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「爆ぜろ」
「なんでだよ」
夜。
京都の料理に舌鼓を打ち、夜風に吹かれながらビジネスホテルに到着した僕たちは、自由時間をのんびりと満喫していた。
僕と御影は同じ部屋で、風呂上りのリラックスした体をベッドに横たえて、鴨川での話をしていた。
「完っ全に両想いじゃねえか、鴨川に沈め。雨の日に流れてくるオオサンショウウオと寒中水泳してる最中に鉄砲水に頭を打ち抜かれろ」
「話、聞いてた? 僕は友達でいようって言ったんだよ」
「はあ? うざ。喧嘩売ってんのかよ、いいぜいくらで売ってんだよ見積書出しやがれ! おらぁっ!」
お互い河川敷でどんな話をしたのかを教え合っていたのだが、最後の下りを話し終えると、御影はそば殻枕を容赦なく投げつけてきた。
「いったぁあ! お前さっきからバコバコ痛いんだよ! そば殻はやめろよ! せめて羽毛の方にしろって!」
「うるせえ、こっちの方がいい感じに重くて投げやすいんだよ!」
「だからそれが痛いんだって!」
僕は奇跡的にキャッチできた枕を思いっきり投げ返す。
「大体お前だって、織江さんと楽しく喋ってただろう、が!」
「俺とあいつはそーゆーんじゃねえんだ、よ!」
「じゃあなんで今まで僕に隠してたんだ、よ! ……あ」
投げつけた枕が御影の顔面に命中して、僕はあわててベッドの上から降りる。
「ご、ごめん……。ちょっと強く投げすぎた」
「……隠してたわけじゃねえんだよ。ただ、あいつとの接点をあんまり持ちたくなくてさ」
ええ……急にテンション下げるじゃん……。
風邪をひきそうなくらいのテンションの落差に、戸惑ってしまう。
だけどこれは……僕が思っていたよりも、御影にとっての織江さんというのは、重要な存在、繊細な話題だったということなのだろう。
「俺は……ほら、こんなだからさ。クラスでも浮いてるし、変わってるし。そんな俺と関わり持ったら、あいつも白い目で見られるかもしれないだろ」
「織江さんなら、気にしないと思うけど」
「ばーか。だから嫌なんだよ。俺の素行で俺がどうなろうと自業自得だけど、俺のせいで他人が傷つくのは見たくねえんだよ」
確かに自分のせいで傷ついている人が「気にしなくていいよ」と笑顔で言ってきたら……それはちょっと、辛いかもしれない。
「だったらちゃんと学校来ればいいじゃん」
「それとこれとは話が別だ」
「不器用なやつ……」
大抵ことは器用にこなせるくせに。
「うるせえよ、自分に正直なだけだ」
ああ、だけど。
あの時も同じだったな。
僕は嘘つきのレッテルを貼られ、クラスで迫害されていたころ、こいつだけは僕に話しかけてきたっけ。
『お前、未来が視えんの?』
『……』
『なあ』
『……』
『なあってば!』
『……言っても、信じないだろ』
『なんで』
『クラスのみんな、もう誰も信じてないから』
『関係ねえよ。お前の口から聞きたいんだ』
『……視えるよ。たまにだけど』
早口にそう答えると、御影は感心したような声を出して、
『すげえじゃんお前』
『……え?』
『俺になんかあったら、助けてくれよな』
にかっと笑って言った。
だから僕は、こいつが家庭科の実習の時、あやうく火傷してしまいそうになるのを未然に防ぐことができた。もしあの時、御影が声をかけてくれていなかったら……僕は助けるのを躊躇っていたかもしれない。
以来僕と御影は、よく話すようになり、逆にクラスメイトたちは、僕たちをどんどんと避けるようになった。
御影は決して言わないけれど、中学に進級してから学校に来る頻度が減ったのは、きっとこれが原因の一つだと思っている。
そして、こいつくらい賢ければ、そうなることは事前に予測できたはずで。
もっとうまく立ち回ることだって、できたはずで。
他人のために、自分を犠牲にしてしまう。御影浩二という男は、そういう不器用なやつだ。
それを分かっているからといって、僕に何ができるわけでもないけれど――
「じゃあ今日くらい、一緒に過ごしてきたら?」
少しくらいお節介を焼くのは、構わないだろう。
「誘われてただろ。夜、一緒に抜け出そうって」
「……なんで知ってんだよ」
「たまたまだよ」
「聞いたのか」
「たまたまだって。わざとじゃないんだ」
ホテルの廊下。誰もいない空間で、僕は幻視を体験した。
その時映ったのは、御影と織江さんが、何かを話している光景だった。
だから僕は、邪魔してはまずいと慌ててエレベーターホールの陰に隠れて身を潜めていたのだが、人気のない廊下では思ったよりも声が反響し、聞こえてしまったというわけだった。
「十時半に一階のエレベーターホールだろ。もうすぐじゃん」
時刻は十時二十分。
丁度いい頃合いだった。
「だったらお前たちも来いよ」
「僕はパス。あんまり大人数で動いたら、先生に見つかるかもしれないだろ。それに――」
少しだけ逡巡して、続ける。
「四季宮さん、体調悪くて今日は早めに寝るって言ってたから。僕だけくっついてくなんて、ごめんだよ」
四季宮さんは自遊病の対策として、織江さんとは別の部屋で寝るはずだ。
夜、就寝時間に織江さんに一言断ってから、別の部屋に移動すると言っていたし、嘘ではない。
「んだよ、それ……。俺は別に……」
「行けって。これ逃したら、お前一生彼女なんてできないよ」
「……分かったよ」
もう二、三回くらいごねるかと思ったけど、意外にも早く、御影は首を縦に振った。
ありがとな、とぶっきらぼうに言った御影を見送って、僕はベッドの上にあおむけに横たわった。
きっと御影たちはうまくいくだろう。
まだ長い付き合いではないけれど、織江さんはしなやかで強い人だと思う。ちょっとひねくれた御影を柔らかく受け止めてくれたり、時には叱咤してくれたり、そうやって甘いだけじゃない優しさで、あいつを包んでくれるだろう。
御影さえ素直になれば、すんなりとうまくいくはずなのだ。
「うらやましいな」
真っ白な天井を見上げながら、そんな呟きが口からもれて、僕はぎょっとした。
うらやましい? うらやましいってなんだよ。
御影と織江さんの関係が? それとも、御影に彼女ができそうなことが?
もんもんとしばらく考えたけれど、結局答えは出なくて、僕は思考を放棄した。
「あいつが変なこと言うせいだ……」
両想い。
御影が言ったその単語が、妙に脳裏にこびりついていた。
違う、と。心の中で否定する。
僕と四季宮さんは、そういう関係じゃない。
互いの秘密を知っている同士、戦友、友人。
それ以上の何かではない。あっては、ならない。
その時、とんとんと扉がノックされた。
僕は部屋の電気を消して、念のため御影のベッドに枕を詰め込んでから、扉を開く。
案の定、見回りの先生だった。
「はい」
「おお、すまん。もう寝てたのか」
「昼間、はしゃぎすぎたみたいで……」
「そうか、ならいいんだ。しっかり寝ろよ」
先生の目線は一瞬、奥のベッドに向いていたけれど、それ以上入ってこようとはしなかった。普段大人しい僕が、嘘をついているとは思わなかったらしい。
電気をつけるのが面倒くさくて、このまま寝てしまおうかとベッドに向かう。そういえば、四季宮さんはもう部屋をうつっただろうか。それともまだ、織江さんに発破をかけてる頃だろうか。
ベッドに潜って目をつぶった時、スマホの画面が光った。
暗闇の中痛いほどに眩しい人工的な光に目を細めながら、通知を確認する。
差出人は四季宮さんだった。
内容はこうだ。
『もしよかったら、今から204号室に来てくれませんか? 自遊病のことで、知ってもらいたいことがあります』
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