強敵

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「ドタドタが下まで聞こえて、うるさいんだけど」  拠点の入り口を開け放つ少女。  よく見知った彼女が来訪することはよくあることだが、いかんせんタイミングが最悪だった。  ──奴だ。  好機と見た奴が標的を少女へ。自慢の加速をもって動き出す。  この……ッ!?  「杏奈ッ!!」 「な、なに」 「危ないッ!!」 「え? ──ひゃあッ!!」  杏奈に飛び込む。上手いこと抱え、そのまま転がる。同時に玄関のドアも閉める。  周りを見た感じだと奴は家の中に取り残され、俺たちだけが外。どうやら無事脱出できたらしい。  咄嗟の機転により、奴からの攻撃を躱しつつ、俺と杏奈が戦線離脱できたのだ。まだ戦いは終わってはいないが、今の攻防は完全なる俺の勝利と言えよう。  ……ふぅ。俺のほうが一枚上手のようだったな。さすが俺。俺さすが。  一つ目の白星に酔いしれていると、腕の中の杏奈がチョンチョンと袖を引っ張ってきた。 「いつまで……」 「ん?」 「……いつまで、抱きついて…………これから、な、なにかするの?」  あ、おーう……。  見れば、壁に背をついた俺が彼女をガッチリホールドしているではないか。 「順序を考えて、よ」  感じる体温。……杏奈って着痩せするタイプだったのか。  香る甘美な体臭。……汗もかいているはずなのになんて凄まじい甘い匂いなことか。  注がれる彼女の潤んだ瞳。……怒られてでもキスしたいと思わせるほどの強烈な引力があるではないか。  ……っと。まずい。意識が現実に戻されてしまう。いかんですよ。今はダメだ。  ほんとーになんとか。俺でなければ理性が消し飛んでいただろう。ちょーギリギリのところでこらえた。  何事もなかった風を装い、自然な所作で彼女を開放する。  赤面した顔を見られないように体の向きも変え。  そして平静を意識しつつ、立ち上がって一言。 「……杏奈三等兵。戦場での気の迷いは死に繋がるぞ」  瞬時に、彼女の目が死んだ。  ……う、うん。もう慣れたものよ。  さっきまでの青い春的な雰囲気は霧散した。  魅惑的だった表情が欠落していき、果ては「控えめに言って死んでほしいんですけど」という侮蔑な視線を俺に送っている。こころなしか猛烈な怒りも内包されている気がする。  魔王級の威圧感。控えめに言って敵う気がしない。大佐の俺でさえ全裸で土下座してしまうそうだ。恐るべし三等兵。 「……あー」  俺の装備を確認すると、いつも通り納得と言った感じで言った。 「そーいうこと。また将軍? とか言って茶番してるわけか」 「将軍じゃない。大佐だ」 「どっちでもいいけど。ゴキブリ退治にどれだけ壮大な設定つけてるのよ」 「おい。ゴキブリって言うな。『奴』もしくは『G』と呼べ」  あと設定もやめろ。我に返って恥ずかしくなってくるだろうが。 「はいはい。で、どうなったの?」  すっかりいつもの雰囲気を取り戻した杏奈。  もう少し。ほんのちょっとだけでも……かわいいモードを拝みたかったが仕方ない。  彼女は腕を組み、扉に背中を預けた。正しく、歴戦の猛者の風格がある。  悔しいことに三等兵ながら中々様になっているじゃないか。俺にもやらせろ。 「一度引いて作戦を立て直そうと思っていたところだ」 「退治できてないと」 「退治じゃない。『撃破』と言え」 「どっちでもいいでしょ。それに出来てから言いなさいよ」 「まあいいだろう三等兵。これからのことだが」 「三等兵言うな。中二病」  あー言えばこー言って。現実を叩きつけてくるな。  あとな、中二病を自覚してやっている奴は痛くはないから。よって、俺は自覚してなおかつ忠実に演じているわけだから大丈夫なのだよ。絶対にだ。 「杏奈三等兵。少し緊張感が足りないのではないか?」 「あんたがね」 「そんなんで大丈夫なのか?」 「あんたこそね」 「お前の将来が心配になるよ、俺は」 「私の方がね」 「このままでは三等兵止まりだぞ」 「何等兵でもいいし」  無理矢理こちらの雰囲気に持っていこうとしても無駄だった。  冷然と切り返されるばかり。さすがに無理があったか。  浅はかな俺の魂胆など見破られていたようで、杏奈はいつになくマジな顔で死の宣告を下す。 「来週の土曜日……いいの?」 「くッ…………」 「全国模試の勉強は?」 「杏奈さん」 「……な、なに。いきなり真剣な顔してさ。……ま、まあ、教えてって言うなら泊まり込みでも──」 「俺だって現実逃避したい時ってのがあるのさ」 「あそ。そのまま返ってこなくて良いんじゃない?」  ダメだなこいつ、と全身のオーラで体現する三等兵はおいておく。  ……ともかくだな。こちとら模試なんぞよりも喫緊の課題があるんだよ!!   奴がいるんだぞ!! 他でもない俺の拠点にだ。  そんな中、呑気に模試とやらの勉強だと? ……はっ。笑止千万。んなとこで集中どころか、気楽にアイスすら食えないではないか!!   故に、奴の殲滅は最高優先事項と言える。絶対にだ。 「そんなことよりもだ。奴の撃破が優先だ」 「……それは、まあ、確かにね」 「お? やる気が出たか」 「……手伝いはする。けどその茶番には付き合わないから」 「なんだと。やるなら全力でやれよ」 「だから……」 「手伝っていると言った時点で茶番に付き合うと言っているようなものだぞ。三等兵さん」 「……あーうるさいな。分かった。分かりましたよ…………大佐」 「ふっ、よろしい。杏奈三等兵」 「ドヤ顔うざ」  やれやれ系主人公の如く。  めんどくさそうな顔で己のしなやかな黒髪を束ね、ポニーテールへと変えてみせる。これから戦闘ということを考慮して動きやすいようにしたのだろう。  ……んだよ。意外とノリ気か、三等兵さんよ。  にしても。髪を縛っている時に口で髪ゴムを咥えるとか……分かってんなあ、杏奈さんよ。  夏ということもあり薄着かつ涼し気な服装の彼女。そんなおなごが髪を縛るとどうなるか。夏の絶景が拝めるというわけだよ。  絶妙な色気の演出をわきまえている。やりおるな。 「……なにニヤついてんの」 「いやー別にー」 「……うっざ…………どうすんの」 「そうだな……」  さて、どうするか。  新戦力も参戦。しかも割とやる気あり。  あーだこーだ言って、杏奈も毎回楽しんでいるようですらある。これ以上は本気で怒られそうだから言わないけど。  しっかしよぉ。かわええな。そのポニーテール。  夏だから若干汗ばんでいるのもあって、妙に色っぽいんだよ。いやあほんと、茶番でドタドタして良かったわ。黒歴史をもろ生公開しても安いくらいだぜ。  ……って、ちがーう!!   毎度お馴染みのボケはいらんわ。真剣にやれ。さもなくば惚れてまうぞ。  気を取り直して。状況を確認しよう。  1LDKの間取りで先の出没場所はリビング。  奴の居場所は分からなくなった。恐らくはリビングか廊下にいるはず。  こちらの戦力は二人。美女と野獣(でありたい)の俺。  あちらの戦力は、判明しているのは一体。常識的に考えてあと三十体ほどいてもおかしくはないが、今はいないものと見なそう。じゃないとキリがなさすぎて現実逃避の止め時がなくなる。  部屋の温度は三十度。起きてすぐクーラーを付けようとして始まったゲリラ戦だったためである。 「……こんくらいか」 「あん……大佐はさっき起きたってこと?」 「そうだ」 「……なにしてんのよ。十三時に起きるとか正気?」 「これが普通だ」 「夏休み期間ずっと?」 「もちろんそうだが」 「……ありえない」  甘いな。プーゲンダッツのチョコクッキー並みに甘いぞ、三等兵。  ありえないと思っていた事象を体現する男、すなわち大佐こと俺が存在してるのだ。それはもうありえることなんだよ。 「なら……私が、起こしてあげようか?」 「いや俺もう起きてますけど」 「……はあ、いい。奴をどうするか考えましょ」  杏奈が何度目かの呆れたため息とともに話題を戻す。  気にはなるが今はほっとこおう。  奴がいつまでもリビング付近にいるとも知れないのでさっさと決めるが吉だ。 「前が俺、その後ろが三等兵。でどうだ?」 「撃破できるの?」  なんやかんやでノリの良い幼なじみだぜ。 「俺を誰と心得る。大佐ぞ」 「撃破数0のくせに」 「……いいから、いくぞ」 「はいはい」  痛いところを付かれた。悲しいことに真実なのだから目を背けるくらいにしか対抗できないのが俺です。  またまた気合を入れ直す。  予備として持っていた武器と盾を三等兵に渡す。  これで戦闘態勢は整った。いざ、行かん── 「スリッパと雑巾じゃん。ださ」 「おい。これは武器と盾だ」 「……はーい」  いちいち突っ込んでくるとは……戦場へ赴く前に大佐として叱責しておかねばならないいようだな。 「いいか? これはな……全人類の未来がかかっているんだぞ。失敗はすなわち人類滅亡だ」 「人類滅亡の前に模試だけどね」 「だからおい。もし戦いに負けたらの話だが、真剣に──」 「模試だけにね……ぷぷ」 「面白くねえよ!! 笑いのツボ浅すぎだろ!!」 「いや、私が笑ったのはあんたの中二全開ムーブに耐えきれなかったから」 「急にマジ顔マジトーンやめろよ!!」 「さっきからうるさいわね。小学生みたい」 「その小学生の茶番に付き合ってるのはどこのどいつだ」  よし、行こう……というところでなぜか、わちゃわちゃ言い合いに発展した。  なんてこった。あまり夏休みに遊ばなかったことによる寂しさと暑さのせいでテンションがハイになってしまったらしい。こんな会話でも、楽しい嬉しいビーハッピーな頭だったのかよ俺。  ……だから、G殲滅だろうがよ!!   また思考が変な方向に行く。こりゃ本格的にまずいな。  なにがまずいって杏奈もいることだし、羞恥心ちゃんが俺の斜め後方の電柱からこちらをうかがっているのだ。代わりましょうか? と言いたげに。  中二心くんが必死に働いてくれているというのに、今羞恥心ちゃんに出てこられてしまえばGを放っておいて部屋に引きこもってしまいそうだ。 「まあ、いい。悶えるのは後だ」  もう何度目か、気合を注入する。頬を両手で叩き、強制的に意識を切り替える。  杏奈にはノリ気と見せかけて現実に引き戻すような発言を謹んでもらい、いざ戦線へ。 「現時刻一三三〇をもって作戦を実行する」 「……三五だけど。『まる』って言いたいだけじゃん」  無粋な声は無視して、俺たちは我が拠点へと足を踏み入れた。
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