22人が本棚に入れています
本棚に追加
七瀬みくるが勢いよく顔をあげる。思ったよりも大きな声で、道行く人が何人か訝しげな顔で俺たちを振り返る。
七瀬みくるは恥ずかしそうに口をおさえた。その仕草は中三の頃と何も変わっていなかった。
「実はね、昨日まで悩んだの。ここまで来るのも怖かった。足がすくんで何度もやめようと思った。それでも小村くんにわたしの本を読んでもらいたかったの」
小村という名前はすっかり風化していたのに、いざ七瀬みくるを前にするとあの時の記憶がいっせいに蘇ってきた。
いつのまにか俺の心は七瀬みくるに会えなかったあの合格発表の日に戻っていた。目の前の人は顔もファッションもすっかり大人びていたけれど、間違いなく中三の七瀬みくるの延長線上にいるのがわかった。
「うん、七瀬、来てくれてありがとう。ずっと会いたかったんだ。だって七瀬、手紙に書き逃げしていくんだもん」
「ごめん。……でもねわたし、今も気持ちは変わらないよ。だから今日来たの」
まわりの景色が遠くなり、駅の喧騒が自分の声にかき消される。
「俺も。五年前からずっと変わらず好きだ」
言っておきながら急に恥ずかしくなって、俺はごまかすように頭の後ろをかいた。
「本さ、今から読むから、その、どっか行かね? 成人式の会場じゃなくてフツーの……喫茶店とか」
「はい、よろこんで」
七瀬みくるは花が咲くみたいに笑った。
まるでどこよりも早く春が訪れたようだった。
(「死ぬなら春の海がいい」 完)
最初のコメントを投稿しよう!