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プールからの帰り道、塩素の匂いが抜けきっていない僕たちは、橋の上をゆっくりと歩いていた。
夏至を過ぎたとはいえ、日はまだ長い。
強烈な橙色を放つ太陽は、街の陰影を色濃く浮かび上がらせている。
「はー、遊んだ遊んだ! 真崎君も、楽しかった?」
「はい」
僕は頷く。
友達とプールに行くなんてイベント、いつ以来だろうか。
四季宮さんと理由は違うけれど、楽しめたのは確かだった。
それはよかった、と四季宮さんは笑って、僕の一歩前を歩き出す。
その後姿を眺めながら、思う。
四季宮さんの望み通り、プールに行った。
その前には彼女の家に行って、ファッションショーのようなこともした。
これで彼女のお願いは、十二分に果たされたはずだから。
きっともう、僕と彼女の関係は終わり……なのだろう。
四季宮さんとの関係がこれで終わりになるかと思うと、少し物寂しくはある。
だけどそもそもの発端が、棚から牡丹餅、ヒョウタンから駒、偶然の上に幸運を塗り重ねたようなラッキーイベントから始まったのだから、贅沢を言ってはいけない。
せめてこの鮮やかな夕焼けと、塩素の香りと、彼女の華奢な後姿だけは心にとどめておこう。
そう思った矢先、
「じゃ、今度は何して遊ぼっか?」
四季宮さんは、くるりと僕の方に向き合って言った。
僕はたっぷりと数拍置いて、同じ言葉を繰り返す。
「……今度?」
「うん、今度」
「……これで終わりじゃないんですか?」
「何言ってるの? そんなわけないじゃん」
四季宮さんは、聞き分けの悪い子供を諭すような口調で続ける。
「私、最初にお願いしたでしょ? 私といっぱい遊んで欲しいの、って」
「確かに言ってましたけど……」
「まだ二回しか、遊んでないよ? いっぱいには、程遠いよね?」
「で、でも、もう肌を見せる系の遊びは大体やったんじゃないですか?」
「えー。真崎君ってば、発想がひんこーん」
綺麗な右手を僕の目の前にずいっと出して、一本ずつ曲げていく。
「まずはカラオケだね」
「……カラオケって肌、見せますか?」
「暑くなったらカーディガン脱ぎたいもん」
な、なるほど、そういうのもあるのか……。
「あとあれ、スポッチとボーリングもしたいなー」
「そ、それも肌は見せませんよね?」
「私の話、聞いてた? 暑くなったらカーディガン脱ぎたいんだよ?」
いや、聞いてはいましたけども……。
「バッティングセンターとかも行きたいなー。あとは激辛ラーメン食べに行きたいし、岩盤浴にも行ってみたいし、あとは……またプールにも来たいなー」
「また、ですか?」
「うん。だって――」
によっと笑って指を曲げる。
「私まだ、たくさん水着持ってるし」
……分かってるんだ、からかわれてるのは。
だけど残念なことに、数年間女子とまともに会話もしてこなかった僕は、それを軽く受け流せるだけの度量は持ち合わせていない。
「真崎君、顔真っ赤だよ?」
「ゆ、夕日のせいじゃないですかね……」
「苦しいねえ」
分かってるよ、そんなことは……!
心の中では強くツッコみを入れるのだけど、その言葉が口から出ることは決してなくて。結局、彼女に流されるままに、この状況を受け入れようとしている自分がいる。
「と、いうわけでさ、真崎君」
右手をすっと降ろして、僕に差し出す。
まるで、握手を求めているみたいだった。
「これからも、よろしくね?」
彼女の目を直視できない。
きっとこれも、四季宮さんを背後から照らす、やけに眩しい夕日のせいだ。
そんな風に言い訳しながら、僕は彼女の手を握り返した。
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