ー第一章ー

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 清々しく晴れ渡った空に雲一つない秋の昼下がり。  鐐は宗次郎と、ある豪農の道場へ剣術指南に付いて行くことになった。  試衛館では道場に通う門弟だけでなく、ある程度の権勢を持つ裕福な農家や商家が構えた道場へ、出稽古に行くことがあった。  この度、鐐が随伴出来たのは、出稽古に赴くのが三代目の周助ではなく勝太がその責を務めていたからで、「様々な者の太刀筋を見るのがよい学びになる」とか何とか言う宗次郎と、同行の許可を得ていたからだった。  初めは余計な自分が付いて行っても良いのだろうか、と遠慮していた鐐であったが、普段生活している領域から出るという好奇心と、宗次郎に面白いものがあると誘われたのが後押しし、探求心の強い性格には勝てなかった。 「ささっ、着いたぞ」  先頭を歩く勝太が指す場所には『日野宿』と書かれた看板が掲げられていた。  門を潜ると東側の一角に道場があり、それなりに大きい敷地の庭には矢竹が植えられていた。  青々と生い茂る大型の葉は、伊庭の道場の庭のものと同じであり、兄と笹舟を作った記憶が蘇る。兄上は元気でやっているだろうか、父上は次いつやってくるのだろう、鐐は寂寥たる思いを抱えながら皆に続いた。  道場に入ると数名の男たちが素振りをしていて、その中の稽古着を少し着崩した男が声をかけてきた。 「おっ、いつぞやの丁稚じゃねぇか」  土方であった。 「あっ、色鬼さん」 「色鬼じゃねぇ、色男だ!」 「おぉ、トシ! 久しぶりの手合わせで腕が鳴るな! 彦さんを呼んできてくれるか」  彦とはここの道場主の佐藤彦五郎(さとうひこごろう)のことである。  土方の姉婿にあたる人物だそうだ。  昔、祖母を盗人(ぬすっと)に斬殺されたことがあり、それ以来、剣の必要性を感じ試衛館の門人となった。家に道場を設けてからは、彦五郎に誘われた土方も出入りするようになり、勝太はその時に知り合ったと、ここに来る道すがら話しをしていた。 「この朱塗りの派手な防具は土方さんのですか?」 「こら! 触るな宗次郎。扱いが雑なお前が触ると直ぐボロくなっちまう。洒落た防具はお前にはまだ早い」  色恋ばかりの遊び人だと思っていたが、この男も稽古をするという。  いったいどれほどの力量なのか、元々見取り稽古を目的としていた鐐は土方の稽古に集中した。  一概に剣術と言っても道場によって稽古は様々である。  試衛館のように実戦を常に意識した剣術もあれば、禅などの心法や精神鍛錬を重きに置き、武士階級の嗜みの武芸のような剣術もある。  力を磨く事、技を磨く事、位を磨く事、剣術の稽古を見ればその人の生き様も見えてくる。  土方は素振り、組太刀、打込みと真面目に取り組んでおり、こんな男でも剣術稽古をしている姿は一人前の武士のようだった。  しかし土方を見直す鐐が、瞠目結舌(どうもくけつぜつ)したのは最後の試合稽古。  完全に我流となった土方が、状況不利と判断するや否や、ぶつかって怯んだ所を打ち込んだり、首を絞めたりと型にとらわれず縦横無尽に暴れていたのだ。 「あのような剣捌きは初めて見ましたが、道義的にどうなんでしょうか」 「何言ってやがる。要は勝ちゃあいいんだよ!」  「手段を選ばない土方さんらしいですよね」  土方の生き様もしっかりと剣筋に表れているようだった。  その日の夜、交流の深い一同は、一晩の宿と夕餉を共にしており大いに賑わっていた。  三国志の影響を強く受け、以前に義兄弟の杯を交わしたという勝太と彦五郎は、浴びるように酒の徳利を空けていた。  世話のかかる義弟に対し、行く末をしっかり見るように苦言を呈する彦五郎。 「トシはいずれ自分の道を見つければ、天下に名を残すような大物になるさ」と豪語する勝太。  あまり酒に強い方ではないらしい土方は、盃をちびちび舐めるように口に含み、苦笑いをしていた。  鐐は夕餉を食べ終わると、「そろそろ行くよ」と目配せをする宗次郎と部屋を抜け出した。  宗次郎の言う面白い物を探しに行くのだ。 「ねぇ、面白い物って一体何なの? 何処にいくの?」 「しぃ! 静かに。こっち。見たらわかるよ」  月明かりの中、宗次郎に付き添い忍び込んだ場所は土方が使っている部屋であった。  我が物顔で部屋を開け、無遠慮に机の引き出しを漁る宗次郎に、気が咎めながらも鐐は続く。 「勝手に入って大丈夫? また土方さん、鬼になるんじゃない?」 「あった、あった! ほらこれ」 「豊玉(ほうぎょく)……発句?」 「そうそう、俳号だよ、土方さんの」 「へー。あんな業して意外ですね」 「鐐も見てごらんよ。この発句集が最高なんだ」  宗次郎の言う面白いものとは、どうやら土方が嗜んでいる句の事であるらしい。  鐐は宗次郎に並んでその発句を読み上げた。 「しれば迷い しなければ迷わぬ 恋のみち」 「それは新作だ! あんな鬼みたいに怒るくせに恋煩いだって」 「……ふふふ。どこのご婦人と恋に迷走してるんでしょうね」  この愚直な発句をあの土方が詠んでいると思うと、鐐は笑いをこらえる事が出来なかった。  役者のような顔立ちの土方と、あまりにもずれのある、お世辞にも上手いとは言えない発句集。  興味をそそられた鐐は、この面白い物が他にもないかと机を覗き込み手を伸ばす。  しかし手を伸ばしたと同時に、後ろにいる黒い気配を察知した。  その一帯だけ真冬の凍てつくような空気が流れているようだ。  寸刻、膠着した鐐がおもむろに振り向くと、そこには拳をわなわなと震わせ怒りを露わにした鬼の形相の土方が凄んでいた。  これはまずいと宗次郎の方を見ると、彼は脱兎の如く駆け出しており、鬼は対象をこちらに定めているようだった。  取り残された鐐は、独り説教を食らう羽目になり、秋の夜長は更けていった。
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