76日前

2/3
前へ
/39ページ
次へ
 未来が視えると知った時。  そしてその未来を、自分の手で変えられると知った時。  僕はまだまだ幼くて。  だから愚かにも、目に映る全ての人を守れるに違いないと、そんな風に思ってしまった。  自分は「特別」なのだと錯覚してしまった。  小学校高学年の時だった。  幻視の力で助けた友達に、僕は「自分は未来が視えるのだ」と得意げに触れ回った。  サッカーボールが飛んできそうなとき。  曲がり角で衝突しそうなとき。  トラックに轢かれそうなとき。  僕はそれらを全て回避させた。  だけど、六十秒先の未来に起こる危機を未然に防ぐと、当事者はその事実に気付かないことがあって、僕は次第にそれを不満に思うようになっていた。  僕が助けたという事実を知って欲しかった。  特別な自分を、ほめて欲しかった。  だからあの時、 「僕は未来が視えるからね」  そんな風に得意げにうそぶいて、つかの間の優越感に浸っていたのだと思う。    それから程なくして、僕の目の前で同級生の女の子がバイクに跳ねられた。   幸いにも命に別状はなかったものの、同級生たちの中にはある疑念が生まれた。 「どうしてあいつは、あの子のことは助けなかったのだろう?」  それはある種、当然の疑問と言えた。  投げられた小石が静かな水面を揺らすように、疑念は次第に、不信感へと姿を変えていく。  ある人は助けられ、ある人は助けられなかった。  ある人は傷つき、ある人は傷つかなかった。  不信感はやがて、一つの結論を導き出す。  すなわち――僕が、、と。  僕の幻視はランダムで起こる。  いつ、どこで、誰の未来が見えるのか。そこに僕の意思は介在せず、危機の度合いも緊急性すらも加味されず、ただなんの法則性もなく唐突に目の奥で線香花火が弾け、視界をセピア色に染め上げる。  僕は救う相手を選んでいるのではなくて、救える人だけを救っていた。  だけど、いくらそう説明したところで伝わるはずもなかった。  一つの結論は小石となり、また水面に投げ入れられて、新たな波紋を生む。  ゆらゆらと揺れる水面はクラスメイトの隙間を縫うように、嫌悪感となって伝播していく。 「助ける相手を選ぶなんて最低」「あの子、大けがしたんだって。かわいそう」「あれでしょ? 助けてほしかったら自分と仲良くしろってことでしょ」「勝手だよね」「偉そうだよね」「わたし、あの子のこと前からちょっと嫌いだったんだよね」「わかるわー」「鼻につくよな」「助けてやったぜ、みたいな顔してるもんな」「何様のつもりだよ」「ヒーロー気取りなんだろ。子供なんだよ」「ちょっと未来が視えるからって調子に乗りやがって」「いやいや、っていうか前から気になってたんだけどさ」 「あいつ、?」  春には黒板消しを投げつけられた。  夏には池に突き落とされた。  秋には教科書とノートを引き裂かれ。  真冬にホースで水を浴びせられた。  未来が視えるなら回避できるはずだと、それができないならお前はただのインチキ野郎だと。  そんな風に言われて、そして僕は、そのうちの多くを回避することができなかった。  クラスメイトは言う。 「やっぱり嘘だったんだな」「俺たちの気を引きたかっただけなんだろ」「ヒーローごっこは幼稚園で卒業しておけよ」「痛々しすぎて見てらんないよ」  罵詈雑言は嘲笑を伴って、僕の鼓膜を震わせる。  冷たかったり、尖っていたり、よそよそしかったり、べたついていたり。  様々な、本当に様々な不快な笑い声は、べっとりと僕の耳の中に貼り付いて、時折思い出したようにぐちゃりと反響する。  いくら耳をふさいでも聞こえ続ける不協和音に苛まれながら、僕は気付く。  こんな能力に意味はない。  自分の意思で制御できない幻視なんて、役には立たない。 「特別」とは普通ではないということだ、多くの人に理解されないということだ。  特別は僕を孤独にして、僕にトラウマを植え付けた。  だったらこんな能力のことは二度と表に出すまいと。  誰のことも表立っては助けまいと、そう深く心に誓って。  僕はそれ以来、幻視の話を一切しなくなった。  ※ 「それから、自分の主張とか、考えとか……そういう一切合切を伝えるのが怖くなってしまったんです」  あの痛みを忘れたかった。もう二度と味わいたくなかった。  だから僕は、人との関わりを避けるようになった。  会話はなるべく短く済むように、そもそも会話なんてしなくても良いように。  存在感を希釈して希釈して、なるたけ自分という存在をひた隠しにした。  そうすることで、なんとか自分という「個」を確立することが出来る気がした。  たくさんの壁を作って、自分の心を覆い隠した今の在り方は、当然好きではない。  だから―― 「だから僕は、幻視は嫌いなんです」  こんな能力、無ければよかったのに。  心から、そう思う。  僕の話を聞き終わってからしばらくして、四季宮さんが口を開いた。 「私はね、真崎君」  ゴムボートの上で、二人、向き合っていた。  すりガラスの向こう側から差し込む日の光が、水面で網色に揺れている。 「特別って、素敵なことだって思うんだ」  僕は思わず、彼女の体に目を向けた。  白い肌の上に浮かんだ、多種多様な傷跡。  特別で異端な、自遊病という病気によってむしばまれた彼女の体を。 「だって、君の幻視がなかったら、私達はこうして出会ってないんだから」 「それは……」 「だからさ。君はもっと、その幻視のことを好きになってあげなくちゃ」 「好きに、なる……?」 「そうだよ。だってそれは、君にだけ宿った、君だけのスペシャルなんだから」  それは。  とてもとても、前向きな意見だった。  僕の中に凝り固まった、風化したヘドロみたいな固定観念の前に、温かい光を灯しながら降りて来た彼女の言葉に、ただただ面食らう。  だって――そうだろう? 「じゃあ四季宮さんは……自分の自遊病のことを、どう思ってるんですか?」  不躾な質問であることは分かっていた。  だけど、聞かずにはいられなかった。  僕以上に深刻な、ともすれば命に関わるような「特別」を抱いてる彼女が、そんな明るくて前向きな姿勢でいられることが、信じられなかった。  僕の問いかけに、四季宮さんは二、三度目をしばたたかせた。  そして、あっけらかんと答える。 「んー、嫌いではないかな」  嘘を言っているようにも、虚勢を張っているようにも、見えなかった。 「……四季宮さんは強いんですね」 「強くは、ないよ」  四季宮さんのしなやかな足が、プール水を蹴り上げた。 「ただ、もうかれこれ二年の付き合いになるからね。慣れちゃったんじゃないかな」  ちゃぷん。  水の跳ねる音が、辺りに響いた。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加