが、俺は土方さんを尊敬している」 「えっ、土方さんを? 噓だよね? 周斎先生に小遣いをせびっては遊郭に遊びに行き、この前は花魁の奪い合いで何某と喧嘩した土方さんだよね? 役者のような良い顔だと言い寄る女性をいいことに、とっかえひっかえ、礼儀作法はなっていないし、偉そうで、剣術は喧嘩だと思っているような、あの土方さんだよね?」  一驚(いっきょう)を喫(きっ)する総司は、眉をひそめながら捲(まく)し立てた。 「…………。本来刀とは左腰に差し、右で抜くことが決められている。右差しの俺は邪道だと、これまで蔑まれてきた。しかし、土方さんは『それがどうした』と、斬り合いになれば右も左も関係ない、俺は俺のままでいいと認めてくれた。だから俺はあの人を尊敬している」 「へぇ。あの土方さんがねぇ」 「そういう総司は伊庭殿と似ているのではないか?」 「えっ、何でさ。一緒にしないでよね」 「同じように甘味が好物だと言っているのを聞いたことがある。それに大事なモノが同じであるようだからな」 「……何のことだか」  核心を突かれたような居心地の悪さに、総司は言葉を濁した。  残っている串団子を口にし茶を啜る。腹も満たされ、これ以上山口と一緒にいてもつまらなさそうなので、そろそろ帰えろうかと腰を上げる。  と、その時ーー。 「おのれ貴様! 武士である儂を愚弄する気か!」  すぐ脇にいた男が、店の主人に向かって声を荒げてきた。 「めっ滅相もございません。しかし、ここは茶屋ですのでお酒は……」 「なに! 茶屋であろうが何であろうが暖簾(のれん)を掲げている以上、客をもてなすのがお前の務めではないのか! これ以上の非礼をするというのなら無礼討ちにしてくれるぞ!」 「ひっ、もっ申し訳ありません! 茶や団子などは差し上げますので、なにとぞ穏便に……」  己の方こそ無作法な侍が、非礼だとか無礼討ちなどと御託を並べている。不届き千万であるが、身なりからして恐らく旗本の侍だ。  総司は巻き込まれては面倒だと早々に立ち去ろうとした。が、山口はその場から動く気配がしない。それどころか、その土方によく似た眉間のしわと目つきで、遠慮のない視線を送っている。 「ん? 何だ貴様、何か言いたいことでもあるようだな」  山口の視線に気付いた侍が矛先をこちらに向けてきた。  総司はこれは面白くなりそうだ、と再び腰を下ろし事の成り行きを見守った。 「いえ、特に。貴人に伺候(しこう)し、いざという時はその身を挺してまで守り抜くという侍が、静穏な日々を過ごす平民に対し、如何にして穏便に済ますのか、この目で確かめたいと思ったまでです」  しんと静まった周囲の人々の視線が集まる。 「ちっ、興が醒めた。酒はもう要らぬわ!」  すごすごと男は引き下がって行った。去り際、怨敵を見るように山口を見据えてーー。 「お侍さん、ありがとうございました。あのお武家様、どこかで聞いたんか、ここで呑める酒があると言って来られたんです。それで、ここに出せるお酒はないとお断りしたんですが、どうも機嫌を悪くされてしまいまして、困っておりました」 「そうでありましたか、それは難儀なことですな」 「一君、斬っちゃった方が良かったんじゃない?」 「そんな物騒なことは冗談でも言うものではない」  その後、実はこの辺りの民達で呑み交わしている、特別な酒があるという主人は、固辞する山口に半ば強制的に礼だとその酒を瓶に入れて渡してきた。 「お酒、あるんだったら、あの男にも出せば良かったのにね」 「一度出せばそれが二度、三度と続くであろう。相手は旗本の侍だ。店の主人にはどうしようもない。世の中、理の通らぬ事もたくさんあるということだ」 「一君って、僕より二つ年下だよね? 何だか年寄りくさいなぁ」 「総司が幼過ぎるのだ」  礼儀正しい山口も総司とは、くだけた話し方をするのでどちらが年上なのか分からない状態だ。しかし総司はそれが嬉しかった。剣の腕前が同等で、身分も立場もそう変わりない。そんな同輩が自分と対等に話すことに何の違和感も持たなかった。  店を出てしばらく歩くと山口は、先ほど主人からもらった酒瓶を総司に渡してきた。 「これは世話になっている試衛館に持って帰ってくれ。俺が住んでいる長屋は目と鼻の先だ。あの侍もつけてきてはいないようだから心配しなくてもよい」 「別に心配なんてしてないよ。一君がどこに住んでいるのか見ておこうと思っただけ」  総司は侍が立ち去る時の山口を見る視線が気になり、付き添っていたのだが、いざそれを指摘されると小っ恥ずかしい。照れ隠しにいつもの天邪鬼が出るものの、フッと笑った山口は総司の本心を見抜いているのだろう。  総司は酒瓶を腕に引っ掛けて、手を頭の後ろで組み試衛館に戻って行った。  その日の夜。  夕餉を済ませ自室にいた総司は、今宵もまた月が美しく、夢幻の光を放っているのに惹かれて縁台に出た。  暗くて人気(ひとけ)がない隣の部屋に、昨夜の満月を一緒に賞した鐐はいない。こんな時刻に部屋にいないのは珍しいことだ。  何処にいったのかと不思議に思っていると、一番奥の部屋から賑やかな声が漏れていることに気が付いた。 「ーーーーしっかしだなぁ、お前もそろそろいい年なんじゃないのか?」 「何ですかぁ~~。年増女だって言いたいんですかぁ~~?」 「そぉじゃなくて、総司がだなーー」  総司と、自分の名をあげる永倉の声に、呂律の怪しい鐐の声。嫌な予感がする。  総司は足を火急に動かし奥の部屋へと向かった。 「ーーいぃんですよぉ。私はどこの誰から生まれたのかも分からない、素性の知れない身ですからぁ」 「えっ? 鐐って伊庭道場の子じゃねーの?」 「え~~。言ってませんでしたぁ?」 「何だ平助、知らなかったのか?」 「つーか、何で左之さん知ってんのさ」  開けっ広げの部屋には腹を出した原田、目が据わり顔が赤くなった永倉、藤堂、そして居住まい正しく座ってはいるがいつもと雰囲気の異なる鐐がいた。 「おっ、総司! お前丁度いいとこにきたぜ。ちょっとこっちに来いよ」  総司に気付いた原田が、見覚えのある酒瓶片手に肩を組み部屋へ入るよう促してきた。 「そぉじ~~。聞いてください。永倉さんが私の事、年増の行き遅れなんていうんですよぉ」 「いやいや、そぉは言ってないぜぇ」 「よっ、御両人!」  酒の匂いに満たされた部屋に散らばった盃。年について言い合う永倉と鐐。訳の分からない合いの手を打つ藤堂。明らかに皆、酔っている。 「左之さん。そのお酒、どうしたんですか?」 「おぉ、これか? これは新八が持ってきたんだ」  試衛館に戻った後、酒瓶は炊事場の土間に置いた筈であった。 「炊事場に置いてあった酒瓶ですよね? 新八さん」 「へ? 俺か? いやいや俺じゃねぇぞ。平助だ」 「はぁ、俺じゃねぇよ。左之さんじゃねぇの?」  迂闊であった。剣の腕前は兎も角、食べることに意地汚いこの者達の目の届く所に置いてしまった自分を責める。  それにしてもなぜここに鐐までいるのか。これまで酒を飲んでいるところなど見たことがない。三人に酒と知らされず飲まされたのか。沸々と怒りが込み上がってきた総司は表情を硬くしたまま、静かに冷えた声を出した。 「冷飯喰(ひやめしくい)の集まりが、お酒とはいい御身分ですね」 「……いい御身分。身分……。いやぁ、御落胤っていっても、そぉんなにいい身分じゃねぇんだよなぁ」 「ははっ、残念だったな平助。大身の甘い汁を吸うことが出来なくてよぉ」  藤堂と永倉の戯言に、こめかみの静脈が怒張する。 「えぇ、僕の手落ちなんです。あんな分かりやすいところに置いてしまった僕の。でもまさか勝手に飲むだなんて」  総司は殺気を露わにした。  普段は冗談ばかり言う陽気な総司も、稽古の時は人が変わったように冷徹になる。道場で対峙する時のような威圧感を三人に向けた。 「「「…………!?」」」 「えーっと、総司君。少しばかりご機嫌が悪いようですが……」 「……何か気に障る事でもあったのかなぁ~?」  剣術を嗜むものなら流石に殺気には敏感になる。  手を揉みながら胡麻擂りをしてくる永倉と原田に、追い込まれた鼠のように小さくなっている藤堂。みな総司の怒気に気付き、酔いも醒めたようだ。  気圧される三人と、一体どういうやってこの者達を懲らしめてやろうかと思いあぐねる総司。  熱気がこもっていた部屋は張り詰めた空気におおわれた。  と、その時。その空気感を一転するように鐐がおもむろに立ち上がり、総司に向かって距離を詰めてきた。  ふらふらと覚束無(おぼつかな)い足取りに、図らずも、しな垂れかかってきた鐐を総司は抱きとめる。 「「「おっ!」」」 「いやぁ、熱いねぇ。お二人さん」  再び酔いが回ったようにニヤニヤする三人。  厭らしい笑みで冷やかす原田に居た堪れず、総司は鐐を引き剝がそうとした。すると、鐐は総司にしか聞こえないようなか細い声で囁(ささや)いた。 「ねぇ、そぉじ。私、好きかもしれない……」  総司の胸はドキリと音を立てた。一瞬飛んだであろう脈がトクトクトクと速くなり、先ほどまでの怒りも消え失せる。  言葉も失い立ち尽くす総司に鐐は「……このお酒」と、続けた。 「…………」 「あぁ、こりゃ駄目だな。ちと飲ませ過ぎた。総司、部屋まで運んでやってくれ」  上手い具合に総司の怒りを逸らすことが出来る、と顔に書いてあるような永倉であったが、感情の変化に対応しきれず固まっていた総司は「ふぅ」と溜息を漏らし、言われたまま鐐の腕を自分の肩に回し部屋を出た。 「ほら、行くよ」 「…………」  途中で動かなくなった鐐を背負って部屋まで運ぶ。 「まったく。人の気も知らず暢気に寝ちゃって」  布団を敷く為に鐐を部屋の隅に凭れさせると、スヤスヤと無防備に寝る姿に再び溜息が漏れた。 「ん……」  寝ぼけた鐐がずるずると倒れていき、そのまま横になる。  少しばかり欠けた十六夜月が、やや開いた小袖の合わせと、紅潮した頬、半ば開いた口を照らし出す。 「…………」  煽情的な姿に総司は思わずその唇に触れようと手を伸ばした。理性の欠片が躊躇いながらもそっと頬を片手で覆う。吸い込まれるように顔を近づけると、その惹きつけられた唇がゆっくりと動いた。 「はは、うえ……」 「…………ふぅ」  三度目の溜息は、心に甘いもやもやを残したまま夏の短い夜に消えていった。
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