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集合時間の三十分前に、駅に着いた。
これからのことを考えながらぼんやりと虚空を眺めていると、向こうの方から駆けてくる人影が見えた。
こんなにもたくさんの人間が行き来している雑踏の中で、彼女の姿だけはすぐに見つけることができるのだから、不思議なものだ。
息を弾ませて、四季宮さんは僕の前で止まった。
「ごめんね、待たせちゃって!」
「い、いえ。まだ集合時間の三十分前ですし。それより……大丈夫ですか?」
「ぜーんぜん大丈夫じゃない!」
言葉とは裏腹に、四季宮さんの顔は晴れやかだった。
冬の間静かに息をひそめていた植物たちが、春、待ちきれなかったみたいに一斉に芽吹いたような、薄桃色の笑顔。
「でも、いいの。真崎君からメッセ来た時からドキドキが止まらなくて、もういてもたってもいられなかったんだ。早く君に会いたくて……仕方がなかった」
四季宮さんは、全身で喜びを表現していた。
一挙手一投足に、幸せがあふれているみたいだった。
まぶしすぎる笑顔を直視できなくて、僕は視線を外しながら言う。
「そ、それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
僕は頭の中のプランを見直しつつ、駅の改札口へと歩を進めた。
背後から四季宮さんの楽しそうな声がする。
「もしかして、エスコートしてくれるの? 嬉しいなー、嬉しいなー」
「あ、改めて言わないでください……恥ずかしいです……」
「えー、いいじゃんいいじゃん! 真崎君と遊ぶときは、いつも私が引っ張りまわしてばっかりだったから、こういうの新鮮で嬉しいだもん」
言われてみれば、その通りだった。
彼女と一緒に遊ぶ際に、僕が先導するのは初めてのことだ。
どこへ行くときも、どんなところへ向かうときも、二人で移動するとき、僕はいつも彼女の背中を追っていた。
だけど今日は……今日だけは、僕が彼女をリードしなくちゃいけないんだ。
「四季宮さん」
「ん? なあに?」
はたと思い出し、立ち止まる。
後に続く言葉を口にするかどうかは、悩むところだった。
彼女にとっては、ある種呪いの言葉のようでもあって、素直に喜んでもらえないかもしれない。皮肉のように聞こえてしまうかもしれない。
だけど……そんなことを気にする方が、きっと野暮だ。
「改めて、お誕生日おめでとうございます」
だって本来、誕生日は祝われるべきものなんだから。
僕が言うと、四季宮さんは一瞬目を大きく見開いた。
そしてゆっくりと目じりを下げて、口角を上げて、
「うん、ありがと、真崎君」
そう静かに答えた四季宮さんの左腕で、銀色のブレスレットがきらりと光った。
※
僕たちは、地元でもなく、帝桜ホテルの近くでもなく、まったく縁もゆかりもない、それでも人はたくさんいる都心部まで、一時間ほどかけて電車で移動した。
道中、四季宮さんはよく喋った。
僕たちが交わした会話は、とりとめのない話ばかりだった。
もうすぐ公開される映画の話。
最近行った、ケーキの美味しいカフェの話。
クリスマスムードとお正月の準備が入り混じっているこの時期は、スーパーがごちゃごちゃしていて面白いという話。
今年はこんなに寒いのに全然雪が降らないから、なんだか損した気分になる、という話。
他愛なくて、中身がなくて、だけどとても、居心地がよかった。
結婚の話は出なかった。どうやら彼女はスマホの電源を切っているようで、電話がかかってきて水を差されるということもなかった。
電車を降りて、おなかが空いたという四季宮さんを連れて、事前に調べておいた小洒落たイタリアンで夕飯を取った。
正直なところ、僕はその後のことを考えてひどく緊張していて、味なんてろくに分からなかったのだけど、四季宮さんは美味しい美味しいと終始口にしていたから、それだけで良かったと思える。
夕飯を終えて、クリスマス仕様のイルミネーションが施された駅前をのんびりと歩く。
時刻は午後十時過ぎ。
四季宮さんがホテルに戻るなら、そろそろ電車に乗らなくてはならない時間帯だ。
ちかちかとカラフルに明滅するクリスマスツリーを眺めながら、僕は口の中が乾くのを感じた。唾液はたくさん出るけれど、口の中は一向に潤わない。そのくせ、唾液を飲み込む音だけは嫌に大きく耳に響く。
隣で一緒にツリーを眺めていた四季宮さんが、ちょいちょいと僕のコートの袖を引っ張った。
視線を下ろすと同時に、彼女は言う。
「それで、この後はどこに連れてってくれるの?」
「……っ」
「私まだ……遊び足りないよ?」
四季宮さんは、僕の返事を待っていた。
それは、この後帰らないという、彼女の意思表示でもあった。
下調べは済んでいる。
覚悟だって決めたはずだ。
僕はこぶしを握り込み、意を決して、声を絞り出した。
「き……今日はどこかに、泊まっていきませんか?」
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