当日

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『人の傷痕からは色々なことが読み取れる。いつ頃できた傷なのか、何でついた傷なのか、そして――誰につけられた傷なのか』  銀山さんはあの日、僕にそう語った。 『彼女の身体にはいくつも傷痕があった。手首と足首の傷は間違いなく手錠によってできたものだろう。だけど、その他の傷痕。あれは、だ』 『どういうことですか……?』 『後は自分で考えるといい。全てを僕から話してしまったら、語る相手が変わるだけになってしまうからね。それでは意味がない』 「なあ四季宮さん! それは誰かから付けられた傷を隠すための、なんだろう!」  四季宮さんの家に遊びに行った日、彼女のお母さんが手に巻いていた包帯。  クリスマスパーティーの夜も、まだ巻かれていた包帯。  あれは、四季宮さんに暴行を加えた時にできた傷だったのかもしれない。  だとすれば、四季宮さんのお母さんが口走った「自業自得」と言う言葉にも、説明がつく気がする。  真相は分からない。  だけど、四季宮さんの自遊病が架空の病気であるという証拠は、他にもある。 『だから教えられないってばー。茜ちゃんにかたーくかたーく口止めされてるんだから』 『そこをなんとかお願いします……っ』 『むむー、藤堂君ってば、結構頑固だね? こんなに粘られるとは思ってなかったぞよ?』 『普段ならこんなにしつこくお願いはしません。しつこくするのは……こわい、ですから』 『じゃあ、どうして?』 『……四季宮さんの力になりたいから』 『そのために、私の知ってる茜ちゃんの秘密が知りたいと』 『はい』  電話口の向こうで、織江さんが浅く息を吐いた。 『分かった。君のこと、信じるよ。と言っても……私もなんで口止めされてるのか、分からないような内容なんだけどねえ』 『どういうことですか?』 『んーとねえ』  一拍置いて、彼女は答えた。 『茜ちゃん、お家が結構厳しいらしくて、息が詰まるって言ってたんだよね。そのせいでちょっと睡眠不足なんだーって。だから――』 『うちでよく、よ』 「いろんな人に嘘をついて! そこまでして隠したいものだったのかよ!」  周囲が騒がしくなってきた。  誰かがスマホを向けている気配もする。  動画を撮影しているのかもしれない。  知ったことじゃなかった。  僕は叫び続ける。 「だったらなんで僕に色んなヒントを与えたんだよ! 修学旅行先で手錠の付け方を見せて、一緒に夜を過ごそうとしたんだよ!」  あの日、もし僕が四季宮さんの部屋で夜を明かしたら、彼女が自遊病を発症しないことを、知れていたかもしれない。  もっと早く、彼女のために何かしてあげられたかもしれない。 「昨日だってそうだ! どんな不思議な現象にもきっと必ず理由があるって君は言ったけど! それは君の自遊病にも当てはまるんじゃないのか!」  よく考えれば、彼女の発言は、そっくりそのまま自遊病にも当てはまるものだった。  もし僕があの時、四季宮さんの言葉の真意を掴めていれば、今よりも早く、真実にたどり着けたかもしれない。 「なあ四季宮さん! 君は、本当は! 僕に気づいて欲しかったんじゃないのか! 生きたいと思ってるんじゃないのかよ!」  四季宮さんに、僕の声は届いているだろうか。  彼女は聞いてくれているだろうか。 「だったらあんな中途半端なやり方じゃなくて! ちゃんと助けを求めてくれよ! 僕はたしかに情けない! 頼りないのも分かってる! それでも、僕は君の力になりたいんだ!!」  確認する術は僕にはない。  だから。  ただ、叫び続ける。 「なあ、頼むよ! 死なないでくれよ! 残された僕の気持ちを考えたことがあるのかよ! 四季宮さんがいないことで僕がどれだけ悲しむか考えたことがあるのかよ! 君がいない明日を想像しただけで! 僕がどれだけ胸が苦しくなるか分かってんのかよ!」  いや……これは詭弁だ。  彼女がもし生きていたとしても、銀山さんと結婚することを想像するだけで、僕は同じくらい胸がかきむしられるように辛い。  これは僕の本心ではない。  これではきっと、彼女の心には届かない。 「なあ頼む! 頼むよ……!」  この期に及んで、まだ自分の本音を語れない自分に辟易(へきえき)とした。  普段声を出し慣れていないからか、かすれて段々と声量が落ちてきた自分に嫌気がさした。 「分かった……言うよ。君に死なれたくないんだよ、君に行って欲しくないんだよ……っ! だって僕は、君の、ことが……」  最後の言葉は、かすれて声にすらならなかった。  肩で息をしながら、目をつぶる。  周囲のざわめきが、耳に飛び込んでくる。 「なにあれ?」「きもいねー」「警察に誰か連絡した?」「青春ってやつかなー」  違う、聞きたい声はこれじゃない。 「ねえ早く向こういこ」「動画取ったわあ。どっかにアップしよ」  違う、聞きたい声はこれじゃないんだ。 「てか、誰に語りかけてたんだろうねー」「さあ、妄想じゃね?」  違うんだ。聞きたい声はこれじゃ―― 「惜しい、あとちょっとだったのに」  弾かれたように目をあげる。  誰もが遠巻きに見つめる中、ただ一人、僕の前に立ち、柔らかく微笑みながら、僕を見上げていた。 「しきみや、さ……」  のどに引っ掛かりを覚えて、せき込んだ。  どうやら叫んだ影響が、まだ喉に残っているらしかった。 「もー、馬鹿だなあ。こんなになるまで、無理しちゃって」  言葉に反して、四季宮さんの口調はとても優しかった。  彼女はそっと手を差し出した。その手を取ると、四季宮さんはぐいっと引っ張って走り出す。 「ちょ、どこに……」 「逃げるよ、真崎君! さっき警察の人がこっちに来るのが見えたから!」  人混みをかき分けながら、僕たちは手をつないで走り出した。  取り囲んでいたやじ馬たちは、腫れ物にでも触るみたいに僕たちを避けてくれたから、するすると間をすり抜けることができた。  僕の手を取って走る四季宮さんの表情は見えなかったけれど、だけど背中からは生き生きとした活力が伝わってきた気がして。  僕はそっと彼女の手を握りなおした。
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