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結論から言えば、四季宮茜と、彼女の婚約者、銀山成明の関係は、筆舌に尽くしがたいほどにふざけていた。
時代錯誤も甚だしく、現代日本でそんなことがまかり通っていい物なのかと、誰かを責め立てたい気分になった。
「気持ちは分かるよ、藤堂君。でも、本当のことなのさ」
「あり得ないでしょう……そんな、四季宮さんを、道具、みたいに……」
要約すれば、以下の四点にまとめられる、非常に単純で不愉快な図式だった。
一、 四季宮家は代々個人病院を経営していた。
二、 今の経営者である四季宮和夫、つまり四季宮茜の父親は四季宮家に婿入りし、若くして病院長となったが、本当は大学病院で研究がしたかった。しかし今からではポストにつくことも難しく、また病院を手放すこともできなかった。
三、 そんな時、南浜大学病院の病院長である銀山匠永は、四季宮父に目を留め、ポストを用意すること、四季宮病院との移転統合を持ち掛けた。
四、 その契約の代価として、銀山総合病院院長の息子、銀山成明と四季宮茜は結婚することになった。
「で、今は婚約状態。法的な拘束力は無いけど、ゆるーく縛り付けられてるって感じかな」
「い、いったいその契約で、向こうにどんなメリットがあるって言うんですか……?」
「なーんか、今の院長が茜ちゃんのことをいたく気に入ってるらしくってさー。孫息子の嫁にすることで、手元に置きたがってるんじゃないかって話らしいよ」
織江さんは淡々と語った。
努めて、淡々と語った。
「んで、あの銀山成明って人は……まあ悪人じゃないらしいんだけど、事なかれ主義っていうのかな。あんまり院長に反発したりはしないみたいなんだよね」
「だからって……」
「それにあの人、今他にお付き合いしてる人もいるらしくてさ。プレイボーイって感じ」
聞けば聞くほどに頭痛がしてきた。
現実でそんなことが起こっているという事実が信じられない。
強要している銀山家も、許容している四季宮さんの家族のことも、まったくもって理解できなかった。
「四季宮さんは、どうして反発しないんですか?」
「私も一回聞いてはみたんだけどね」
「なんて言ってたんですか」
「『お父さんの言うことには逆らえないから』『お母さんたちも歩んできた道だから』って。それだけ」
四季宮家は代々、病院を維持・拡大するために、他の病院の後継ぎと自分の息子や娘を政略結婚させてきたらしかった。
家系的に、それが当たり前だから。
幼いころからずっと、そう躾けられてきたから。
だから、抗うだけ無駄だと、四季宮さんは感じているのだろうか。
「そんな……」
「それ以上は私も深く突っ込めなかったけどさ、茜ちゃんも……あんまり踏み込んで欲しくなさそうだったし。もしかしたら、昔は反発、してたのかもしれないね」
それは、想像するだけでも恐ろしい仮定だった。
もし四季宮さんがあがいて、抵抗して、それでも抑圧された末に今の彼女があるのだとしたら。それでもあんな風に、屈託なく、明るく笑っているのだとしたら……。
「ただ幸い、今はその話も、雲行きが怪しいみたいなんだ」
「え……?」
「なんかね、婚約の話が決まってしばらくして、茜ちゃんが何かの病気にかかっちゃったらしくて。元々は高校を転校して銀山家の近くに引っ越す予定もあったみたいだけど、それもキャンセル。今は病気の治療に専念しようって話になってるらしいよ」
あ、これ絶対に秘密だよ? と神妙に言う織江さんに無言でうなずきつつ。
僕はその病名に心当たりがあった。
自遊病。
寝る度に彼女を死に向かわせる、奇病。
確かにそんな病気にかかっている女性には、何よりも先に治療を施すべきだ。
病気の原因は心因性、過度なストレスから来るものだろう。
そして、ストレスの原因は明らかだ。
強要された婚約。許容してしまった婚約。
仮に本当にそれが、自遊病の根となっているのだとしたら。
四季宮さんの自遊病は、永遠に治らない。
そして、婚約計画が進められることもない。
自遊病。
自由病。
なんて……なんて皮肉な構図。
「ん、どうしたの、藤堂君?」
「いえ……教えてくれて、ありがとうございます」
医者の家系は、何かとしがらみも多いと聞く。
四季宮さんの自遊病は、あまりにも特殊で、それゆえに注目を浴びてしまうだろう。ふとした瞬間にバレてしまう可能性や、変な噂が立つことを恐れて、自遊病が完治するまでは結婚の話は進められないのかもしれない。
四季宮さんがすぐに結婚するわけではないと知り、正直少し安心した自分がいる。その一方で、改めて事の大きさを知り、茫然としてしまっているのも事実だった。
彼女を今の状況から救い出したいと言う気持ちは、ある。
けれど、具体的にどうすればいいのかについては、まったく見当がつかなかった。
ただの一介の高校生。
別段なんの取り柄もなく、非力で口下手で、臆病な僕に、一体何ができるというのだろうか。
唯一の特技と言えば――
「……っ」
視界がセピア色に染まった。
織江さんがグラスを倒して、ジュースを思いっきりこぼしてしまう光景を幻視する。
……ちっぽけだよな、ほんとに。
自嘲しつつ、グラスの位置をさりげなくずらして、小さな危機を回避することにした。
少しすると、さっきまでグラスがあったところに織江さんの腕がぶんと振り下ろされて、僕はほっと胸をなでおろす。
僕にできることなんて、この程度のものだ。
ジュースがこぼれるのを回避させるくらいの、本当につまらない能力。
どうせ不可思議な能力が宿るなら、もっと強力で凶悪な、それこそ、四季宮さんを一瞬で危機から救い出せるくらいの力が良かったのに。
「というわけで、藤堂君!」
ネガティブな思考を叩ききるように振り下ろされた手は、人差し指がぴんと立っていて、僕の眉間をまっすぐ指していた。
「君は早急に、茜ちゃんと仲直りする必要があるのだよ!」
どういうわけでその結論に至ったのかは謎だけど……。
早めに謝って、少しでもいい関係に戻りたいとは思っている。
つい先日までと同じようにとまではいかなくとも、それに近いくらいには。
「しかし君は臆病だ」
「面と向かって言われたのは初めてです」
「そして残念なことに、この件に限っては茜ちゃんも及び腰なのだ……」
確かに婚約者の話を、織江さんという代理を立てて僕に説明したのは、彼女らしくないといえば、らしくない。
「つまり、二人が仲直りするためには、何かしらのイベントが必要なわけですよ」
一理ある……のか?
確かに何かしらのイベントがあれば、話しやすいかもしれない。
「んでもって、もうすぐ修学旅行の班決めイベントがあるわけです」
「ちょっと待ってください。まさか――」
ここに来てようやく織江さんの言いたいことが分かった僕は、思わず立ち上がる。
織江さんはそんな僕の心中なんて察しないみたいに……察しているくせに、言い放つ。
「つまり、一緒の班になっちゃえば、万事解決って感じじゃない? にゃっはー! 私ってあったまいい!」
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