薔薇は咲く ※

1/8
前へ
/113ページ
次へ

薔薇は咲く ※

無機質な箱庭の様だ。 VIPルームの壁一面に大きく嵌め込まれたガラスパネルから仁斗は色を無くした階下の世界を見下ろしていた。むき出しのコンクリートに囲まれた薄暗い店内に交ざり合う光、隣合う人の声すら音の渦に消えていく中で踊り狂う人の波。 クラブ ’ Shadow ’ 新宿歌舞伎町、その一角にあるこの店は仁斗の父が総代を務める千龍会のシマの中にある。 ― 佐神仁斗 構成員五千人を預かる千龍会総代を父に持ち、次期総代を継ぐ仁斗の名はこの界隈では有名だ。それを特別不幸だと思った事はないが、幸せだと思った事もない。 180を越す長身、恵まれた均整の取れた体躯に類い稀な整った容姿。白い肌の首元からは最近入れたばかりの墨が顔を覗かせている。 左半身に腹から首に掛けて駆け昇る黒き龍は、権力の象徴だ。千龍会総代だけに許されたこの黒き龍は、跡目を継ぐ時に色が入れられそこに美しい花が咲く。 父の黒き龍は菊を抱き、母の右半身には蒼い桔梗が添えられていた。総代が生涯を捧げる相手だけに許された対の刺青は、幼い仁斗から見ても美しく、互いを深く想い合った両親は憧れでもあった。 体の弱かった母が他界したのは、仁斗が中学に上がった年だ。半身を失った龍がひっそりと左で泣いたのはその時だけだった。 母が居なくなった家では常に暴力の匂いが立ち込め、外へ出れば ’やくざの子’ と後ろ指を差される。母が亡くなって初めて、自分はこういった事から母に守られていたのだと知った。腹に募る感情を表に出さない事は仁斗なりの防衛手段だったが、それは内側を侵食する様にゆっくりと仁斗から色を奪っていった。 「明日からこの部屋、空いてる時は好きに使っていいってよ」 弾んだ声でそう言って仁斗の隣に並ぶ男は ― 藤堂一徳。 仁斗の幼馴染であり、この店のオーナーは一徳の母、藤堂あやめだ。 「そんな景気のいい事言って、あやめさんの事だから請求はガッツリ親父ん所いくんだろ?」 ’ 間違いねぇ ’ と笑う一徳に、仁斗も薄く笑った。 未婚の母として一徳を育てたあやめは千龍会のシマでいくつもの店舗を経営しており、一徳はそんな母を手伝ってバーテンダーをしている。高級クラブから若年層向けのクラブまで客層に狙いを定めすぎない経営手腕と顔の広さでこの親子に敵う者はいない。 「朝陽、遅ぇな。一徳、ちゃんと伝えたんだろうな?」 背中越しに聞こえる声に、仁斗も一徳も振り向く。 ― 八坂純輝。 仁斗のもう1人の幼馴染であり、純輝の父は総代でもある父の補佐をしている。頭の切れる男で仁斗が1番に信頼を寄せる相手だが、純輝は自身の父である光輝から仁斗の監視役を言い渡されていて、仁斗に対しては若干小姑めいた所があった。 「伝えたって!明日から養成所入りすんのに朝陽抜きなんて考えらんねぇじゃん」 ’ 養成所 ’ それは関東でも悪名高い栄湊高校の別名だ。卒業する生徒の6割が極道かチンピラという荒くれ者の集まりで、名を売りたい者がこぞって集まるこの養成所に、仁斗を始めとした純輝、一徳、そしてまだ姿を見せない朝陽は明日から入学する事が決まっている。 ― 宇田朝陽。 千龍会 宇田組組長の息子で、同学年の4人は組内での行事で何かと顔を合わせる機会が多かった。 喧嘩に滅法強い仁斗が唯一勝敗を付ける事が出来ないのが朝陽で、意思の強い漆黒の瞳、男らしい凛々しい顔立ち、その反面笑えば途端に可愛くなる。 しばらく振りに朝陽に会えると楽しみにしていた3人は、揃ってガラスパネルから階下を見下ろした。
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!

374人が本棚に入れています
本棚に追加