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白い小さな左手だけが、鹿の欠けた耳の辺りを前後にゆっくりと動いている。
叔母に声をかけようと目を左に動かした瞬間
ピュー
と、ジャングルジムの下で音がした。この公園でも聞いたことのあの音だ。小さい子が歩く度に
ピュー
と鳴るあの靴だ。
私はすぐに下を見た。鉄の棒の隙間から見えたのは、片方だけの赤い靴だ。
あっ
その時、それが誰の物か、わかった。
慌てて顔を上げて前を見た。
居ない。
今、目の前で私を見上げていた、あの女の子がいない。
しかし、強い残像が残っている。こちらをじっと見ていた、赤い、白い水玉の服の子だ。タイツの足は、片方の靴が脱げていた。
そして、あのゆっくりと動く白い手があった、鹿の欠けた耳をじっと見た。
「ようちゃん」
強い呼びかけに、慌てて下を見た。叔母が両手を広げて、血相を変えている。
ふらふらしている自分に気がついた。細い棒の上に腰かけていたのだ。
二段目に腰かけ、縦の棒に寄りかかっている。
グッ
と腰の辺りの鉄の棒を掴んだ。
「ようちゃん、ようちゃん」
叫ぶ叔母の声が聞こえている。私は何が起こったがわからず、しばらくぼっーとしていた。
「早く降りて」
その声にまた気がつき、ゆっくりと下を見ながら降りた。
「とっちゃん、小さな女の子」
私はそう言って、言葉を止めた。どう話せば良いか、わからなかったのだ。
「さっきあそこに」
指を差しながら、その言うと、叔母は私の手を強く握り
「うん」
とだけ言った。
「ねぇ、あそこに」
訴えるように、見上げて話すと、叔母は私を睨むような、怖い顔で
「わかってる」
その言うと、その鹿の遊具とは反対の方へ早足に歩き出した。まるでその場から逃げるように慌てている。
ピュー
ジャングルジムから少し離れた辺りで、また鳴った。私の手を握る叔母の手に
ぎゅー
っと凄い力が入った。
「見ちゃだめ」
叔母は私の両目を手で塞ぎ
ぐっ
と抱き上げると
カラッカラッカラッ
と、サンダルを地面に擦りながら、走って公園を出たようだった。
少し経つと叔母は私を下ろした。
「ようちゃん」
叔母の顔はさっきより、怖かった。目はギラギラとし、唇は小刻みに動いていた。
「もうあそこには行ったらダメ」
私は両肩を強く抑えられていた。何が起こったかはわからなかったが、叔母が私を守ろうとしていたことは、その様子からわかった。
実家に着くと、祖母がこたつの横で洗濯物を畳んでいた。
「おばあちゃん、あのね」
「ああ、どうした」
その後は全て叔母が話していた。後から知ったことだが、叔母はかなり霊感が強かったようで、それをいつも気に病んでいて、特にその時期は強く感じていたらしく、体調も崩して、酷い状態だったらしい。
祖母も理解があったのか、話しを聞きながら何度もうなずいていた。
しばらくすると、二人がじっと私を見つめだした。
「見えなくなるといいね」
祖母が私を愛おしむような表情で見ていたのを覚えいる。
その公園で、団地が出来たばかりの頃、事故があったらしい。七五三のお祝いに行く予定だった団地の女の子が、一人であのジャングルジムに乗り、転落死したというものだ。
その女の子がまだこの世をたまに思い出し、あそこに現れているのか。
叔母は私が二十歳の時に癌で亡くなった。小さな頃はよく遊んでもらい、優しい印象の叔母であったが
私が中学生になると、病気のせいか、引きこもるようになり
母の実家から引越していた私たち家族は、叔母とはあまり顔を合わせなくなっていた。
後になって叔母の話を母から聞いた。
「あの事故の子が悪さをしているんじゃない。あの子を呼んだもっと小さな子が居る。その子はあの公園で死んでるけど、自分が死んだことがわからず、泣きながらずっと母親を探してる」
ピュー
となる靴は、七五三に行けなかった子が履いていた物ではない。
その子をジャングルジムの上から、引っ張って、連れて行ったモノが履いている、鳴る靴だった。
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