第一話 鳴る靴

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白い小さな左手だけが、鹿の欠けた耳の辺りを前後にゆっくりと動いている。 叔母に声をかけようと目を左に動かした瞬間 ピュー と、ジャングルジムの下で音がした。この公園でも聞いたことのあの音だ。小さい子が歩く度に ピュー と鳴るあの靴だ。 私はすぐに下を見た。鉄の棒の隙間から見えたのは、片方だけの赤い靴だ。 あっ その時、それが誰の物か、わかった。 慌てて顔を上げて前を見た。 居ない。 今、目の前で私を見上げていた、あの女の子がいない。 しかし、強い残像が残っている。こちらをじっと見ていた、赤い、白い水玉の服の子だ。タイツの足は、片方の靴が脱げていた。 そして、あのゆっくりと動く白い手があった、鹿の欠けた耳をじっと見た。 「ようちゃん」 強い呼びかけに、慌てて下を見た。叔母が両手を広げて、血相を変えている。 ふらふらしている自分に気がついた。細い棒の上に腰かけていたのだ。 二段目に腰かけ、縦の棒に寄りかかっている。 グッ と腰の辺りの鉄の棒を掴んだ。 「ようちゃん、ようちゃん」 叫ぶ叔母の声が聞こえている。私は何が起こったがわからず、しばらくぼっーとしていた。 「早く降りて」 その声にまた気がつき、ゆっくりと下を見ながら降りた。 「とっちゃん、小さな女の子」 私はそう言って、言葉を止めた。どう話せば良いか、わからなかったのだ。 「さっきあそこに」 指を差しながら、その言うと、叔母は私の手を強く握り 「うん」 とだけ言った。 「ねぇ、あそこに」 訴えるように、見上げて話すと、叔母は私を睨むような、怖い顔で 「わかってる」 その言うと、その鹿の遊具とは反対の方へ早足に歩き出した。まるでその場から逃げるように慌てている。 ピュー ジャングルジムから少し離れた辺りで、また鳴った。私の手を握る叔母の手に ぎゅー っと凄い力が入った。 「見ちゃだめ」 叔母は私の両目を手で塞ぎ ぐっ と抱き上げると カラッカラッカラッ と、サンダルを地面に擦りながら、走って公園を出たようだった。 少し経つと叔母は私を下ろした。 「ようちゃん」 叔母の顔はさっきより、怖かった。目はギラギラとし、唇は小刻みに動いていた。 「もうあそこには行ったらダメ」 私は両肩を強く抑えられていた。何が起こったかはわからなかったが、叔母が私を守ろうとしていたことは、その様子からわかった。 実家に着くと、祖母がこたつの横で洗濯物を畳んでいた。 「おばあちゃん、あのね」 「ああ、どうした」 その後は全て叔母が話していた。後から知ったことだが、叔母はかなり霊感が強かったようで、それをいつも気に病んでいて、特にその時期は強く感じていたらしく、体調も崩して、酷い状態だったらしい。 祖母も理解があったのか、話しを聞きながら何度もうなずいていた。 しばらくすると、二人がじっと私を見つめだした。 「見えなくなるといいね」 祖母が私を愛おしむような表情で見ていたのを覚えいる。 その公園で、団地が出来たばかりの頃、事故があったらしい。七五三のお祝いに行く予定だった団地の女の子が、一人であのジャングルジムに乗り、転落死したというものだ。 その女の子がまだこの世をたまに思い出し、あそこに現れているのか。 叔母は私が二十歳の時に癌で亡くなった。小さな頃はよく遊んでもらい、優しい印象の叔母であったが 私が中学生になると、病気のせいか、引きこもるようになり 母の実家から引越していた私たち家族は、叔母とはあまり顔を合わせなくなっていた。 後になって叔母の話を母から聞いた。 「あの事故の子が悪さをしているんじゃない。あの子を呼んだもっと小さな子が居る。その子はあの公園で死んでるけど、自分が死んだことがわからず、泣きながらずっと母親を探してる」 ピュー となる靴は、七五三に行けなかった子が履いていた物ではない。 その子をジャングルジムの上から、引っ張って、連れて行ったモノが履いている、鳴る靴だった。
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