ー第一章ー

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 月が満ち欠けし、再び十全の円を現すその周期は約三十日。  宗次郎はあれから三度、鐐と共にその輝きを眺めた。  これまで他人に興味を持たなかった宗次郎は、誰かと一緒なのが心地よいと初めて感じており、剣術の修行以外でも四六時中、同じ時間を共有するようになった。  そんな様子を見た勝太には「水を得た魚のように、生き生きした宗次郎が見られるようになって嬉しい」と言われており、宗次郎は「生き生きしているのは、今まで通り剣の筋を磨くことに尽力しているからですよ」とはにかんでいた。  鐐は初めの頃と比べて口数も増え、表情も豊かになっていた。  宗次郎はそんな鐐に悪戯を仕掛ける事にも尽力していた。鐐の驚き焦っている姿を見るのが宗次郎の好尚(こうしょう)だったのだ。  しかし近頃はどうも上手くいかない。  ある時は、縁台に置いてある鐐の草履の鼻緒を紐で結んで庭に誘い出し、それを履いた鐐が隣で転んでいる所を見て笑ってやろうと思っていたのに、いざ転びそうになった鐐を咄嗟に支えてしまって失敗。  またある時は、書物を読みながらうたた寝をしている鐐に、髯(ひげ)を墨で書き加え獣のような顔にしてやろうと思ったのだが、足された髯面が猫のように愛らしいものに見えてしまい失敗。  夕餉の際には、鐐の御膳の酢漬けの大根を生姜に変えたのだが、あんな辛みの強い食べ物を美味しいと言って食べていて失敗。どうやら鐐は生姜が好きなようであった。  なかなか上手くいかない悪戯を今日はどうやって仕掛けようか。宗次郎が謀を練りながら、門の前をうろうろしていると一人の青年が姿を見せた。 「よう、宗次郎。久しぶりだな。かっちゃんはいるか?」  そう言って入って来たのは土方歳三(ひじかたとしぞう)。  この整った顔立ちの二枚目は、実家秘伝の『石田散薬』を行商しながら、たまにこうやってふらふらとやってくる。  奉公に行っては問題を起こし、以前は奉公先の年上の女人を身籠らせたとかで、兎に角問題のある青年だ。  宗次郎は土方と鐐を何だか会わせたくないと思った。しかしーー。 「ん? 新入りか?」  箒で庭を掃いていた鐐に、土方が気付づいた。 「鐐、気を付けて! その人は女を食い物にする女殺しだよ!」  宗次郎は思わず庭に向かって叫んでいた。 「あぁ? なんだと、宗次郎! 俺はこんなガキ相手にするほど女に困っちゃいねぇ。まぁ、女殺しってぇのは間違っちゃいねぇがな。俺の魅力に骨抜きにされた女は数知れず、こんなガキですら俺の魅力にイチコロだぜ」  鐐がしげしげと土方を見つめているので、それを見惚れているのだと、気分をよくしたのか饒舌をふるう。 「……私、鬼は初めて見たのですが、人と変わらぬ姿をしているのですね」 「「……鬼?」」  どうやら鐐は「女を食う」や「女殺し」を、人を喰って殺す鬼と解釈したようだ。 「ぷっ! 鬼だって! 違いない」  手で口を隠し、ぷぷぷ、と笑いを漏らす宗次郎の頭に土方の拳骨が入る。 「おい! こら、そこの丁稚! 俺は鬼なんかじゃねぇ、多摩のお大尽、色男に向かって何て事いいやがる」 「私は丁稚ではありません。ここで内弟子としてお世話になっております」  鐐が負けじと反論し、騒がしくなった庭に勝太がやってきた。 「おぉ! トシじゃないか、久しぶりだな。どうしてたんだ? 行商帰りなのか?」 「ん、あぁ、まぁな。打ち身、捻挫に切り傷にって、そんなに薬を欲しがる奴なんかいねぇから、ちょっとばかり近くの道場に寄って試合吹っ掛けてだな、怪我したところへ毎度あり~~ってな。修行も出来て一石二鳥ってわけだ!」 「はは、トシは相変わらずだな」  土方は触ると傷がつくイバラのような乱暴なガキ、ということで近所の人から『バラガキ』と異名をつけられていた。  勝太より一つ年下の二十一歳なのだが、言動行動の年齢の低さは宗次郎と似たり寄ったり。そのくせ、幼い頃から武士に憧れているらしく、武士の志を重んじる勝太と「侍たるもの、不義を働いてはならぬ。武士の道義とはーー」等と言って熱く語り合っていた。  「宗次郎、あくどい商人がいるよ。そこら辺にいるならず者の浪人と変りませんね」  既に土方の性質を見抜いた鐐が、ずばずばと言ってのけるので、宗次郎も知っている情報をずばずばと言う。 「いえ、もっと質(たち)が悪いですよ。僕の聞いた話によると、その薬は水ではなく燗酒(かんざけ)で飲むと言って、ご婦人に与え酔わせたんだとか」 「なんだ、おめぇら?」 「あぁ、トシ、紹介しよう。新しく内弟子に入った鐐だ。練武館の伊庭先生の元からやってきたんだ」 「なに?  練武館って言ったら、江戸の四大道場とも言われる程のでけぇとこじゃねーか。何だお前、何やらかしたんだ?」 「こら、トシ。あんまりなこと言うんじゃない。鐐はある身分のお方からお預かりしている子なんだ。暫くの間、身を隠さないといけないらしくてなーー」  心の臓がどきりとした。  鐐の生い立ちは本人から聞いている。思い悩んだ表情で「自分の存在がない」と言っていた。  その時はかける言葉が出てこなかった。  顔を反らして視線を落としている鐐に、今は「君はここに存在しているよ」と言いたい。 「ーーいやぁ、それでここの道場に来たのだが、我が師範の天然理心流もだいぶ世に知れ渡ってきたって事だなぁ! ははは!」 「ーーきっ……」 「ーー何だお前。どっかの殿様の御落胤ってか? それにしちゃ、ちっとばかり品位が足りねぇな。それに色気も足りねぇ」 「……! 私はまだ十二です。色気はこれから付くんです!」  再び土方に噛みつく鐐の面様(おもよう)には活力が戻っていた。  生い立ちを話す勝太に視線を外した鐐の憂い。  それを知ってか知らずか見事にかき消した土方。  宗次郎はまた言葉を飲み込んだーー。
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