それが恋だと初めて気がつきました。

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 もうずいぶんとタスクと会っていないことを思い出した。前に見かけたときはいつのことだったか。はっきりと思い出せない。それくらい時が経っているのだろうか。  ―なんか見ない間に、すごくダサくなったような。  うーん、と僕が考え込んでいると、タスクが突然震えながら僕に人差し指を向けた。 「ナオちゃん、それ……っ。見ちゃったの……?」 「え? あ、これ? って、わあっ!」  タスクの剣幕にぎょっとして反射的に後退した僕は足元にあった原稿を踏みそうになり、とっさにそれをかわした。けれど体のバランスが崩れて転倒する。床に体のどこかを打ちつけると覚悟した瞬間、僕の体は引き上げられた。駆けつけたタスクが僕を抱きとめ、いきおいで二人して床に倒れ込む。タスクが身をていしてかばってくれたおかげで、僕は痛みを感じずにすんだ。タスクは僕と床の間でクッションみたいになって倒れている。  体を起こした僕はタスクを下に見る。 「にぃ。ごめん。ありがとう。大丈夫……? どこか打った? 痛い?」 「大丈夫。大したことは、ないから。それよりもナオちゃんは? 怪我はないかい?」 「平気だよ。にぃが助けてくれたから。にぃこそ、本当に、どこか……」  痛むところはないのだろうか、と心配する。かなり派手に転んだはずだった。タスクの眼鏡は転んだ弾みで飛んでしまっているし、前髪も上がるほど乱れて顔があらわになっていた。痛みからか、少し歪めた表情がはっきりと見てとれる。  そのタスクの顔を見て、僕の時が止まる。凝視する。  思わず二度見するほどの、こちらがうっかりと赤面させられるような、それくらい視線が離せなくなるくらいの、形容し難い端正な顔をした男が目の前にいた。肌は陽に焼けたような小麦色。少し垂れた目の尻には小さな黒子があって、筋の通った鼻、薄い唇。肩より長めのボサッとした髪形が、今では男を引き立たせて野性的にも思える。  例えるならば、これはまさに、アラブの美形石油王……!  あまりの格好良さに見惚れて自然とため息が漏れる。  だがハッとして、すぐに我に返った。  ―……え。誰、これ。にぃなの? さっきも思ったけど、にぃ? こんなイケメン属性だったっけ……? や、この声と雰囲気は確かに、にぃに間違いないけど。ええー……嘘でしょ。  目の前にいるのに信じられない。すごく混乱する。僕が困惑して沈黙していると、ようやくゆっくりとタスクが上半身を起こした。顔を覗き込むようにして、僕の頭に手を乗せて子供にするように優しく撫でる。 「ナオちゃん。おれは大丈夫、だから。気にしないで。ね?」 「……ごめんなさい。勝手に部屋の中に入って、触っちゃって」 「いや。不用心にしていたおれも、悪かったから」  優しくタスクは言ってくれる。部屋を荒らしてしまったことに僕は罪悪感を覚える。 「今更なんだけど。にぃって、漫画家だったんだね。全然知らなかった」 「ああ、まあ。隠しているつもりは、なかったんだけど。始めた頃はこの職で生計が立てられるとは、思えなかったし。趣味、くらいの稼ぎで。ナオちゃんに自慢できるほどになれたのは、つい最近のことだから」 「そうなの? にぃの漫画って、本屋で売ってる?」 「……探せば、あると思うけど」 「じゃあ買いに行ってくる。全部。だからにぃの作家さんとしての名前、教えて」  僕が迫るように言うと、タスクはわずかにたじろいで慌てた。 「え? いや……ナオちゃん! 全部、は探さないで。ダメだよ。絶対に、ダメ」 「どうして。読みたい」 「いや。……けど。年齢的にも、微妙、だから、ね……?」  なんだかタスクの歯切れが悪い。視線をそらしてなにもない宙を見ている。  なにかまずいものがあるのだろうか、と思い、床に散らばっている原稿を見て、ああ、と思い当たった。その中にきっと、兄としては弟に見せたくない、性的なものとか倫理的なものとか、そういったものがあるからだ。  ―僕は別に、にぃがエッチなものを描いていても、気にしないのに。むしろ隠されるとよけいに気になるっていうか。年齢だってさ、僕ももうすぐ十八歳になるわけでしょ。問題ないんだけどね。  内心ではそうは思うけれど、タスクがどうしても嫌だというなら、駄目じゃない範囲にしておこうかな、なんて思う。 「じゃあにぃ。大丈夫なやつだけ教えてよ。にぃの本」 「……この部屋に、いくつかあるから。それを持っていっていいよ。なにが良いかな。えっと」  ぶつぶつと思考を呟きながらタスクは僕のために探しに行こうとする。  僕はタスクを引き止める。 「ねえ、にぃ。聞きたいんだけど。話し方。なんかちょっとおどおどしい。なんで?」 「ああ、それは。ナオちゃんとこんなに近くで話すのは久しぶりで。なんか、緊張して」  なんて言いながらタスクは苦笑する。床に落ちていた眼鏡を拾いあげてまた装着して、タスクは本棚へ向かった。その背中を僕はぼんやりと眺める。  ―そういうものだろうか。僕はにぃと、そんなに長い時間会っていなかったんだね。  兄弟にしては僕とタスクには距離がありすぎるような気がする。タスクはどこかよそよそしいし、僕も接し方に戸惑っている。  これまでと同じようにタスクの生活には踏み込まないほうがいいのかもしれない。そんな風に考える。
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