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四季宮茜という人物について、少し考えてみようと思う。
日向高校三年二組、出席番号十四番。
明るくて活発、歯並びが良くて、笑顔が綺麗。
代々医者の家系で、かなりのお嬢様なはずなのだけど、それを鼻にかけることのないさっぱりとした性格。だけど性格の下地には、どこか上品な雰囲気が漂っている。
クラスにはいくつかの仲良しグループがあるけれど、どれにも属さず、渡り鳥のように色んなグループに顔を出し、そしてその全てで愛される。
彼女の発言には誰もが耳を傾けて、たまにちょっと変わった言動にツッコみが入りつつも、いつの間にかクラスの中心には四季宮さんがいる。
そういう人。
そういう女性。
いわばアイドル的な存在と言っても良いだろう。
「あーかーねーちゃんっ! 放課後だよ! 遊びに行こー! 自由が私たちを呼んでるぜー!」
ホームルームが終わるや否や、八さんが四季宮さんに飛びついた。
「わぁっ! もー、織江ちゃん。急に抱きつかないでってば」
「けちけちしなさんなって、減るもんじゃないんだから」
「あー、その口癖。ぜったい私うつっちゃったと思う」
彼女たちの会話につられるように、クラスの人気者たちが続々と周囲に集まり始める。放課後の予定について花を咲かせたりして、四季宮さんを中心に教室が華やかに色づいていく。
その様子を、ずいぶんと風通しがよくなった教室の隅から僕は眺めていた。
そうだ。ここはついでに、僕、藤堂真崎についても考えてみよう。
日向高校三年二組、出席番号二十一番。
目立った特技もなく、声は小さく早口で、何を喋ってるか分からない。てか何で敬語なの? タメだよね? とか言われがち。
友達もおらず、休み時間は本を読むか寝るかの二択。クラスの片隅でひっそりと息をしている、観葉植物とどっこいどっこいの存在感。それが僕だ。
同じ学年、同じクラスに属しているにも関わらず、全く異なる世界に住んでいるようなもので、僕と彼女の間に接点は皆無だ。
「でねでねっ! 駅前にできた新しいクレープ屋さんがものすっごく美味しいらしんだよー! ね、ね、一緒に行こうよ茜ちゃーん!」
どうやら八さんは、四季宮さんをクレープ屋に連れて行きたいようだ。
僕との約束より、そっちを優先してもらった方がみんなにとって幸せだろう。
……よし、帰ろう。
あの輪の中に入る勇気は元より、あの輪の中から抜け出してきた四季宮さんに話しかけられる勇気もないわけだし。
長い長い思考の末、僕はそう結論を出した。
いつも通りにさっさと荷物をまとめ、教室を後にする。
大丈夫です、四季宮さん。
あなたのことは何も喋りませんし、今日の出来事は全て僕の胸の内にしまっておきます。キスの件は……なんていうかその……いい思い出として、墓場まで持っていこうと思います。
心の中で四季宮さんに色々と言い訳をしながら、階段を下りる。
授業が終わったばかりで、まだ人もまばらだ。
そのまま下駄箱へ向かおうとする僕の足を、
「まーさーきーくーんっ!」
よく通る声が引き留めた。
ぎょっとしながらも、頭のどこかで「相変わらず綺麗な声だな……」と考えている自分がいた。僕は彼女の声が好きだった。
「逃ーがすかー!」
嫌な予感がして振り向くと、四季宮さんが今まさに階段を踏み切ってジャンプしたところだった。
ち、ちょっと!
昼間に階段から落ちてケガしかけたの忘れたんですか!
声には出さずにツッコみつつ、階段から飛び出した四季宮さんの姿を目で追いかける。
長い黒髪がぱっと広がり、カーディガンが風をうけて大きくなびく。着地のタイミングで足を伸ばした瞬間、勢いよくスカートがまくれ上がった。
「よーし、捕まえた! 待っててって言ったのに、素知らぬ顔でそそくさーって帰っちゃうなんて、ひどいよ真崎君!」
そして重力に引き付けられて、スカートはまた、彼女の下半身を覆う。
「私まだ帰る準備終わってないんだから、ここで待ってること! いい? 絶対だよ? 次いなくなったら、真崎君の家まで押しかけるからね? 住所知らないけど……って、どうしたの?」
顔真っ赤だよ? と覗き込まれ、僕はわたわたと視線を逸らす。
「そ……その……階段飛び下りるのはやめたほうがいいんじゃないかなって思います……」
「あ、心配してくれてるの? ありがと。でも、華麗に決まってたでしょ? そりゃ、お昼は滑って転んじゃったけどさー」
「そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「し……」
「し?」
「下着見えるので……」
なんとかそれだけ早口で絞り出すと、四季宮さんは目線を自分の下半身にやり、階段を見やり、そしてまた僕に視線を戻した。
「見たんだ」
「……見てないです」
「本当に見てない人は、何が? って聞くんだよ……って、この会話さっきもしたね」
「すみません、見えました……」
不可抗力だとは思うけれど、見えてしまったのは間違いない。
ストッキング越しでも、色とか柄とか……なんとなく分かってしまうものなんだな……。
「ま、いいよいいよー。減るもんじゃないし」
「いいんですか?」
「……いや、減る減らないの問題じゃないかも? 華の女子高生的に軽々しく下着を見せてしまうのはNG……? うーん、どう思う?」
ぼ、僕に聞かれてもなあ……。
昼休みにあった時から薄々思ってたんだけど、四季宮さん、割と勢いで話すところがある気がする。
口癖といい、勢いといい、もしかしたら八さんの影響を受けてるのかもしれない。
「まあじゃあ、階段ジャンプは今後控えるとして。……真崎君」
ずいっと顔が寄ってきたので、僕は同じ距離だけ、顔を後ろにそらした。
「もう逃げちゃダメだからね?」
「……クレープはいいんですか?」
「先に約束してたのは真崎君の方だもん。当然、クレープ屋さんは断りました」
そう言って、両手でばってんを作る四季宮さん。
「でも、八さんたちに悪いですし……」
教室の和気あいあいとした光景が脳裏をよぎる。
僕が四季宮さんの予定を独占してしまうのは、やっぱり申し訳ない。
モヤモヤと考えをめぐらす僕に、四季宮さんは「何か勘違いしてるみたいだけどね、真崎君」と腰に手を当てた。
「私が。君と。話をしたいんだよ?」
「僕、と……」
「そ、君と」
一語一語、丁寧に言葉を区切って発した言葉は、妙にすんなりと僕の胸の奥に届いた。
言い訳する気も、反論する気も、驚くほどにあっけなく、僕の中から消えていく。
「だ、か、ら。私の予定を真崎君が気にする必要なんて、ないんだよ? おっけー?」
「……はい」
つられるように、気づけば僕は首を縦に振っていた。
圧があったわけではない。
だけど彼女の言葉には、不思議な力があるようで、僕はいともあっさりと彼女の申し出を受け入れていた。
「よし、言質げっとー。じゃぁ五分くらい待っててねー」
そうして教室に走り去って行った四季宮さんを、僕は脱力して見送った。
ここで約束を破って帰ったとしても、明日また同じ約束を取り付けられそうだと、今のやり取りだけで十二分に理解できた。
壁に背を預け、おとなしく彼女を待つことにする。
僕にしては珍しく、ずいぶんと騒々しい一日だ。
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