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「本郷寺。待って。夏祭りのことなんだけど」
僕を引き止めたのはクラスメイトの青山昭介(あおやま しょうすけ)だ。その瞬間、クラスの視線が一気にこちらに集中する。
突然のことに怯えて、僕は体を強張らせて昭介を見上げた。
「なに? 青山くん」
―ひぇっ。……な、なんだろう。
急に呼び止められるなんて、と僕は内心で動揺する。
僕よりも図体がでかい昭介が小さく頷いた。
青山昭介は、どちらかと言えば静かで寡黙で人の輪の中心よりも少し外れた位置で見守っているほうが多い、そんな男だった。無表情というか、友人たちと楽しく会話しているときも、大きな声で笑っている姿は見たことがない。けれど大人しいというわけではなくて、勉学もスポーツもそれなりにこなし、誰に対しても平等に接していて実は頼りがいがある。そんな人物だから教師からも信頼が厚く、クラスメイトたちの好感度も高い。
―まるで少女漫画に出てくるヒーローみたいだよね。
それが僕から見た昭介の印象だった。
そんな昭介が周囲の注目を集めているのにも関わらず、まるで気にしていない様子で僕に話しかける。
「おれ。本郷寺ともっと仲良くなりたい。だからみんなで出かける夏祭りだけど、おれと一緒に、祭りをまわってほしい」
「―っ!」
一瞬、照れたように昭介は笑みを見せる。僕はその瞬間、固まって、息を喉に詰まらせた。
驚き過ぎて、答える言葉が出てこない。
昭介はあまりに堂々としていてみんなの前で誘いをかけてきた。周囲では、声はひそめられてはいるが、明らかにざわついている。探るようにして、こちらの動向を見守っている。
僕は混乱していた。
―それって、つまり。僕と? 二人きりで祭りをまわりたいってこと? どうして? え? 僕に、青山くんが好意を持っていて、誘ってるってことなの? え? ええっ!
男同士で、というのはこの際気にしないでおく。僕は特別容姿が他人より良いわけじゃないけど、これまでに誰かに好意を打ち明けられたことがないわけじゃない。そして女子にもされたことはあるが、実は同性の男子から告白をされた経験のほうが多かったりする。
昭介に対して悪い感情を持ってはいない。けれど恋愛感情と呼べるものを抱いたことはない。そもそもこれまで関わりがあった記憶がなくて、ふいを突かれた気分だった。
昭介の誘いを受けるということはつまり、公認の仲になるも同然。この先の高校生活を続けて行く中で、カップル認定されて、騒がしい日常になるのは避けられない。
―青山くんのことは嫌いじゃない。けど、ひっそりと生きていきたい身としては、正直困るんだけど……うう。
そう思った瞬間、僕は頭を下げていた。断りの言葉が口から飛び出る。
「あの。ありがとう、青山くん。でも、ごめん。その日はさ、決まった人と出かける予定があるから。一緒には、行けないんだ」
「……彼氏?」
「そう。彼氏……が」
―……なぜ彼氏? ……って、あ……!
言ってしまってからハッとした。昭介の言葉に反射的に頷いた。この嘘は最善策ではないと気づいて、すぐに後悔が襲ってくる。だが後の祭りだった。
僕が顔を上げたその刹那、周囲からわっと声が湧き上がる。
「本郷寺……っ」
昭介はさらになにか言いたそうにしていたが、そんな彼を押しのけて、僕を取り囲んで詰め寄ってきたのはこれまで静観していたクラスメイトの女子たちだった。
「本郷寺くんって、付き合っている人がいたんだね! 誰? どんな人? この学校の誰かなの?」
「え! え……っと、それは違う、んだけど」
「じゃあ違う学校の人? どうやって知り合ったの? かっこいい?」
「かっ……こいい、かな。たぶん」
「優しい人?」
「だと、思う」
「好きなんだ?」
「……好き」
か、どうかはわからない。なぜならそんな人物はこの世にもあの世にも存在しないのだから。なんて僕が混乱しながら思っている中で、囲んだ女子たちはどんどん熱が上がっていく。
「ねえねえ、本郷寺くん。どうして今まで恋人がいることを教えてくれなかったの? 知っていたら私たち、応援するのに」
「それは! 相手がすごく、お、大人、だからっ。その人に迷惑かけたくなくて。秘密に、していて」
「大人の男の人なんだ?」
女子たちから黄色い歓声が上がった。収集がつかない状況に追い込まれていく。僕はそれに耐えきれず、女子たちの輪から強引に抜け出した。
「……だから! そっとしておいてね? これ以上なにも教えられないからっ。ごめんね!」
「あ! 本郷寺くん!」
みんなの引き止める声を振り切って僕は教室を飛び出した。逃げる際に、もの言いたげな顔をした昭介の姿も見えたが、構ってはいられない。そのまま足を止めずに学校を出て帰路を急ぐ。
―どうしよう、どうしよう、どうしよう!
彼氏なんていない。いない恋人と夏祭りに行くなんて宣言をしてしまった。もう後悔しかない。
せめていっそのこと、夏祭りに行くことだけでも取りやめようか。一緒に過ごす彼氏のあてなどないのだから。そう思うけれど。行かなければせっかくの恋人説に説得力がなくなってしまうし、嘘を吐いたことがバレてしまう。
でもこのままの状態では夏祭りには行けない。独りで行っても意味がない。やはり嘘がバレてしまう。
うう、と落ち込みながら答えの出ない問題を悩み続け、そして僕は帰宅した。
いつもなら楽しみにしていたはずの夏祭りの日がくることに、こんなにも憂鬱に思う日がくるなんて。思いもせず、僕は重たいため息を吐いた。
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