予兆を漂わせながら

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予兆を漂わせながら

 「演奏」開始から五分も過ぎると、乾燥したサメの体に少しずつひびが入りはじめる。はじめは背びれや胸びれに細かく小さなひびが走る。これから始まる本格的なひび入れの予兆を漂わせながら。  すると、やがて腹や背中に断裂といって良いほどの大きめのひびが入ってくる。まるで力任せに体を引き裂いたみたいな断裂が走るのだ。シェフはその瞬間を見逃さず、断裂したサメの身体の皮膚をじっと観察する。  きっとそこには僕がうかがい知ることのできないような、料理人たちが注目すべきなにかが存在するのだろう。  そして最終的には、分厚く硬い尾びれ(笹の葉のように尖った尾びれがふたまたに分かれ、上下に伸びている)全体に蜘蛛の巣のようなひびが走る。そうすれば、ひび割れザメの完成だ。シェフの確認と合図により、バイオリンの「演奏」も終わりとなる。  十五分から二十分ほどバイオリンを弾き続ければサメの体全体にひびが入るが、中には三十分経ってもなかなかひびの入らない個体もいる。そんなときにはサメに近づき、演奏を激しく行う必要がある。  ひとくちにサメのひび入れの仕事と言っても、体力も使う一筋縄ではいかない仕事だ。
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