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目の前の尾田さんはショックを受けたようでもなく、涙を浮かべるわけでもなかった。まるで俺の反応は想定内だというように、表情一つ変えない。
そして、一歩下がった俺を追うように距離を一歩、二歩と詰めてきた。
「そんなの分かってる。けれど、私も譲れないの。このチャンスを逃すわけにはいかないの。一目惚れをしてからずっと、ずっとずっと藍原君のことを想ってきたんだから」
「え、でもそんな素振り、一度だって……」
「彼女がいるから諦めなくちゃって何度も思ったよ。でも、思うだけでこの気持ちを忘れられるほど軽いものじゃない!プロポーズする前に、どうしても藍原君に振り向いてほしい。一度だけ、私のことをちゃんと見てほしい。本当に藍原君が好きなの……」
こんなに真っ直ぐな好意を向けられて、どうすればいいのか分からなくなった。これほどの想いをどうやって断ったらいいんだろう。尾田さんにとって切実な思いなんだとひしひしと伝わってくる。
こんなに自分のことを想ってくれる人が藤映以外にいるなんて、今まで一度たりとも考えたことはなかった。藤映だって何でこんな俺とずっと一緒にいてくれるか、未だに不思議なくらいなのに。
人から向けられた好意は嫌なものではない。むしろ嬉しいと思うのが普通の人間なんじゃないか。だからこそ、この熱を帯びた強い感情をはねのけることに一種の罪悪感のようなものを感じてしまうんだろう。
「それでも、俺は藤映しか見えないし、プロポーズするっていう決意は変わらないよ」
断られる側より断る側の方が心苦しく辛いんじゃないか。そう思ってしまうほどの熱意を跳ね除けたことに、今後も後悔することはないだろう。
もう、コートのことや酔っ払いの言動にうんざりしていたことはすっかり頭から抜けていた。これ以上、尾田さんにかける言葉はない。そう思った時、
「あれ、しょーくん?」
突然、尾田さんの肩越しに聞き慣れた声が耳に届いた。
顔を上げると、目線の少し先に藤映が驚いた顔で立っていた。
「藤映!」
俺が名前を呼ぶのと、尾田さんが俺の手を掬うように指を絡めてきたのは同時だった。指先にぎゅっと力が込められ、俺が咄嗟に振りほどこうとする前に、尾田さんが口を開いた。
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