猿獣

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「先生、うちに霊がいるんですよ。ご覧いただけたらわかると思いますが、ほら、風呂場の隅の方に顔のようなものがございません? 後ろから視線を感じるし、これはぜひ先生に見ていただこうと思いまして」  母が心底不気味だと言わんばかりに、狭い洗面所から風呂場の隅を指差している。 「どれどれ」  失礼、と一言断って、三十代くらいの男が俺の前を横切る。  新撰組のような青い羽織をまとった、いかにも怪しい男だ。  霊媒師か祓い屋か知らないが、随分と胡散臭い。 「どう見たってカビだろ」 「えぇ? でも何度掃除したって同じようなシミになるし」 「ってか先生ってなんだよ、胡散くさ」 「こら、大雨(たいう)」  息子の俺の言葉は信用ならないらしい。  抜けたところのある母が、このまま高額請求されないか心配だ。 「はあ、なるほど」  男は二、三度うなずいて、 「大西さん、息子さんのおっしゃる通り、ただのカビです」 「えぇ、本当ですか」 「人の脳は三つの点があると、人の顔に見えるようになっているんですよ。シミュラクラ現象と言うらしいです。私もたまにシミを見てぞっとすることもありますよ」 「あら、先生も? あぁ、良かった。なんだかこの間まで近所にいた怖いお爺さんと似ている気がして」  母は先生とやらの言葉でようやく安心したらしい。 「先生、すみません、お代の方は」 「何もしていませんので、お代の方は結構ですよ」 「そんな、ここまでご足労いただきましたのに」 「職業上こういうこともありますから、気になさらないでください」  足代も請求しないのは意外だった。  見直してやってもいい。
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