分業体制のひとつ

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分業体制のひとつ

 それから毎朝のように(レストランが休みの月曜日と、サメが仕入れられなかった日は除いて)、僕は仕事に行く前にレストランに立ち寄ってはバイオリンを弾き、店の繁忙期には仕事帰りにも立ち寄ってバイオリンを弾き続けた。  ギュリギュリギュリギュリ。グリャグリャグリャグリャ。  怪獣の下痢のような音に自分でもうんざりしながら。こんな音を毎日のように聞き続けたら、そのうち耳が腐ってしまいそうだ。  それでも僕は、厨房の奥にある食材庫の前でバイオリンを弾くのが日課となった。  仕事の出勤前、僕は朝のレストランに裏口から入る。そこにはすでに誰かしら出勤している。マネージャーだったり、仕込み担当(この店では数人のシェフが交代で持ちまわりしていた)のシェフだったり。  今朝はこの店でいちばん若いシェフで、僕にいちばん近い年齢のシェフだった。 「おはようございます」  いちばん若いシェフは、卸業者が配送してきたばかりのサメを二、三匹ずつまとめて、天井からぶら下がる金属製の鉤に引っかけているところだった。  この時点で、専門の業者によってサメはすでに乾燥させられているのだ。  その話を最初に聞いたとき、なんでも専門業者がいるものだと僕は感心した。サメを食べるために、ありとあらゆる仕事が細かく分業されているのだ。そしてその分業体制のひとつを僕が担っているというわけだ。 「これでオッケーかな。じゃあ、演奏をお願いしますよ」  店でいちばん若いシェフが脚立から降りて僕に告げた。 「わかりました。それでは」  僕はうなずき、バイオリンを構える。ひと呼吸したあと、おもむろに弦に弓を触れさせる。いっぱしのバイオリン奏者みたいに。  ギュリギュリギュリギュリ。グリャグリャグリャグリャ。
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