前日

1/4
前へ
/39ページ
次へ

前日

 正解が分からないままに行動することが、怖い。  言い換えればそれは、ゴールが見えない状態でマラソンを走り出すようなものだ。  どれくらいのペースで走ればいいのか、コースの状態はどうなっているのか、自分の体力で走り切れるのか。そんなあれやこれやが分かった状態で走りたいと思うのは、至極普通のことだろう。  だけど時に現実というのは残酷なもので、何の情報も与えられないままに、走るか、走らないかの選択を迫られる。  準備する時間を与えてはもらえない。  考える猶予も与えてはもらえない。  ただ選択の時だけがじりじりと音もなく迫ってきて、焦燥感だけが胸の内を焦がす。 「だからさあ」  自分一人では、その嫌な感覚に耐え切れなくて、僕は御影に電話をかけていた。 「俺はお悩み相談窓口じゃないんだって、何回言ったら分かるんだよ」 「他に相談できる相手がいないんだよ」  電話の向こうで、御影は大きくため息を吐いた。 「ったく、しょうがないやつだな。言っとくけど、大した助言はできないからな。最終的に決めるのはお前なんだから」 「分かってるよ」  こうして聞いてもらえるだけでも、気持ちが少し楽だった。  昨晩、銀山さんから話を聞いた後、僕は御影と織江さんに連絡をいれて、一人でホテルを後にした。  駅までの道すがらも、電車の中でも、家に帰宅するまでの帰路でさえ、頭の中は四季宮さんのことでいっぱいだった。  今日を逃せば、四季宮さんは銀山さんと結婚してしまう。  止めたい。彼女を連れ去りたい。  だけど、それは非現実的なことでもあった。  僕は平凡な一介の高校生で、自分でお金を稼いだことも、働いたこともなかった。  自分一人ならまだしも、もう一人、誰かと寄り添って、隠れて生きていくなんてことができるはずもない。  なら、他に方法はあるだろうか?  逃避行ではなく、四季宮さんをあの状況から救い出すための、画期的な方法はあるだろうか?  否、と心の中で即座に否定する。  僕自身の力はちっぽけだ。そして、彼女の家庭環境を変えるためには、とても大きな力が必要だ。  けれど、例え学校の先生に相談したところでなんの意味もないだろう。例え通報したところで、警察だって動いてくれないだろう。  僕個人も、学校も、警察も、ありとあらゆる個人と組織が、彼女を助けるための力と動機をもっていない。  八方ふさがりだった。  僕は彼女を救えない。  何度考えてみても、同じ結論にたどり着き、堂々巡りを繰り返す。 「まあ、難しいだろうな」  僕の心のうちを話し終えると、御影も言った。 「そこまで話が進んでると、俺たちにできることは何もないだろうし」  改めて他人の口から聞くと、心にくるものがあった。  それと同時に、納得もした。  僕に彼女は、救えない。 「ありがとう、御影。やっぱり僕は――」 「でもさあ……。大事なのってそこじゃないよな」 「……え?」 「確かにお前は、四季宮さんを助けるための、具体的なアイディアもプランもないかもしれない。そもそも高校生の俺たちにできることなんて本当に限られてて、狭い選択肢の中から必死こいて選んだものでも、大人たちに軽くつぶされちまうかもしれない。だけど」  一拍置いて、続ける。 「お前は助けたいんだろ?」 「……」  仮に。  四季宮さんが、この結婚を喜んでいるのならば、当然僕が口出しすることなんてなかったと思う。  だけどあの日、銀山さんと初めて僕が出会った日。  あるいは、修学旅行で銀山さんについて語った日。  そして何より、昨日のクリスマスパーティーの会場で。  四季宮さんは一度たりとも、心から幸せそうな顔をしていなかった。  初めて、彼女の弱音を聞いた。  だから僕は、彼女を助けたいと思った。  あの絶望的な環境から、救い出したいと願った。 「だったら、やればいいじゃん」 「……答えが見つかってなくても?」 「んなもん、後から考えろ」 「資格がなくても?」 「なんだよ資格って。どんな試験に合格すりゃ配布してもらえんだよ」 「ゴールが全く見えなくても?」 「走り出したら見えてくるかもしんねぇだろ。なんでもかんでも、最初からゴールが見えてるとは限んねえよ。走りたいと思うかどうか。そこが一番、大事なんじゃねーのかよ」  洋服掛けにかかった青藍色のマフラーを見る。  次いで、その下に置かれた小洒落た紙袋に目が移る。  昨晩は気付かなかったけれど、実はあの中にはマフラー以外にも一枚の手紙が入っていた。  短い文面で、端的に。  四季宮さんの少し丸っこい、整った文字が並んでいた。  今までありがとう!  真崎君には、ほんとにほんとに、たくさんの思い出をもらいました。  もらってばっかりで、申し訳ないくらい。  だからせめて、私からはマフラーを送ります。  実は手編みなんだよ? びっくりした?  首元あったかくして、体を大事にしてね。  四季宮茜より    追伸  そうそう!  しつこいようだけど、しゃべるときは句読点をしっかり打つように!  真崎君のお話、ほんとに面白いんだから。  聞き取れないの、もったいないよ!  何を言ってるんだろう、四季宮さんは。  もらってばっかりで申し訳ない?  思い出をたくさんありがとう?  そんなの全部。  全部、全部―― 「まあ、偉そうに何言ってんだって思うかもしんないけどさ。要するに俺は、少しは自分の気持ちに正直になった方が――」 「御影」  僕のセリフなのに。 「ありがとう」 「……腹くくったんだな」 「うん」  何の準備もできていない。  一歩先に広がっているのは、苦難だらけの不安定な道のりだ。  それでも彼女の力になりたいと、混じりけのない気持ちで思うから。 「今日、四季宮さんと逃げようと思う」  
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加