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当日
「一つ、大事なことを君に伝えておきたいんだ」
クリスマスパーティーのあの夜、銀山さんは最後にそう切り出した。
「彼女の病について、担当医として僕の見解を述べさせてもらおう」
銀山さんが担当医であることは薄々察していた。
婚約者であり、担当医。ずいぶんと四季宮さんと接する機会が多かったのに……病気の名前は、知らないんだな。
「彼女は自遊病って呼んでましたよ」
「自遊病……自遊……自由、か。なるほど、なかなか皮肉が聞いているね」
皮肉。確かに僕も最初はそう思った。
だけど今にして思えば……あれは彼女の希望だったのではないかと感じる。
「では便宜上、僕も自遊病と呼ばせてもらおう。共通認識性を高めるのは大切なことだからね」
「何か知ってるんですか?」
銀山さんはかぶりを振る。
「いや、何も知らない。あんな病気は見たことも聞いたこともないよ。だけど、公にしてはいけないとも思う。寝ているうちに勝手に死んでしまう病気だなんて……いかにもメディアが喜びそうな精神病じゃないか」
ただ、と続ける。
「一つ、気にかかっていることがある。もしかしたら君なら、この情報をうまく扱えるかもしれない」
「気にかかること……?」
「ああ、よく聞いてくれ。実は――」
※
はっと目が覚める。
あわてて横を見ると、四季宮さんがうとうとと舟をこいでいるところだった。
「し、四季宮さん。起きてください……」
「んんっ……ねてないよ?」
そんな子供みたいな言い訳……。
とはいえ、僕も意識が飛びかけていたので、人のことは言えない。
今日の僕たちはホテルを出て、どこに行くでもなくショッピングモールをぶらぶらと散策し、何を買うでもなくウィンドウショッピングに興じていた。
そして夕方ごろになり、急激に疲れが押し寄せてきたため、引き込まれるように、ソファーに二人、腰かけていたのだった。
足早に目の前を通り過ぎる人並みを眺めていると、なんだか眠くなってきて、僕たちはどちらともなく寝てしまっていたようだった。
「大丈夫ですか、四季宮さん。疲れてますか?」
「ううん、もう大丈夫。昨日は真崎君のお陰で、よく眠れたし。むしろ、真崎君の方が眠そうだよ?」
「枕が合わなかったみたいで……。でも、今ちょっと寝られたのですっきりしました」
「ふふ。そっか、ならよかった。こんな風にうたた寝してるときって、変な夢を見たりするでしょ? かえって寝る前より疲れちゃったりすることもあるから、ちょっと心配で」
「あはは、確かにありますね。僕もついさっき――」
はたと、そこで言葉を止める。
「……どうかしたの、真崎君?」
「いえ……」
数十秒か、あるいは数分か。
さっき意識が飛んでいる間に脳裏によみがえったのは、銀山さんとの会話だった。
あの時は、銀山さんの意図を計りかねていた。
いったいこの人は何を言っているんだと、訝しんでいた。
けれどここにきて僕はようやく、あの人の言いたかったことが分かった気がした。
稲妻のような直観が、一瞬にして脳裏を駆け抜けた――というほど、鮮烈なひらめきではない。
ただ、これまで四季宮さんと共に過ごした時間の積み重ねが、少しずつ真実に近づいていって、昨日今日と彼女と接したことで、ようやくそれが閾値を超えた。
そんな緩やかな気付きだった。
昨晩おぼえた違和感の正体も、もしかしたら……。
もし僕の予想が正しければ、彼女を救う糸口がつかめるかもしれない。
期せずして手に入れた活路の一端を見失わないうちにと、僕は慌ててスマホの通話ボタンを押し、立ち上がろうとした。
「四季宮さん、少しここで待っていてもらっても――」
ふと、肩に重みを感じて、目線を横に向ける。
四季宮さんの頭が、僕の方に乗っていた。
浮かした腰を戻して、通話ボタンを切る。
「ど、どうしたんですか? 急に」
「んー?」
角度的に、彼女の顔は見えなかった。ゆったりとした髪の毛が目元を隠していて、ただ彼女のつむぐ言葉だけが、雑音をかき分けて僕の耳に届く。
「幸せだなあ、と思って」
四季宮さんの指が、僕の手に絡む。
「なんだかここに座ってると、私たちだけが世界の流れに取り残されたみたいに感じるね」
彼女はとつとつと言葉をこぼした。
周りの人たちはせかせかと足早に歩いて行って、私たちには目もくれない。
あくびで潤んだ目で見ると、人影が帯を引いて右へ左へ駆け抜けていって。
そんな中で私と真崎君は、のんびり会話を交わしたり、たまに居眠りしそうになりながら、互いに起こし合ったりして。
なんだかこの一角だけが、別世界みたいに切り取られたような、二人だけの空間が形作られているような……そんな気がするんだ。
「ずーっと、このままだったらいいのにね」
隔絶された世界で二人、いつまでもこうしていられればいい。
僕だって同じことを思う。
なにも憂うることなく、周囲の変化から、時間の経過から取り残されたまま、ただ安寧とした時をゆったりと過ごすことができたら、どれだけいいかと思う。
だけど――
「うん。現実はそんなに甘くないよね」
「四季宮さん……」
肩から重みがはずれ、四季宮さんは顔を起こした。そして笑って言う。
「ごめんね、変なこと言って。ちょっと寝ぼけてたのかも」
何か気の利いた言葉をかけたいと思ったけれど、いくら脳を振り絞ってもろくな言葉が浮かんでこなくて、自分の不甲斐なさに下唇を噛んだ。
そうこうしているうちに、スマホが震えた。着信の合図だ。
「電話、鳴ってるよ?」
「……少し、ここで待っててもらってもいいですか?」
「うん、りょーかい。急がなくていいからね?」
「寝たら、ダメですよ?」
「だいじょーぶ、ちゃんと起きてるよ」
右手をひらひらと振って、四季宮さんは少し眠そうに、だけど笑顔で僕を見送った。
僕は四季宮さんに会話が聞こえないくらいの位置で、柱に背中を預けて、スマホを耳元に寄せた。
通話口から聞こえてきたのは、突き抜けるくらい明るい声だった。
僕は答え合わせをするために、彼女に問いかける。
「織江さん。突然すみません。一つだけ、教えてもらいたいことがあるんです」
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