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夏至が過ぎ、まだまだ日の出の早い明け六つ(午前六時頃)。
目覚めた宗次郎が着物を整えていると、隣の部屋の襖が開く音がする。
いつも同じ頃合いで鐐が起きてくるのだ。
後を追うように、こちらも襖を開け共に朝餉の準備へと向うのが日常になっていた。
鐐は必要以上に喋る事はなく、愛想も小想もあまりなかったが、宗次郎にとってはそれぐらいが丁度良かった。
無駄にあれこれ気を遣わずに済み、稽古の相手としては申し分ない存在であったからだ。
この日も朝稽古で軽く汗を流した後、片隅で伸びている門弟達を尻目に、時間を持て余している宗次郎は洗濯をしているであろう鐐の所へ向かった。
洗濯をさっさと終わらせて、早く道場に来てもらおうと思ったのだ。
しかし庭に行くと洗濯は既に干されており、そこに鐐の姿はなかった。
宗次郎は汗を拭いた手ぬぐい片手に炊事場、井戸場をうろうろする。
何処に行ったんだと、自室へ向かったところ、漸く縁台に座り書物を読んでいる鐐を発見した。
近づいてみると、『解體新書(かいたいしんしょ)』『蘭東事始(らんとうことはじめ)』傍らには何やら難しそうな書物が置いてある。
宗次郎はこちらに気付かない鐐の後ろに回り、手元にある書物を覗き込み朗読してみた。
「切り傷の手当てについて、打ち身の手当てについて、発熱患者の手当てについてーー」
「ーーあっ、沖田さん」
真剣に読み耽(ふけ)っていたのだろう、慌てて鐐は振り返った。
「君、医者にでもなる気?」
「いえ、違いますよ。ただ医学書を読むのが好きで……」
「粋狂だね。女の子が書物を読むといったら、草双紙(くさぞうし)や人情本だと思っていたけど」
「……兄上の影響なんです。兄上は漢学や蘭学を学んでいて、それで私も蘭学の中にあった医学に興味を持つようになったんです……この書物は、先日父上が来てくれた時、兄上から預かったと言っていました」
鐐の父は試衛館に預けた後も度々様子を見に来ている。
内弟子として預けられている鐐だったが、彼女の父も道場の師範だ。
何故わざわざこんな田舎の町道場へ預けたのか。
珍しく身の上話をしたので、初めて会った時の疑問が再び思い起こされた。
父に言われてここに来たと言っていた鐐。宗次郎は何だか無性に知りたくなった。
「ねぇ、君の父上ってどんな人?」
「父上ですか? えーっと、伊庭秀業、練武館の八代目でーー」
「ーーそれは知ってるよ。そうじゃなくて父上ってどういう存在なの。どうして君をここに連れてきたのさ?」
そう言った刹那、鐐の瞳は愁いを帯び、少し戸惑っているような表情で、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……前に私は、偽物の子だと言われましたが、あれは……本当なんです。私は伊庭秀業の子どもではありません。……ある旗本より預けられた子だと聞いています。本当の親が誰なのかは分かりませんし、父上という存在も、よくわかりません。でも、伊庭家の父上にはとても熱心に剣術の指南を頂きました。……ある日、突然ここに入るように言われるまでは……。私は、私の事がよくわからないのです」
視線を落とし、無理に微笑んでいる鐐があまりにも切なく映り、宗次郎はそれ以上何も言えなくなってしまった。
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