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未来が視えると知った時。
そしてその未来を、自分の手で変えられると知った時。
僕はまだまだ幼くて。
だから愚かにも、目に映る全ての人を守れるに違いないと、そんな風に思ってしまった。
自分は「特別」なのだと錯覚してしまった。
小学校高学年の時だった。
幻視の力で助けた友達に、僕は「自分は未来が視えるのだ」と得意げに触れ回った。
サッカーボールが飛んできそうなとき。
曲がり角で衝突しそうなとき。
トラックに轢かれそうなとき。
僕はそれらを全て回避させた。
だけど、六十秒先の未来に起こる危機を未然に防ぐと、当事者はその事実に気付かないことがあって、僕は次第にそれを不満に思うようになっていた。
僕が助けたという事実を知って欲しかった。
特別な自分を、ほめて欲しかった。
だからあの時、
「僕は未来が視えるからね」
そんな風に得意げにうそぶいて、つかの間の優越感に浸っていたのだと思う。
それから程なくして、僕の目の前で同級生の女の子がバイクに跳ねられた。
幸いにも命に別状はなかったものの、同級生たちの中にはある疑念が生まれた。
「どうしてあいつは、あの子のことは助けなかったのだろう?」
それはある種、当然の疑問と言えた。
投げられた小石が静かな水面を揺らすように、疑念は次第に、不信感へと姿を変えていく。
ある人は助けられ、ある人は助けられなかった。
ある人は傷つき、ある人は傷つかなかった。
不信感はやがて、一つの結論を導き出す。
すなわち――僕が、救う相手を選り好んでいるのではないか、と。
僕の幻視はランダムで起こる。
いつ、どこで、誰の未来が見えるのか。そこに僕の意思は介在せず、危機の度合いも緊急性すらも加味されず、ただなんの法則性もなく唐突に目の奥で線香花火が弾け、視界をセピア色に染め上げる。
僕は救う相手を選んでいるのではなくて、救える人だけを救っていた。
だけど、いくらそう説明したところで伝わるはずもなかった。
一つの結論は小石となり、また水面に投げ入れられて、新たな波紋を生む。
ゆらゆらと揺れる水面はクラスメイトの隙間を縫うように、嫌悪感となって伝播していく。
「助ける相手を選ぶなんて最低」「あの子、大けがしたんだって。かわいそう」「あれでしょ? 助けてほしかったら自分と仲良くしろってことでしょ」「勝手だよね」「偉そうだよね」「わたし、あの子のこと前からちょっと嫌いだったんだよね」「わかるわー」「鼻につくよな」「助けてやったぜ、みたいな顔してるもんな」「何様のつもりだよ」「ヒーロー気取りなんだろ。子供なんだよ」「ちょっと未来が視えるからって調子に乗りやがって」「いやいや、っていうか前から気になってたんだけどさ」
「あいつ、本当に未来なんて視えてるわけ?」
春には黒板消しを投げつけられた。
夏には池に突き落とされた。
秋には教科書とノートを引き裂かれ。
真冬にホースで水を浴びせられた。
未来が視えるなら回避できるはずだと、それができないならお前はただのインチキ野郎だと。
そんな風に言われて、そして僕は、そのうちの多くを回避することができなかった。
クラスメイトは言う。
「やっぱり嘘だったんだな」「俺たちの気を引きたかっただけなんだろ」「ヒーローごっこは幼稚園で卒業しておけよ」「痛々しすぎて見てらんないよ」
罵詈雑言は嘲笑を伴って、僕の鼓膜を震わせる。
冷たかったり、尖っていたり、よそよそしかったり、べたついていたり。
様々な、本当に様々な不快な笑い声は、べっとりと僕の耳の中に貼り付いて、時折思い出したようにぐちゃりと反響する。
いくら耳をふさいでも聞こえ続ける不協和音に苛まれながら、僕は気付く。
こんな能力に意味はない。
自分の意思で制御できない幻視なんて、役には立たない。
「特別」とは普通ではないということだ、多くの人に理解されないということだ。
特別は僕を孤独にして、僕にトラウマを植え付けた。
だったらこんな能力のことは二度と表に出すまいと。
誰のことも表立っては助けまいと、そう深く心に誓って。
僕はそれ以来、幻視の話を一切しなくなった。
※
「それから、自分の主張とか、考えとか……そういう一切合切を伝えるのが怖くなってしまったんです」
あの痛みを忘れたかった。もう二度と味わいたくなかった。
だから僕は、人との関わりを避けるようになった。
会話はなるべく短く済むように、そもそも会話なんてしなくても良いように。
存在感を希釈して希釈して、なるたけ自分という存在をひた隠しにした。
そうすることで、なんとか自分という「個」を確立することが出来る気がした。
たくさんの壁を作って、自分の心を覆い隠した今の在り方は、当然好きではない。
だから――
「だから僕は、幻視は嫌いなんです」
こんな能力、無ければよかったのに。
心から、そう思う。
僕の話を聞き終わってからしばらくして、四季宮さんが口を開いた。
「私はね、真崎君」
ゴムボートの上で、二人、向き合っていた。
すりガラスの向こう側から差し込む日の光が、水面で網色に揺れている。
「特別って、素敵なことだって思うんだ」
僕は思わず、彼女の体に目を向けた。
白い肌の上に浮かんだ、多種多様な傷跡。
特別で異端な、自遊病という病気によってむしばまれた彼女の体を。
「だって、君の幻視がなかったら、私達はこうして出会ってないんだから」
「それは……」
「だからさ。君はもっと、その幻視のことを好きになってあげなくちゃ」
「好きに、なる……?」
「そうだよ。だってそれは、君にだけ宿った、君だけのスペシャルなんだから」
それは。
とてもとても、前向きな意見だった。
僕の中に凝り固まった、風化したヘドロみたいな固定観念の前に、温かい光を灯しながら降りて来た彼女の言葉に、ただただ面食らう。
だって――そうだろう?
「じゃあ四季宮さんは……自分の自遊病のことを、どう思ってるんですか?」
不躾な質問であることは分かっていた。
だけど、聞かずにはいられなかった。
僕以上に深刻な、ともすれば命に関わるような「特別」を抱いてる彼女が、そんな明るくて前向きな姿勢でいられることが、信じられなかった。
僕の問いかけに、四季宮さんは二、三度目をしばたたかせた。
そして、あっけらかんと答える。
「んー、嫌いではないかな」
嘘を言っているようにも、虚勢を張っているようにも、見えなかった。
「……四季宮さんは強いんですね」
「強くは、ないよ」
四季宮さんのしなやかな足が、プール水を蹴り上げた。
「ただ、もうかれこれ二年の付き合いになるからね。慣れちゃったんじゃないかな」
ちゃぷん。
水の跳ねる音が、辺りに響いた。
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