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「お母さんとお父さんが
ペンペマに 食べられました
たすけてください」
小テストの採点をしていると、答案用紙の一番下の余白にこんな落書きを見つけた。
思わず眉をひそめ、名前欄を改めて確認する。
〈竹田 ひろし〉
教室の隅で口を半開きにしながら俺の授業を聞いている顔が思い浮かんだ。マイペースな性格ではあるが、クラスのわんぱくな男子と違い悪ふざけをするような生徒ではない。その意外な名前に俺は困惑した。
誰かがイタズラで書き込んだのだろうかと疑ったが、丸みを帯びた独特な筆跡からして、浩史本人が書いたもので間違いないだろう。
俺はため息をつき、少し考えてから赤ペンで「テストと関係のないことを書くのはやめましょう」という指摘を落書きの横に添えた。
まだ小学三年生だ。集中力が切れてしまうこともあるのかもしれない。職員室に呼び出すほどではないが、明日口頭で注意はしておこう。これも担任の務めだ。
それにしても――と俺はもう一度答案用紙に目を落とした。
ペンペマとはなんだ?
翌朝のホームルームを終えたあと、俺は男子トイレに向かう浩史に声をかけた。
「ちょっといいか?」
振り向いた浩史は、いつものように口が半開きのまま、ぼんやりと俺を見上げた。
「国語の小テストのことなんだが……その、わかるよな? ああいうことは書いちゃだめだよ。遊びじゃないからね」
最近は生徒への言葉遣いの一つ一つにも配慮が求められる。威圧感を出さないよう気を付けながら指導する必要があった。
浩史は俺を見つめたまま硬直している。怒られたと思って傷ついたのだろうか。
「オキノせんせい」
その唇が震えていた。よく見ると、顔も青ざめている。なにか様子がおかしい。もしかすると熱でもあるのかもしれない。
「おい、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
そういえば今朝のホームルームでも元気がなさそうだった。保健室に連れて行くべきか逡巡していると、浩史が震える口をすぼめて「う、う……」と苦しそうに呻き、こう言った。
「うちに、ペンペマがいます」
頭の中に、昨日の落書きが浮かんだ。
『お母さんとお父さんが
ペンペマに 食べられました』
まだ続けるのか――。俺はため息をなんとかこらえ、浩史にしっかりと言い聞かせることにした。
「――とにかく、テスト中にふざけるのはとても駄目なことなんだ。今度また同じことやったら、お母さんを学校に呼ばなくちゃいけなくなるよ。それでもいいの?」
教師になって三年が経つが、いまだに生徒を怒鳴りつけたことはない。自分の感情を子どもにさらけ出すのは時代にそぐわない。どういう風に諭せば生徒がしっかりとした態度をとるようになるのかは、全て教師の言い方次第だ。
案の定、浩史は口をつぐみ、おとなしくなった。やはり、この年齢の子どもにとって母親の名前を出すのは強い効果がある。
そのとき、なにかが匂った。
なんだ、と首を傾げた刹那、吐き気に襲われた。泥水が腐ったような臭いが、すぐ近くから漂ってきたのだ。
――もしかして、浩史か?
だが、これは体臭などではない。異臭の原因を探っていると、ちょうど始業のベルが鳴った。俺は浩史がトイレに向かう途中だったことを思い出し、彼を解放した。
浩史の奇行はますますひどくなった。
授業中に急に立ち上がっては大声でわめいたり、給食の皿を床に投げ捨てたりと、もはや注意で済ませられるレベルではなくなってしまった。普段の彼からは想像もできない変貌ぶりに、俺だけではなくクラスの生徒たちも皆唖然とするほかなかった。
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