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大学、社会人、お酒
友情とは脆いものだ。
ずっと親友でいてね、と言った彩音の言葉が少し薄く思える。卒業旅行の最後に感じていた寂しさも今では嘘のようだ。彩音は私とずっと親友でいられると信じていたのだろう。私もそう思っていた。たとえ毎日顔を合わせなくても、大学生特有の長い休みの度に連絡を取り合い、これまでと同じように接することが出来ると。
大学生になってから四月の内は毎週のように彩音から連絡がきていた。時間が経つにつれ、彩音からの連絡の間隔は広くなっていくばかりだった。一か月、二か月、そして一年と彩音と連絡を取らない日々が続いた。
私は薄情な人間なのだろうか。離れ離れになれば、まあそういうもんだよね、と冷たい考えを持っている自分がいる。本当に彩音と親友でいたいなら、私から連絡をすればいいのだ。久しぶり、休みに旅行しようよと一言メッセージを送れば彩音はいつもの笑顔で尻尾を振りながら賛成してくれるはずだ。メールだけじゃ物足りなくなり電話をかけてくる気もする。目に浮かぶ。
でも私はしなかった。
彩音が嫌いになったわけではない。決して彩音との関係が億劫になったわけではない。私にとって彩音は大切な親友だ。後にも先にも彩音より大事な人はいない。そう断言出来る。
勇気が足りなかった。大学生になり、彩音には彩音の交友関係があるはずだ。高校時代は私以外に友達がいないみたいだったが、それでも持ち前の明るさと可愛さで、上手くやっているはずだ。彩音が私のどこが好きでずっと一緒にいてくれたのか分からないから何とも言えないが、もしかしたら私以上に気が合う人に出会ったかもしれない。そんな彩音に連絡を取り、彩音から邪険に扱われようものなら立ち直ることができない。
それに、私は流されるように生きてきた人間だ。彩音と仲良くなったのは、彩音が話しかけてくれたからで、私は何もしていない。私はただ彩音がグイグイ来ることに嫌悪感を抱かなかっただけで、私が必死に彩音と仲良くなるために努力もしてこなかった。
彩音に甘えていたと、離れ離れになって初めて知った。
大学生活はそれなりだった。彩音程ではないが、仲のいい友人もいた。誰からも干渉されない一人暮らしは自由に溢れていた。初めて自由を味わっている気がしていた。実家にいた時は母親からの干渉が煩わしかった。進路や進学先まで口を出す人だ。普段から私の一挙手一投足に口を挟みたがる。それがここではない。静かで穏やかな私だけの城。自分で家賃を払っているわけではないのだが。
反面やりたいことがなくて困った。自由ではあるが、流されるように生きてきた私にとってそれは怖かった。無為な時間を過ごしている気がして焦りを感じる。社会に出たらこんな穏やかな日々はもうないだろうし、これはこれでいいかと、ここでも流れに身を任せていた。
当然だが就活は苦戦した。
面接で特に話せることもない。それ以前にやりたいことなんてない。やりたいことがあっても母親の意向に沿わなければ否定され続けてきた人間が今更やりたいことを考えても何もなかった。
どうにかこうにか小さな会社でSEとして働き始めた。文系の私は就職してからも苦労に苦労を重ねていた。大して面白くもないことに必死になりながら、気が付けば社会人二年目のゴールデンウイークを迎えていた。
休みの日は心が落ち着く。
仕事のことを全て忘れ、大学生のような気楽な日々を取り戻せる。
ゴールデンウイーク初日、私は昼頃起きた。昼食を取りながらスマホでSNSを見る。大学の友達に登録だけでもしたら、と言われアカウントだけ作っていた。自分から何か発信したりはしていない。そもそも書くことがない。
大学の友達全員が帰省や旅行やらの写真を更新していた。皆それなりにいい会社に就職していた。きっと金銭的に余裕があるのだろう。羨ましい限りだ。安い給料で働いている私とは違う。
悲しくなるから考えることを止めた。
友達は少ないから必然的にフォローしているアカウントも少なく、更新分はすぐに見終わった。
アプリを閉じようとしたところで通知があることに気が付いた。見ると、知り合いではありませんかの文字と誰のものか分からないアカウントが一個表示されていた。アカウント名はAYAとなっていた。
「まさかね」
私は一人で呟いていた。仮にアカウント名が自分の本名から取ったものであれば、私の知り合いで「あや」と付く人は彩音しか知らない。
私は表示されているアカウントのアイコンを触り、そのアカウント主を確認することにした。
「彩音」
私は無意識にかつての親友の名前を呼んでいた。
そのアカウントには画像が十枚程上がっていた。一番古い画像は六年前となっていて、自撮り画像だった。間違いなく彩音だ。見間違えるはずがない。彩音の横には顔が絵文字で隠されている人が一緒に写っている。日付と背景から察するに卒業旅行一日目の写真だろうか。そうするこれは私だ。そういえば彩音と一緒に沢山写真を撮った気がする。
画像と一緒にコメント文が書かれていた。「大好きな親友と卒業旅行。楽しい。本当はずっと一緒にいたい」
私は懐かしさが込み上げてきた。あの時は本当に楽しかった。彩音もそうなのだろう。でなければ私の知らないSNSアカウントでこういうことは書かないはずだ。
他にもアップされている画像を見ることにした。私の知らない彩音が知れるかもしれない。覗き見するみたいでドキドキする。
次に古い画像は三か月前に更新されていた。私との卒業旅行の写真を上げてから随分と間が空いている。画像には真上から撮ったオムライスが二つ映っていた。一緒に書かれているコメント文に私は驚きの声を上げた。
「え……! 彼女……!」
彼女の手料理、と一言だけ書かれていた。
当然と言えば当然だ。彩音は可愛い。こっちに来てからの彩音とは会ってないから分からないがきっとさらに可愛くなっているはずだ。もしかした美人という言葉が相応しくなっているもしれない。そんな彩音に恋人が出来たって不思議でも何でもない。私には知らない彩音の交流が、人生がある。
私の親友だった彩音を取られた。少しだけ寂しさを覚えてしまった。だがそれはあまりに我儘だ。何年も連絡をとっていない私が、取られた、なんて考えるのはお門違いだ。
他の画像も見ることにした。大概はデートの様子なのか、夜景や料理の写真ばかりだった。最近アップされた画像が一か月前になっていて、そこには彩音ともう一人一緒に写っていた。
彩音はあまり変わっていなかった。長い髪も、大きな目も、えくぼも私の記憶にあるまま。コメント文には、彼女とツーショットとだけ書かれていた。やはり彼女か。私は彩音の彼女の顔をまじまじと見た。目が細く色白。恋人といるのにどちらかと言えば無表情。大人しい娘なのかもしれない。であれば彩音と相性はいいだろう。
それにしても、彩音の彼女をどこかで見たような気がする。取り立てて特徴があるわけではないからだろうか。そもそも私に知り合いなんてほとんどいないのだから私の気の所為か。
今頃二人で旅行でもしてるのかな。私は少し感傷的な気分になりながら彩音に思いを馳せた。
ゴールデンウイーク二日目。私は今日も昼頃に起きた。連絡を取り合えるチャット形式のSNSにメッセージが入っていた。高校三年生の時のクラス全体グループからだった。
「高校卒業から約五年。同窓会をやりませんか」
その下には日時や場所が詳細に書かれていたが、私は返事をすることなくアプリを終了させた。高校時代の思い出なんて彩音のことしかない。彩音がいるなら行きたいが、彩音も私以外に友達がいなかったから多分行かないだろう。彩音がいないなら行く理由はない。
昨日と同じように彩音のSNSアカウントを見に行った。無性に気になってしまう。
更新はされていなかった。
一度彩音のことを考え出すと色々話したいことが湧いてくる。今どこで何をしているのか。楽しく過ごせているのか。彼女とはどこで知り合ったのか。大学生の時の事も聞いてみた。急に連絡したら驚くだろうか。彼女とデートしているかもしれない、とか色々理由を付け、私は結局何もしなかった。
その日の夜に携帯電話が鳴り響いた。私に電話してくる人なんていない。これは会社からかもしれない。恐る恐る確認すると、六車彩音と表示されていた。
「嘘、どうして……。え……」
私は深呼吸してから通話ボタンを押した。
「もしもし」
私の声は震えていた。なぜだか緊張してしまう。
「もしもし、那奈美?」
彩音も緊張しているのか少し声が震えている気がする。
彩音の声だ。何年も聞いていなかったのに、たった一言聞いただけで昔に戻ったような気さえする。
「うん。久しぶり。どうしたの」
「高校の同窓会の案内来てたじゃん。見た?」
「見たよ」
「それでさ、何だか懐かしくなって。那奈美と話したくなっちゃった」
嬉しいことを言ってくれる。私が何となく連絡するのに躊躇しているのに、彩音はそういうことはさらっとやってのける。そして私が持つ壁も簡単に飛び越えて来る。
「私も彩音と話したかった。でも今まで連絡取ってなかったのに急に連絡したら迷惑かなって思うと出来なくて」
「そんなことないよ! いつでも連絡してよ」
最初は若干たどたどしかった会話もすぐにあの頃のようにすらすらと会話出来るようになった。
「那奈美はどこに住んでるの」
お互いの近況を報告し合い、二人とも東京で働いていることが分かった後、彩音が聞いてきた。
「昭島。通勤と家賃を考えてね」
「結構近い! ねえねえ、明日暇? 会いたいな」
彩音の声に熱がこもっていた。
「暇だよ」
私は即答した。
「どこで待ち合わせする?」
彩音が一拍置いてから言った。
「私の家に来ない?」
昨日の電話で夕方六時、日野駅に来てと彩音に言われた。私は時間通りに到着し、彩音を探した。辺りを見回していると、後ろから両肩に何かが触れ飛び退いた。
「びっくりした?」
彩音だった。私の中の思い出の中の彩音と寸分違わぬ姿があった。
「びっくりしたよ」
私はわざとらしく怒ったような顔をした。が、耐え切れずすぐに笑顔になった。
「久しぶり、彩音」
「久しぶり、那奈美」
彩音は笑顔でそう言うと抱き着いてきた。本当にあの頃に戻ったかのようだ。
彩音が私の手を握って歩き出した。
「さ、行こ。ちょっと歩くけど」
駅の人込みを抜け、十分くらい歩いたところで彩音が住んでいるというアパートに到着した。その間彩音は手を離さなかった。逃げたりしないよ。
部屋はシンプルだった。床から30cmくらいの丸テーブルに座布団が二枚。それとベッドだけ。部屋の隅に本やら会社に持っていく鞄なんかが置いてあるがとても綺麗だ。
「いらっしゃーい。結構綺麗でしょ」
彩音が誇らしげな顔をしながら言った。
「あ、でも、クローゼットの中は見ないでね」
この口ぶりからすると色々押し込んだな。まあ、私は非常識な人間じゃない、そんなことはしない。
「座って待ってて」
そう言うと彩音は冷蔵庫から大量の缶のお酒を取り出した。しかも500ml缶。ビール、ハイボール、焼酎、選り取り見取り。
「彩音って結構飲むの?」
「私はそんなに。那奈美が何飲むか分かんなくて色々買っちゃった」
常温のワインまで瓶で出てきた。さらに冷蔵庫からゆで卵やおつまみになりそうな野菜類を取り出し、テーブルはあっという間に埋まった。それに飽き足らず電子レンジで冷凍の唐揚げやフライドポテトを温め始めた。
「こんなに食べられないよ」
私は量の多さにたじろぎながら言った。
「残ったら明日食べるし、大丈夫」
「あ、お金」
お酒を飲んで有耶無耶になる前に払っておきたかった。彩音と対等でいたい。
「私が呼んで、勝手に用意しただけだから」
「でも」
「今度那奈美の家で飲もうよ。その時はお願い」
魅力的な提案だった。私は納得し頷いた。
彩音も座布団に座り、私と向かい合った。私はハイボールの缶を開け、彩音はビールの缶を開けた。
「それじゃあ」
彩音が缶を掲げた。
「再会を祝して乾杯」
缶と缶をぶつけた。わずかに指が触れる。私はお酒に強くないから一口だけ飲んだ。彩音は豪快に飲んで半分ほど開けたようだった。
「いやあ那奈美とお酒が飲める日が来るなんて」
彩音が感慨深そうに言った。何となく連絡くれればよかったのに、と責められている気がする。
「ごめん。連絡すればよかったね」
「責めてないよ。私も連絡しなかったしさ」
彩音はお酒を飲み進めていく。顔色に全く変化がない。結構強いのだろうか。
「今日は今までの分を埋めるよ」
彩音はそう言って500ml缶を飲み干し、二缶目を開けた。ペースが速い。私はまだ二口しか飲んでないのに。お酒の力もあるのか彩音は饒舌になる。私も段々楽しくなってきて話が止まらない。彩音のお酒を飲むペースは変わらず開始から十五分位で三本目に突入していた。
「大丈夫、そのペース」
「平気平気。いつも全然酔わないもん」
そう言っているが、彩音の顔は真っ赤だった。意味もなく体を揺らしているし、これは一般的には酔ってると言う。
私が半分程飲む間に、彩音は合計三本飲み干した。三本目を飲み終えると、彩音は突然立ち上がり私の横に移動してきた。かと思うと床に寝転がり、胡坐をかいている私の足に頭をのせた。
「彩音酔ってるでしょ。水飲みな」
私が立ち上がろうとすると、彩音が腰のあたりを掴んで妨害してきた。
「酔ってないよう。信じて」
酔ってるじゃん、と思いつつも座り直した。好きにさせよう。私は彩音に甘い。
彩音が顔をグリグリと私の太ももに擦りつける。行動が小動物系だ。
「那奈美。ふふ、那奈美」
彩音は何度も私の名前を呼んでは笑う。一々反応してられなくて、私は少しずつお酒を飲みながらおつまみを黙々と食べてた。サシ飲みで一人がつぶれるとこうなるのか。こうなってしまうともうつまらない。
彩音はたまに起き上がりお酒を飲み、私の足を枕にして寝転がるを繰り返す。深酔いしていき、言動もおかしくなっていく。
「那奈美、いい匂いがする」
洗濯する時の洗剤の匂いだよ。
「那奈美、柔らかい」
悪かったな。運動不足で学生の時よりは多少体重が増えている。多少。
「那奈美、頭撫でて」
言われた通り撫でる。
私も大分酔ってきた。普段なら500ml缶を飲み切らないが、今日は既に二本目の半分まで到達していた。正常な判断力が失われてきた気がする。頭を撫で始めてしばらくすると彩音の呼吸が乱れてきた。那奈美、那奈美、と何度も私の名前を呼ぶ。
何だかいけないことをしている気がしたが、それは一瞬で頭から追いやられた。楽しくなってきてしまった。このまま撫で続けたらどうなるのか。さらさらの髪が気持ちいい。時折耳を軽く触る。彩音の反応が変わる。これは……。
意識はここで途切れていて、気が付いたらテーブルに突っ伏していた。顔を上げると彩音がお酒を飲んでいた。まだ飲むのか。
「あ、起きた」
「今何時」
私は呻くように聞いた。
「夜中の一時」
終電は過ぎていた。いつの間にか今日は帰れない時間帯だ。起きてお酒飲んでるんだったら起こしてくれてもよかったのに。酔ってるからそんな判断は出来ないか。
「泊っていくでしょ」
彩音がさも当然のように聞いた。
「悪いけど、いい? 私は座布団並べて寝るから」
「お客さんにそんなことさせられないよ。ベッドで寝なよ」
「家主差し置いてそれは出来ないよ」
彩音がキョトンとした表情を浮かべる。
「私もベッドで寝るよ。一緒に」
彩音はそう言うと持っていた缶の中身を飲み干した。一人で六本も空けている。そもそも水分として3L飲んでいるのが信じられない。
「眠いし、寝ようか」
彩音はベッドに布団に入り、布団を持ち上げ手招きした。
「その前にトイレ借りていい?」
立ち上がると酔っているのかくらくらする。急に動いたからか体中の血の巡りがよくなり、耳の中の血流音が聞こえる。心拍も速い。トイレを済まし、彩音と一緒のベッドに入った。
彩音が抱き着いてきたが、予想通りで笑ってしまった。
「そういえば卒業旅行でも一緒に寝たよね」
彩音の言葉であの時のことを思い出した。そういえば、あの時彩音はノーブラだった。今はそうなのか気になるが、そんなこと聞けるわけがない。
あの時と同じように彩音の胸が腕に当たる。いや押し付けてないか、これ。
私は何も考えないように目を瞑り、酔いに任せて寝る事にした。が、なかなか眠気がやってこない。
彩音は最初、何度も那奈美、那奈美、と嬉しそうに名前だけを呟いていたが、すぐに寝息を立て始めた。私だけが変に意識して眠れない。
眠気がやって来たところで、私に抱き着く彩音の力が少しだけ強くなった気がする。そして本当に小さな囁きが聞こえた。
「那奈美、好きだよ」
鼓動が速い。
これはお酒の所為だ。
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