第一章 二人の王子様

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第一章 二人の王子様

 気づけば私のスケジュールには勉強と塾の他に絵画教室が追加され、私は高校二年生になった。  最初は下手だったけれど、段々と成績を出せるようになっていろんな大会でも入賞出来るようになった。私が受賞すると父は喜び、私はその度行われるお祝い会が好きだ。  色んな技術や知識が存在する油画はどこか勉強と似ている気がして、反復が得意な私には心地よかっし、たくさん描いた分だけ上手くなる。より正確に色を使う方が入賞出来る確率は上がるし、勉強と同じで、シンプルで合理的なものが私は好きなのだろう。  私の進学した私立渓東高校(けいとうこうこう)は、父の母校で地元でも随一の進学校で地域にも大きな影響力を持っている。  有名なのは進学校としてだけでなく、珍しい校舎の形も理由の一つだ。校舎は真上から見た時に漢字の口やカタカナのロによく似ていて、下側を校門のある教室棟とした時、その反対側の上に芸術棟がある。  これでは漢字の二のようになってしまうが、この二つの校舎を2階にある渡り廊下で連結していることで、上から見た時に四角形に見える。  その芸術棟の上にはぽつんと旧芸術棟があり、大きさは芸術棟とそこまで変わらない。旧芸術棟のさらに右奥には旧体育館があり、バスケ部が練習をしていたりする。    去年の五月頃から行われていた教室棟の改築工事は今年の夏休み中に終わり、各教室にそれぞれ空調が設置されたことで新学期の私たちの気持ちは無条件に上がっていた。  校舎からは海も見えて、少し歩くと浜辺が広がるこの立地もたったそれだけで心を舞い上がらせる。私には縁遠いが、青春を楽しむ同級生が毎日のように笑顔になれる学校だ。 「やったね、ようやく空調が設置されたよ」 「一年の時から、夏はサウナだったもんね」 「サイコー過ぎるー」    そんな声が周りで聞こえる中、 「あーあ、マジあっついね」  と言って、私の席に両手をかけながら座りこむ男子生徒が一人。半袖の体育着をタンクトップのように腕まくりして爽やかに笑う彼はクラスメイトの清水爽多(しみずそうた)くん。清水くんは同じ生徒会のメンバーで、役職柄一緒に会議資料を運んだりアンケートを集めたりと、雑用を共にすることが多い。 「ねぇ早乙女(さおとめ)さん。大丈夫?」    正面の私を見上げた清水くんがシトラス系の爽やかで甘い香りを纏ってニッと笑う。8月後半ながら30度を超える気温で、体育をやっていた時も、彼にだけ涼しい風が当たっているように見えた。 「……さん? 早乙女さん? 大丈夫? めっちゃ無表情だよ」  体育姿の清水くんを想像していた私の意識はだんだんと教室に戻ってきて、気づくと清水くんが私の目の前で手をかざしてフリフリしていた。 「……うわっ」  手に気づいて横を見ると彼の顔がすぐ近くにあって、女の子のように長いまつげにキュルンとした可愛い瞳が私のことをジッと見据えていたので、咄嗟に目を逸らしてしまった。 「……あっ、ごめん。ぼーっとしてたから」  驚いた私に驚いた彼が豆鉄砲を食らった鳩のように目を点にしている。しかし、すぐに彼の目は私を捉えて私は再び目を逸らす。視界には奥の方で制汗スプレーをかけあって遊ぶクラスメイトが見えるが、私は彼の衣服や呼吸音を捉える左耳に全神経を集中させていた。  「早乙女さん、そろそろ行こうか」  振り向くと清水くんは立ち上がって体育着の腕まくりを直していた。そのまま彼は教卓の上に積み木のごとく重ねられた進路調査書と数学のノートを両手で抱えて私の元へ戻って来た。 「俺はノートの方持つから、早乙女さんは調査書お願い」 「わかった。でも、そっちの方が重そうだし、大変じゃない?」 「全然。早乙女さんにはいつも他でお世話になってるから、これくらいはさせてよ」    そう言って、やはり爽やかに微笑む彼の姿に廊下に足を踏み出したばかりの私は爽やかなシトラスの風を感じた。しかし、教室にはかろうじてクーラーがあるが、廊下は東側で日光がよく当たって気温は教室より高いはず。 それなのに彼といると、教室にいても外にいてもこうやって廊下を歩いていてもなぜか心地いい。 「暑いね」    廊下を歩きながら清水くんに話しかけられるも「そうだね」と短く返した。歩きながら目だけをチラッと上に動かす。すぐ近くに筋張って程よく焼けた腕、奥には爽やかな横顔と落ち着いて前を向く澄んだ瞳があった。  彼の目に吸い寄せられていると、その瞳がこちらに向く。 「さっき」 「え?」 「さっき教室で、ぼーっとしてたからちょっと心配」 「あー、いつも通りだから気にしないで」  ボーッとしてしまうのはわざとではない。  昔から感情を言葉にするのが苦手だった、だからなのか、言葉にしようと悩んでいる間に無表情で固まってしまう癖があるのだ。  それに、彼と話せるのは楽しいし、そんな彼があんなに近くにいたら……  目線を彼の方に戻すと彼はこちら側の手を私の前に伸ばして、すれ違いざまに守ってくれていた。 「気にしないでって言われても、早乙女さん、さっきも今も、ずっと顔赤いし熱中症とか……」 「えっ、うそ」  そう言われて咄嗟に廊下の窓を見ると本当に真っ赤だった。え?さっきもって言った?  どうしよう。すごい恥ずかしい。 「あははは、大丈夫そうならいいんだ」 「う、うん。大丈夫」  彼は笑ってくれるけど、私にとっては免疫のないことすぎてどうしたらいいのかわからなくなる。それを悟らせないようにそっけなく返してしまった。 「早乙女さんは志望大学もう決めた?」 「……大体決めたよ」 「そうなんだ」 「清水くんの第一志望って国立でしょ?」    清水くんは質問した私を見下ろして、また前を向いて「多分」と答えた。会長と副会長という間柄だからということもあるけれど、うちのクラスにいる数少ない男子というだけでなく、普段無口な彼が私の前では結構声を聞かせてくれることには正直背徳感がある。 「不思議だね」 「なにが?」 「だって早乙女さん、結構表情豊かだから」 「あはは、そう言ってくれるのは清水くんくらいだよ」 「みんなも、早乙女さんが照れたり笑ったりするの知ったら好きになると思うけど」 「え?」  ちょうどその時、2階へ降りる階段へさしかかる。すると清水くんは少し早歩きになって私の前を歩く。そして「転びそうになったら前に転んでいいからね。支えてあげられるから」などとかっこいいことをさらっと言う。そして階段を降りきって職員室のある2階の廊下に私達の足音が響き始める。この廊下は窓に遮光カーテンが付いていてとても涼しい。  まったく、教師は良いご身分だ。  2階にあるなら私達の階にも付けて欲しいのに。そんなことを考えながら職員室の戸を開ける。 「ありがとうな、二人とも」 「わ、」  私が戸を開くと同時に声をかけられたので驚きすぎて棒読みの驚き声しか出なかった。  声をかけて来た先生は眼鏡をかけた妖怪に片足を突っ込んでいるような先生で、担任の比佐乃(ひさの)先生という。  『どこに行ってもいる』だとか『授業サボって遊んでる時に限って会う』だとか生徒の行く先に高確率で現れると噂の先生で、私も毎度ビックリしている気がする。  他の教室は季節が違うんじゃないかと思うほど快適な職員室でプリント類を受け取った私たちは、一礼して出口へ足を向ける。 「あぁ、そうだ。早乙女さん」 「はい」 「これ、旧美術室の鍵。夏休み中に連絡くれたでしょ?」 「あ、ありがとうございます」    嬉しさを顔に表した私にニコニコと微笑む比佐乃先生は、微笑みを返しながら私に鍵を渡す。 「鍵は開けたら早乙女さんが持ってて良いからね。でも埃っぽいから換気だと思って帰りは鍵閉めないで帰って良いから」 「ありがとうございます。じゃあ開けときますね」 「あと、早乙女さんはしっかりしてるから大丈夫だろうけど、鍵開けっ放しにするから念のために貴重品は持ち帰るように」 「わかりました」  私は先生にお辞儀をして、ドア付近で待ってくれていた清水くんのところへと急いだ。 「鍵?」 「うん。全国コンテストが近いから、夏休み中に事情を伝えて、旧美術室使わせてもらえないですか? って先生に連絡してたの」 「なるほど」  清水くんは短くそう返して、話しながら教室へと戻る渡り廊下のドアを開けて私が通りやすくしてくれた。 「……ありがと」 「うん」    さっきの廊下でのエスコートも階段での気遣いも、今のこういうさりげなく優しいところも、こういうことを自然体で成し遂げてしまう彼は校内でかなりモテている。  さっきの階段も、前を歩いてくれたのは転ぶのを心配したというよりも、踊り場に扇風機が設置されていたから私のスカートが舞い上がらないように前で壁になってくれていたんだろうし。今ドアを開けてくれたのも、私が利き手で鍵を握っていたからわざわざ右側まで来てドアを開けてくれていたんだろうし。  人の気遣いをここまで細かく意識するものじゃないと思うけど、彼のしてくれることは頭から離れないのだ。 「大事なコンテストなの?」 「うん、この前地区別の審査があって最優秀賞作品に選ばれたから、そのコンテストが本選なの」 「すごいね。勉強も絵も」 「そんなことないよ、でもありがとう」 「……油絵ってなんかすごいよね。大学は美大に行くの?」 「えっと……まだ迷ってる」 「そう……同じだね」  そして、プリントを配り終え、生徒会の仕事である清掃記録の日誌を書いた後で、私はさっそく旧芸術棟へと向かった。
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