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一
あまりに真剣な眼差しで訴えてくる女の子に戸惑いながら、太陽の暑さに耐えきれそうにない俺は取り敢えず場所を移そうと、目の前にあった喫茶店に入ることにした。
平日の昼下がり、店内には話に花を咲かせる婦人たちや、新聞片手にコーヒーを啜る老人が多い。俺たちは少し奥まった場所にあるこじんまりとした二人掛けのボックス席に向かい合って座った。
外は相変わらずギラギラとした暑さで揺れている。八月も残り僅かだというのに、連日の猛暑は衰退の色を全く見せない。
俺がアイスカフェラテを注文すると、女の子は遠慮がちにオレンジジュースを頼んだ。
「……暑いね」
話しかけてきたのは女の子からなのに、一向に口を開かないその子は真っ黒で細い髪をくるくると指に絡ませてばかりいる。俺とあまり目線も合わせてくれない。菫色のフリル袖のTシャツにハートの刺繍が施されたデニムスカート。化粧っ気がないのに透き通るような白い肌のその子は、見たところ中学生くらいだろうか。
何を話せばいいのかさっぱりな俺は、当たり障りのない日常会話を投げかけてみたが、その女の子は瞬きをこちらに向けるだけだった。
困った。変な勧誘なのか新手の詐欺なのか分からないけれど、知らない女の子と喫茶店なんか入るんじゃなかった。
「お待たせいたしました」
早速運ばれてきたアイスカフェラテに、更にガムシロップを幾つも追加する俺を見るや否や、女の子はぎょっと目を見開いた。
「ちょっと、おじいちゃん!糖分控えろって言われてるでしょ!」
突如声を張り上げ身を乗り出すように俺の腕を掴んだその子は、はっと我に返ったようにサーッと顔を青ざめ、慌てて俺の腕を振り離した。その動揺した瞳に、今度は俺が動揺する番だった。
その子は確かに俺の目を見て「おじいちゃん」と呼んだ。
ちなみに俺とこの子は今日が初対面で、まだ名前も知らない。ただ、レンタルビデオ屋のバイト終わりに駅前の商店街を歩いていたら突然、「あの!今から話すことを信じてください!」とすれ違った女の子に声をかけられただけだ。不審に思いつつも一緒に喫茶店に入った俺も大概だが。
「おじいちゃん」と確かに呼ばれたが、俺はこの夏ハタチになったばかりだ。俺の姉は既婚者だけど子供はおらず、従兄弟も誰一人、子供どころか孫だっているわけがない。
つまり、おじいちゃんと人から呼ばれる理由に何一つ身に覚えがないのだ。
「……あの。松一郎さん、ですよね」
「そうだけど、どうして俺の名前を知ってるの?」
「……やっぱり、言っても信じてくれないに決まってる」
女の子は今にも泣き出しそうに、瞳をしっとりと濡らして俯いた。ああ、この喋り方や涙の溜め方が俺の彼女にそっくりだ。
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