猿獣

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「俺を祓いに来たか」 「そうですねぇ……彼女はどんな恨み言を?」  俺は質問を鼻で笑って、背もたれに深く寄りかかった。  こいつ、何もわかっちゃいない。杜撰な身辺調査だ。 「恨み言なんか一度も口にしたことはない」 「ほう」 「あいつは幼い頃から、あのぼろぼろに朽ち果てそうな恨み石を、神様の宿る石だと友人に騙されて拝みに来ていた」  何も知らない少女は恨み石にお供え物をして、律儀に手を合わせていた。  石に取り憑いているのが、俺のような醜いあやかしとも気づかずに。  いつか飽きるだろうと放っておいたが、毎日のように拝みに来るようになった。  教えた友人ですら石の存在を忘れていただろうに、彼女は一日も欠かすことなく手を合わせに来た。 「結婚を機に東京へ向かうから、しばらくは手を合わせられないと謝罪していた。もう顔を合わせることもないと思っていたが……ある日、また手を合わせに来た」  いつの間にか髪に白いものが増えた彼女は、月日が経ったにしては随分と老け込んだように見えた。  青白い顔は死人のようだった。  彼女は骨と皮になった両手を合わせて、「雨門(うもん)さんと大雨が迷わず帰って来られますように」と微笑んだ。  それが行方不明になった旦那と息子であることは、毎日拝みに来るたびにこぼれる独り言で理解できた。 「抜けた女だとは思っていたが、ここまでくると滑稽だ。どんなに願おうが、俺はあの石を棲家にしているただのあやかし。人間に取り憑いて気ままに生きるあやかしだ」 「それで、気まぐれに彼女に取り憑いたと」 「あの女、いつまで俺に騙されてくれるか見物だろう」  俺は今後訪れるであろう悦楽に笑いが漏れた。  男は納得したようにうなずいて、椅子から立ち上がった。 「おい、どこへ行く」 「次の依頼がありましてね、これで失礼させていただきます。申し訳ありませんが、大西さんにはあなたからお伝えください。それでは」  あまりにも呆気なく立ち去ろうとするので、身構えていた俺は拍子抜けしてしまった。  我に返り、慌てて玄関に向かう背中を追った。  男は靴を履き終えて、ドアノブに手を伸ばしていた。
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