それが恋だと初めて気がつきました。

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   その日の午後七時。先に食事を済ませた僕は予定通りに、タスクの食事を持ってその部屋へ向かった。僕が持つ盆の上にはカレーライスの皿と湯飲みと、そして野菜サラダを盛った小鉢がのっている。  ―今回のカレーは甘口に中辛のルーを足してみたけど、そんなに辛いってわけじゃないし。おいしかったし。牛肉も多めに入れてみたし。にぃ、おいしいって思ってくれるかな……?  着いて早々、タスクの部屋の前の廊下に食事をのせた盆を置く。食事が置いてあることをしらせるためにドアをノックしようとして、僕はその手を止めた。  ドアが少し開いていた。珍しいことに驚いて、首を傾げる。 「にぃ……?」  なんとなくの行動だった。空いた隙間から、そうっと中を覗き込む。  部屋の中に人の気配はなかった。タスクは不在のようだ。  ―ああ。トイレにでも行っているのかも。  そんなことを考えながら、開いているドアを親切心で閉めようとしたところで、僕はまた動きを止める。一瞬、視界に中の様子が映った。  室内は散らかっていた。紙がいくつも床に散乱している。何気なくそれに視線が向く。  目を止めて、それに釘付けになる。 「……え?」  散らばっている紙には、コマ割りがされて人間が描かれていた。それはイラストというよりも、本屋などで見かける漫画に近い。漫画よりも紙のサイズが明らかに大きいから、原稿とかラフ画とか、そういったものなのかもしれない。 「―? なに、これ……まさか」  きっとこれは漫画の原稿に違いないと思った瞬間、僕は好奇心を抑えきれなくて無断で部屋に踏み込んでいた。散らばっている紙に近寄ってみる。漫画にさほど詳しいわけではないが、どの紙にも人物や構図がすごく上手に描けていると、見た僕は興奮した。 「にぃ。ひょっとして、漫画家なんじゃ……?」  ここはタスクの部屋なので、これらは本人が描いたものだと思うのが普通だ。趣味で描いているのかもしれないが、それにしても描いている量が多いし、その絵柄もどこかで見たことがあるような気がするし。  プロの漫画家なのだとしたら、母親のあの反応も頷ける。  それに、と部屋の中を見回した。群青色のカーテンが閉まっている室内は僕の部屋と同じ八畳の洋間で、クローゼットが一つあるのも同じ。ベッドとテレビが置いてあるのも同じだが、この部屋には作業をしていると思われる、資料など物が雑に置かれているテーブルと、デスクトップのパソコンが置いてある机があって、書籍が詰まっているサイズ違いの本棚が三つもあった。  初めて入った兄の部屋がまるで知らない場所だったことに驚くと同時に、未知のものに触れたときの高揚感みたいなものが湧き上がってきて、心臓をドキドキさせながら僕はその場から動けずにいた。  そんな中でふと一枚の紙に目が止まる。瞬間、僕は顔が沸騰するように熱くなるのを感じた。  それには女の子の裸体が描かれていた。いわゆる濡れ場というシーンのようで。注視してしまい、思わず羞恥で体温が跳ね上がったわけなのだが。  その紙を見ていて、ふと僕は眉をひそめた。それを拾い上げる。  そして首を傾げる。 「ん……? これって」  そのシーンで喘いでいる女の子の胸部と腰回りの重要な部分が描けていない。白紙に近い状態であることに疑問を抱く。  ボソリ、と呟く。 「どうして……?」 「どうして、……って。ナオちゃん……? どうしておれの部屋に……」 「わっ……!」  背後から聞こえてきた声に驚いて振り返る。部屋の入り口には人が立っていた。  口が開いているので唖然とした表情を浮かべているのだろうけれど、目を覆うくらいのボサッとした前髪と縁の厚い眼鏡のせいで実際のところは顔がわからない。よれたシャツと木綿のズボンを穿いた素足のその男を見て、一瞬、兄と認識できなくて僕は眉を寄せた。 「え、にぃ……?」  ―なの? あれ? にぃって、こんなだったっけ……。
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