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枯れ木をベッドのシーツに包ませ、寝ているように見せかけると、男は音もなく、蛇のように、すり抜けるように扉を出て、触れただけで鍵を掛け直し、また廊下を歩き出す。その手にはタブレットがあり、何人もの顔がアルバムのように貼り付けられていた。老若男女問わず、内訳は様々だ。男の手が事務的に画面をスライドさせ、リストを再確認している。先ほど殺した老人の写真を見つけると、軽くタップして×のマークをつけた。
「はぁ……」
男が溜息をつく。事務的な動きに反して、表情には鬱然とした感情がありありと現れていた。
高層ビルのような、縦にも横にも膨れ上がった病院だった。
国の中でも群を抜いて大きなそこには、様々な患者が訪れる。当然、それらを捌ききるために、医者もたくさん在中していた。その日も院内は騒がしく、けれど静々と、たくさんの人が行き来する。
静かな喧騒に紛れながら、男はまた一つの病室を覗く。
いくつものベッドの上で眠る患者の顔へ視線を巡らせ、リストと照らし合わせていく。リストには、殺すべき人間だけに限らず、その場にいる全員の情報があった。窓の外で寝たきりの老人は、このままだと四日後には心不全で死亡する。手前で寝息を立てている少年は来月病状が悪化して個室へ移動することになる。ターゲットが一人もいないことを確認すると、男は悲しさと不服さが混ざったような顔をして、ちらりと時計を見ると、音もたてずに扉を閉めた。
時間に急かされるように次の病室へと向かいながら、男は独り言を呟く。
「私は、人を死なせてばかりだ。絶望させてばかりだ。私なら、生かすことだってできるというのに」
男は、うんざりしていた。
まだ生きていたいと願う人間に死を与える今の仕事を、心の奥底で忌々しいと感じていた。男の手にかかれば、殺すだけでなく、死にゆく人間を生き永らえさせることも出来るというのに、許されない。そのことが、余計男の心を鬱屈とさせていた。
男は、人に礼を言われたことなど一度もなかった。
その後も、殺人は続く。幼い少女を、会話を楽しんでいた老婦人を、リハビリに勤しむ青年を、急病に、あるいは事故に見せかけ、時にはあえて不審死と判断されるような形をとって、数日をかけて、ゆっくりと殺していった。大きな病院の中で、頻度と量を調整して、じっくりと、丁寧に。
その間、男はずっと、自分の手を忌々し気に握り締めていた。ふと、小さな羽虫が目の前を通る。男は苛立ちのままにそれを手で潰しそうになったが、直前で思いとどまった。
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