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 三十分もすると、パーティー会場にはかなりの人が集まってきて、部屋の温度が少し上がったようだった。  襟付きシャツの第一ボタンを外しながら会場を見渡すと、いくつものグループができていて、みな思い思いに歓談していた。  僕は会場から少し離れることにした。  少し、人酔いしたようだ。    やっぱり人混みは苦手だ。  だけど今日は――四季宮さんと二人きりになるまでは。  帰るわけにはいかないんだ。 「あら、あなたは――」  廊下を少し歩いたところで、見知った人に出会った。  四季宮さんのお母さんだった。  黒を基調とした上品なドレスに身を包み、手にはシルクの手袋をつけていた。 「今日は茜のわがままを聞いてくれて、ありがとうございます。あの子、すごく喜んでました」 「とんでもないです」  お母さんは顔色が優れないようだった。  僕と同じく、人酔いをしたのだろうか。  パーティー会場でもたびたび見かけてはいたけれど、旦那さんと思しき人の横で控えめに笑うだけで、心底楽しんでいるようには見えなかった。  体調が芳しくないのかもしれない。 「人が多くて大変かもしれませんが、良かったら茜とたくさん話してやってくださいね」  そう言ってお母さんは少し疲れた笑み浮かべた。  ふと、右手首の辺りに巻かれた包帯が手袋の隙間から垣間見えて、僕は口を開く。 「右手の怪我、大丈夫ですか?」 「え?」 「いえ、その……前に伺った時も包帯を巻かれてたので、つい」  綺麗に整えられた眉の間にしわが入ったのを見て、背中からブワッと嫌な汗が出た。  しまった、余計なお世話だっただろうか……。    四季宮さんのお母さんは、そっと隠すように手袋を引っ張りあげながら、控えめに笑った。 「お気遣いありがとうございます。大した怪我じゃないんですけど、この年になると治りが遅くて……」 「す、すみません。踏み込んだことを聞いてしまって」 「いえ、いいんですよ。それに――」  すっと、整った顔に影が差す。  光の加減だろうか、一気に歳を取ったように錯覚した。 「これは自業自得ですから」  深く追求する間もなく、四季宮さんのお母さんは去っていった。  最後のつぶやきは、僕にぎりぎり聞こえるくらいの、本当に小さな声量だった。  最後の言葉は、どういう意味だろう……?  しばらく考えてはみたものの、ついぞ答えは出なかったので、僕は考えるのをやめて歩き出した。 「真崎君」  少し歩くと、ぽんと後ろから肩を叩かれた。  今度は四季宮さんだった。  誰かからもらったのであろう小綺麗な紙袋を後ろ手に持ち、「やあ」と片手を挙げた。  相変わらずひときわ突き抜けて美しいドレス姿に、僕は一瞬目が泳いでしまう。 「今、お母さんと喋ってなかった?」 「ええ。ちょっと挨拶しただけですけど。なんだかお疲れみたいでした」 「あはは……。お母さん、こういうパーティーちょっと苦手だからね。いつも途中で一回抜けるんだー。真崎君は大丈夫? 疲れちゃった?」 「少しだけ。僕もこういう場には、あんまり慣れてないみたいで」  四季宮さんが綺麗な形の眉をハの字にしたので、慌てて付け加える。 「でも、楽しいです。誘ってくれて、ありがとうございます」  瞬間、ころっと表情が変わって、嬉しそうに頬を緩ませる。 「ならよかった。私も、真崎君が来てくれて嬉しいよ」 「そんなこと言ってくれるの、四季宮さんくらいですよ」 「だって、真崎君のそういう恰好見るの初めてだし……」  四季宮さんの声に釣られて目線を落とす。  無地のカッターシャツに深緑色のカーディガン。ちょっとフォーマルは意識しているとはいえ、取り立てて注目するほどのものでもないと思うけど……。 「とってもカッコイイよ」 「ありがとう、ございます……」  直球で褒められると照れてしまう。  僕は意味もなく前髪を触ったりしながら、これはチャンスかもしれないと話を切り出そうとした時――  。  僕たちに――いや、四季宮さんに話しかけている銀山成明の姿が視えた。  銀山さんは僕には一瞥(いちべつ)もせず、ただ四季宮さんだけに目を向けていた。  四季宮さんも、少し困ったような顔をしながらも彼に応えていた。  僕はただ、その様子を眺めていた。  眺めていることしか、できなかった。  セピア色の世界の中で、僕という存在は爪弾きにされていた。  その光景に胸の奥が鈍く傷む。鼻の奥がツンと引きつった。  改めて知る。  僕は、彼女たちの世界に干渉できない。  僕の住む世界と、四季宮さんが住む世界の間には大きな隔たりがあるのだ。  僕たちは同じ高校のクラスメイトで、偶然にも秘密を共有していて。  それが奇跡的に二人をつなげてくれてはいるのだけれど。  家柄が、身分が、人間性が。  見えない壁となって二人の間にそびえたっている。  だから僕は何もできない。  クラスメイトの一員以上の何かを、求めることはできない。  分かってる、分かっているんだ。 「それでね、真崎君。私――っ!?」  四季宮さんのほっそりとした手首をつかんで、僕は足早に歩き出した。 「ま、真崎君、どうしたの?」 「すみません、ちょっとだけ、付いて来てください」  行く当てがあったわけじゃなかった。  とにかく、ここでなければ。  銀山成明が来ない場所であればどこでも良かった。  くだらない意地を張っていた。  ここで四季宮さんと銀山さんを会わせなかったからといって、何かが変わるわけじゃない。  だけど――ほんの少し先。六十秒後の未来に、あらがいたくなったんだ。
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