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「四季宮茜との結婚に最も必要なのは」  銀山さんは言う。 「親の同意だ。本人の意志じゃない」  それは紛れもない事実だった。  そして、事実というのは決して優しいものではない。  ただそこにあるだけで、想いも感情も伴わず、無機質で冷たい。 「法律は変わった。男女は共に十八歳から結婚できるようになり、親の同意は必要なくなった。だけどそれが何だって言うんだ? 根本的なことは何も変わらないさ。なぜなら、成人するまでの間、子供は大人の庇護下にあるからだ。そして時にそれは、支配下と言い換えることもできる。残念なことにね」  それも事実だった。  どうあがいたところで変えることはできず、僕たちは抗う術も持たないままに、蹂躙される。 「たった十数年生きただけの人間が、倍以上生きている生物に太刀打ちできるはずがない。ましてや、相手は自分の価値観を作り出した存在だ。勝負の土俵にすら立っていない」  事実、だった。  大きく開いた怪物の口のような醜い穴が、べったりと張り付いた闇と共に僕を飲み込もうとする。 「そう考えると、世の中というのはとても不条理にできていると思わないかい? この人と結婚しなさいと幼い頃に強要され、そうして成人する前に準備を進められてしまえば、本人は何もすることができない。何もだ」  思えば僕たちの世界というのは、随分と性善説に基づいて作られている。  そんなことをするはずがない。  人としてあってはならない。  自分たちの理解をはるかに超えたところで生じる行為には、対抗策すら用意されていない。  致命的なバグだ。  度し難い欠陥だ。  そう恨みつらみを重ねたところで、どうなるわけでもないけれど。 「可哀そうだとは思う。同情すらするよ。生まれながらにして傀儡(かいらい)で、そのまま変わる機会も得られずに人生を終えてしまうなんて、僕なら耐えられないね」  銀山さんは言う。 「だけど悪いけど、僕はこの件に関しては口を挟まないことにしてるんだ。しょうがないだろう? 僕は争いごとが嫌いなんだ。そんなことに無駄なエネルギーを割くくらいなら、もっと楽しい事に貴重な時間を費やしたい。今更この生き方を変えるつもりはないんだよ。たった一人の、僕とは何の関係もない女子高生のためなんかにね。だからね、藤堂君。あえてもう一度言わせてもらうよ。僕は彼女を哀れに思う。だけど決して助けようとは思わない。だから――」  銀山さんは。  言う。 「――僕は明日、四季宮茜と結婚する」  ※  クリスマスパーティーの会場は、僕たちの住んでいる街から電車で約三十分、繁華街近くにある帝桜ホテルで行われた。  大理石で出来た床の上をこつこつと歩くと、質の良い絨毯がその音を吸収する。きらびやかなシャンデリアは吹き抜けのホールを品よく照らしていて、少し背伸びをしなければこの場にそぐわないのではないかと、変にそわそわした。 「俺たち絶対浮いてるよな」 「そー? 小さい子も結構いるし、考えすぎなんじゃん? 誰も私達のことなんて見てないってー」 「誰もかれも、お前みたいにずぶとい訳じゃないっての」 「ほっほーん? 失礼なことを言うのはこの口かなー?」 「いてぇいてぇ! ぐりぐりすんな!」 「お願いだから二人とも静かにして……胃が痛い……」  そんな豪華絢爛(ごうかけんらん)なホテルに三者三様な反応をしつつ、僕たちは会場に足を運んだ。受付で名前を言うと、すんなりと通してもらえて、ようやく一心地ついた気分になった。  どうやらパーティーは立食形式らしく、既に何人もの人たちが飲み物片手に歓談していた。壁際には美味しそうな食べ物が所狭しと並んでいて、すきっ腹を刺激する魅力的なにおいを漂わせていた。 「あ、きたきた! 待ってたよ、みんな!」  四季宮さんの声に振り向いて――そして言葉を失った。  ドレスコードがあるという話を聞いて、僕をはじめ、御影も織江さんもフォーマルな服を身に着けて来た。  御影はベストと黒ネクタイが良く似合っているし、織江さんのドレス姿もとても綺麗だった。  しかし、どこか着慣れていない雰囲気というのは隠しきれないもので、「背伸びした高校生」を逸脱することはできなかった。  それなのに―― 「ん? どうしたのみんな?」  四季宮さんは着こなしていた。  浅葱色のワンピースタイプのドレス。飾りは少ないながら、花柄の網模様が胸元にあしらわれ、控えめについたリボンが腰の高い位置についていて、スタイルの良さを強調している。  腕の傷を隠すためなのだろう。  肩から巻かれた紺色のショールも、それと分からないように完璧に彼女の体を覆っていた。  端的に言って……美しかった。 「やー、似合ってるなぁと思って。茜ちゃん、めちゃくちゃきれいだね!」 「そ、そうかな? ありがと。織江ちゃんも、とっても可愛いよ」 「ありがとー! 私もこのドレス気に入ってるんだー」  女の子同士でドレスの話を始めたので、僕と御影はノンアルコールの飲み物をもらって、壁際にこじんまりと収まった。 「いいのかよ、四季宮さんと話さなくて」 「後でいいよ。今はこの場の雰囲気に慣れるので精いっぱいだ」 「気持ちはわかるけど、お前、そんな調子でよく来ようと思ったな」 「……まあ、色々あってさ」 「ふーん。ま、俺はなんでもいいけど。折角だし、飯でも取りに行こうぜ」 「ああ」  段々と緊張も解け、空腹を感じ始めていた僕は、御影の後について行こうとした。  その時だった。 「和夫君。博士号取得おめでとう。これで全ての条件は整ったわけだね」  ふと、隣で話している男性二人の声に意識を取られた。  一人は六十半ばくらい、もう一人は四十くらいの、身なりのいい成人男性だった。 「はは、気が早いですよ先生。審査はもう少し先じゃないですか」 「なに。あれなら問題ないさ。私の口添えもあることだしねぇ」 「何もかも、先生のお力添えあってこそです」 「堅苦しい事は言いっこなしだ。今日はぱーっと飲もうじゃないか!」 「ありがとうございます。しかし……、本当によろしいんですか?」  足が止まる。 「構わん構わん。君の異動のこともある。総合的に考えれば、今のタイミングがベストだろう」 「本当に申し訳ないです……妙な病気を発症してしまって」 「気に病むこたぁない。そもそも、うちのバカ息子がさっさと原因を突き止められないのが問題なんだ。私からも、きつく言っておくよ」 「お心遣い、痛み入ります。それで――」 「おい」  はっと顔をあげると、御影が怪訝な目で僕を見ていた。 「早く行こうぜ? 腹減ったよ」 「あぁ、ごめん……」  ちらりと視線を横に向けると、二人は僕たちなんて全く気にかけないまま話し続けていた。  僕はあの人たちのことを知っているけれど、あの人たちは僕のことなんて知りもしない。  こうして数メートルしか離れていない場所にいても、目には見えない、透明の分厚い壁が邪魔をしている。  向こうの世界に僕は干渉できない。  何も、できない。  分かっている、それが現実だ。  例え言いたいことが山ほどあるとしても。  苦々しい味がするそれを飲み込まなくてはならないことくらい、分かっている。  ぐっとこぶしを握りこんで。  僕はその場を後にした。
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