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ところで二松学舎大学の江藤茂博教授と山口直孝教授、研究家の浜田知明の編纂した『横溝正史研究3』(2010)では巻頭に横溝亮一にインタビューした「岡山疎開時代の思いで」を掲載した。
インタビューしたのは2010年六月二十日。インタビュアーは冒頭の三人とある。
その中に看過できない部分がある。
<次々と伺って恐縮ですが、津山事件のことを、横溝正史は、岡山市内のどこかのデパートの防犯展覧会で初めて知ったと書いています。それに関して、何かご存知のことはあるでしょうか。
横溝 いや、僕はそれについては何も知らないですね。おやじからその話を聞いたこともないと思います。津山事件というのは、どういう事件ですか?
結核療養中の若者が、村八分になり、そのことを恨んで、ある日、猟銃と日本刀で村人たちを皆殺しにした事件です。『八つ墓村』のモデルになっています。
横溝 ああ、『八つ墓村』のヒントになった事件ですね。
そうです。
横溝 その話も加藤さんから聞いたのではないでしょうかね。
そうでしょうね。疎開の頃は、執筆中の小説のことをお父さんからうかがうようなことはあまりなかったんでしょうね。
横溝 なかったですね。その頃は、僕はまだ中学生ですから、昼間は学校に行っていて、家でどういうことがあり、誰が来ていたということでは、知らないことも多いと思います>
いかがだろうか。
まず大学教授か研究家のインタビュアーの質問自体、おかしい。
前述したように、横溝正史は、
<新聞社の催しで岡山県警の刑事部長から初めて津山事件のことを聞いた。
その後、しばらくしてから同じ新聞社主宰の「防犯展覧会」に招かれて津山事件の陳列を観た>
と『真説 金田一耕助』に書いている。
大学教授、研究家の三人とも横山正史の『真説 金田一耕助』を読んでいないのか?
そのうえ、一方では、犯人が「村八分になり、そのことを恨んで・・・」などおかしなことを言っている。
事件のあった集落には、事件の被害者や関係者の子孫もいるのだから、不用意に「村八分」などと言うべきではないだろう。
インタビュアーが殆ど事前準備をしていないことが伺える。
横溝亮一の発言も同一人物と思えないほど変わっている。
『八つ墓村』に寄せた文章では、ハッキリ加藤一から津山事件を聞かされたと書き、加藤一の語り口を今でも記憶していると明記している。
ここでは、津山事件の名前まで出している。
ところが十年後には、
「津山事件とは何か」
とインタビュアーに聞き返したうえ、
「その話も加藤一から聞いたのではないか」
と曖昧な発言をしている。
加藤一の語り口を記憶していた人間が、十年後、何もかも忘れていたとはあまりありえない話だろうかと思う。
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