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少年が目を覚ましていて、医者や見舞い客が部屋にいない時を見計らって、男は再び、少年のいる病室へと入っていく。少年はキョトンとした顔で出迎えていた。
「おじさん、だぁれ? 新しい先生?」
「あぁ、そうだよ」
男は躊躇い無く答えると、ポケットからボールペンのようなものを取り出して、それをいつもとは逆に持った。
「今から新しい薬を打つからね。すぐ済むから、首を出してくれるかな」
「今から?うん、わかった」
少年は小さく首を傾げたけれど、言われるがままに病衣をはだけさせた。青白い肌に、鎖骨がくっきりと浮き出て見える。男は手にしたボールペンもどきの先端を、これまでと同じように、少年の首筋に突き立てた。少年は少しだけ痛がるように目をパチパチとさせたが、大人しくじっとしていた。やがてペン先が離れていくと、少年はまた、不思議そうに目をパチパチと瞬かせて、
「これでおわり?」
「あぁ、終わりだよ。多分、すぐに効果は出ると思う」
男の言うとおり、変化はすぐに訪れた。
少年の弱々しかった呼吸が、少しずつはっきりとしたものになっていく。少年は自分の身に起きている状況に戸惑っているのか、身体をパタパタとあちこち動かしている。
「……あれ、軽い……ねぇ先生、なんか体が軽いんだ」
「そうだろうとも。君の身体は、たった今健康になったんだ。病気が治ったんだよ」
「……ほんとに?」
蚊の鳴くような声で呟いた少年の目は、出会った時と同じくキョトンとしていた。
「あぁ、本当だ」
「サッカー、できる?」
「勿論」
「あの靴、履けるの?」
「走るくらいわけないとも」
「本を読んでも、勉強しても疲れない?」
「その気になれば一日中読んでいられる」
「……チョコレート、食べてもいいの?」
「飽きるくらい食べればいいさ」
「……ボク、もっと色んな事をしてもいいの?」
「やりたいようにやるといい」
そこまで訊いて、少年は目を潤ませた。髪の毛は、いつの間にか綺麗な金色に染まっていた。
その時、男のタブレットが振動した。呼び出しだ。
「……じゃあ、おじさんもう行くね」
「あ……」
急がねばならない。扉へ向かう男の背中へ、少年は小さな肺に目一杯息を吸って、叫んだ。
「ありがとう……! ありがとう、先生! ボク、これから頑張る! 一杯一杯、勉強もするし、ご飯も食べるし、身体をたくさん動かすんだ!」
男は振り返らなかったが、嬉しそうに微笑み、扉を閉めた。
礼を言うのは私のほうだ。私の方こそありがとう。君がここにいてくれて、本当によかった。そう心の中で囁きながら。
数分後、看護師とかかりつけの医者が病室に入ると、そこにはベッドの上で楽しそうに跳ねる少年がいた。医者たちはとても驚き、奇跡だと呟いた。
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