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「いいんだよ、死んでも」
人垣を掻き分けて、最前列までいくと、ゆっくりと彼に向かって歩いていく。
「ちゃんと見といてあげるから。大丈夫、怖がらなくていい。さよならをしよう」
彼は生色がない顔をこちらに向け、小さく笑みを浮かべる――そして……。
屋上に女子の短い悲鳴が沸いたあと、時が止まったかのように辺りが静止した。空気が張り詰める。そんな中、慌てて屋上から出ていく先生たちの足音が響く。
「飛び降りた……」
後ろから男子の声。
すると、時がまた動き出したかのように……。
見物客は茫然自失するもの、身を寄せ合い泣いている女子、愕然として喉から突いて出た声声。ざわざわと嵐に揺さぶられる梢のように、屋上は震撼と化した。
するとおりしも、後ろから志季の肩を強く掴んでくるものが……。
よく知らない男子だった。
「お前、何やってんだよ!」
「え?」
「え、じゃねーよ! お前のせいであいつ飛び降りたぞ!」
「僕のせい?」
志季は小首を傾げると、男子の手の甲に手のひらを添えて、
「それは違うんじゃない? 僕は彼を助けてあげたんだ」
「どこがだよ!」
男子は志季の肩を掴んでいた手を引っ込める。
「彼は苦しんでた。だから苦しみから解放してやったんだ。それにさ、いじめていたのは君たちでしょ? 君たちがいじめたせいで、彼は苦しんだ。だから、僕は彼が望む究極の安らぎに賛成したんだ」
男子は、底気味悪いものを見るかのように顔をしかめると、一歩あとじざる。
「お、お前キモいよ……」
「キモい?」
「なんで笑ってんだよ……」
自分でも気付かないうちに笑っていたようだ。顔を指の腹で触れてみると、口角が上がっているのがわかった。
「そ、それに俺はあいつをいじめてなんか……」
志季は、もうそんなことどうだってよかった。屋上から見える碧空を仰いで、吐息を漏らす。
なんて清々しい気分なんだろう。彼を解放してやった、その事実がたまらなく嬉しかった。気持ちよかった。
ヒトが死ぬことで生きてる実感が湧き、何かが血管を通って全身が満たされていく感覚に鳥肌が立った。
この感情は……。――例えて云うならば、性的な絶頂の感覚に近い。
そして、屋上から飛び降りた彼はというと、すぐに救急車で病院まで搬送されたがしかし、ほぼ即死で助からなかったという。
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