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8、工事
ある時、マンション前にある倉庫会社の周囲が覆われ、中が見えなくなった。リーマンの影響でいよいよ来たかと思ったが、それが、始まりだった。 その後、地域住民を小学校の体育館に集め、JRと相鉄の相互乗入れ事業計画説明会が行われた。
マンション検討時の営業マンの言葉が、現実となったのだ。
私達は、願望はあったが、信じていた訳ではない。JR貨物駅と掛け合わせ、興味を持たせる営業トークだと思っていた。簡単に駅など出来るはずはないが、実家に用立ててもらった装飾として、「駅になるかも」程度の話をした。お盆や正月に帰省した時、母から「駅の話は進んだのかい。早く出来るといいね」と言われる度に、胸が痛かった。これで、やっと胸の痞えが降りた。
しばらくして、町内会の回覧板に、トンネル見学会の参加者募集が載っていた。私達は夫婦で申込んだ。当日は、螺旋階段を三階分ほど降りて、西谷方面に歩いて行くルートだった。床面は、地下水が溜まっていたり、大きな掘削機が稼働していた。SENS工法と言って、海ほたるを作った時と同じ工法だと説明していた。首が痛い位、天井周りを見た。
見学会に参加した事で、更に現実を意識した。それに加え、東急東横線の乗入れ情報もあった。横浜に出なくても、新宿、渋谷に乗換え無しで行ける。楽しみだな。妄想が膨らんだ矢先、新聞に開通遅れの記事が載った。 ここまで来て遅れるのはイライラする。中止は無いと思うが、何が起こるか分からないのが今日この頃だ。工事現場の側道は、愛犬の散歩コースで、工事が始まる前から歩いていた。着工してからは、貨物線にかかる渡橋から、散歩の度に見ていた。
2019年(令和元年)11月30日、「羽沢横浜国大駅」は、開通の当日を迎えた。本来の開通は、2015年(平成27年)の予定だった。今日は、開通式のイベントと相まって、朝から人がごった返している。列があるのだが、何に並んでいるのか分からない。
せっかくの機会なので記念にと私達も並んだ。
甲冊と言う手書きの片道券の列で、マニアには人気だと言う。価格も西谷までの180円で、購入すると、電車のポストカードが付いてきた。記念には丁度いい選択だった。一時間以上並んだが、妻とここに住み始めた頃の、思い出話をしていると、意外と苦にならなかった。
駅の中も外も人がどんどん増えていき、駅の関係者の声も大きくなっていった。一応、記念のものは、手に入れたので、一旦自宅に帰る事にした。長く続く列を横目で見ながら、目の前にあるマンションに帰って行った。
ごった返していたのは、開業当日だけで、次の日は、閑散としていた。本当の意味で、駅と認められるのはまだ先で、二年後、東急東横線が乗入れ、周辺にお店が出来てからになる。思えば、神奈川に越してきた時の新横浜駅前は、一面、キャベツ畑だった。この駅も、時代と共に、変わってゆくのだろう。 29年前に、親が心配してくれた場所ではあるが、フルリフォームを行い、変わりなく住んでいる。
応援してくれた私達の両親は、駅を見ることなく逝ってしまい、とても残念だ。でも、四人揃って天国から、駅とマンションを見て、安心し、笑っている事だろう。本当にありがとう。みんな、元気だから心配しないで下さい。
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