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「ファミレスのレジ横で売ってる玩具って、なんでちょっと欲しくなるんだと思う?」  四季宮さんが僕を連れて訪れたのは、学校から徒歩十分くらいのところにあるファミレスだった。  学校帰りにファミレスに寄るなんてイベントは片手で数えるくらいしか経験したことのないので、なんだか落ち着かない。  そわそわする気持ちを誤魔化すように飲み物に口を付けているせいか、さっきからウーロン茶の減りがやたらと早かった。 「……欲しくなりますか?」 「え、嘘、私だけ!?」 「わ、分かんないですけど……」 「びっくりするくらいカラフルなガムとか、親の仇みたいにタンバリンを打ち鳴らすサルとか、欲しくなるんだけどなー。ならない?」 「……僕はなりませんね」 「そっかー、織江ちゃんも微妙な顔してたしなー。私の趣味がおかしいのかな?」 「どうでしょう……」 「むー。ま、いいか。それじゃあ、それはそれで置いておくとして――」  唇を尖らせたまま、右腕のカーディガンの袖をぺろんとめくる。 「、どう思った?」 「……話題の転換が急すぎませんか?」 「ごめんごめん。いきなり本題から入るより、楽しい話題から入った方が取っつきやすいかなーと思って」  楽しい話題……だったかな?  色々と疑問符は浮かぶけど、一応僕に気を使ってくれてのことだったらしい。  僕は改めて彼女の手首に視線をやる。  さっきはやや遠目に、一目見ただけだったから分からなかった傷痕も、近くでじっくりと見ると、また印象が変わってくる。  幾筋もの赤い痕は、手首をぐるりと一周していた。  そしてその内のいくつかは、かさぶたになったり、赤く腫れてしまったりしている。  これは―― 「これはね、手錠の痕なんだ」  そう言って四季宮さんは、左手のカーディガンもめくる。  右手と同じく、赤い痕がついていた。 「手首だけじゃないよ。同じような痕が、足首にもついてるの」 「どうして……?」  の後に、いくつもの言葉をくっつけて僕は呟く。  こんなの……普通じゃない。 「理由は簡単。私が『』だからだよ」  そう言って四季宮さんは説明を始めた。  曰く。  彼女は寝ている間だけ、自分を傷つけてしまうらしい。  手首を切ろうとしたり。  窓から飛び出そうとしたり。  時にはロープを首に巻こうとしたり。  下手をすれば死んでしまうような行動を繰り返す、夢遊病。  だから四季宮さんは、自分で自分を殺さないように、寝ている間は手足に手錠をかけているらしい。 「変わった病気でしょ? 高校に入学してから発症して、すぐにお医者さんに診てもらったんだけど『こんな奇病は初めて見た』って言われてね。お手上げなんだー」  たしかに自傷癖や夢遊病は聞いたことがあるが、複合的に発症しているという話は聞いたことがない。 「だから病名もついてなくてね、私はこれを便宜上『自遊病(じゆうびょう)』って呼んでるの」 「じゆうびょう、ですか?」  随分と明るいイメージの名前だ。単純に、自傷癖の「自」と夢遊病の「遊」を一文字ずつとって、併せただけなのだろうけれど。  じゆう。  自由。  自由病、だなんて。  毎晩手錠で繋がれている彼女の話とは、対極にあるような名前じゃないか。 「いい名前でしょ? ほら、名は体を表すっていうじゃない? だったらせめて、名前だけでも明るくしようと思って」  そう、笑って言った。  そんな彼女の気持ちを、僕は理解できなかった。  四季宮さんの話が本当ならば、彼女は毎晩、死と隣り合わせで寝ていることになる。  寝ている間に死んでしまっているかもしれない。  それももしかしたら、とんでもなく凄惨な死を迎えているかもしれない。  それを止めるために、彼女は自分を手錠で束縛し、だけどきっとその状態でも、自分を傷つけようと暴れ続けるから。  手首に手錠が擦れ、食い込み、時に傷つけて、白い柔肌に生々しい痕を残す。  辛くはないのだろうか。   息苦しくはないのだろうか。  嫌になったりは、しないのだろうか。  そして何より――なぜそんな病を抱えていながら、いつも笑顔で、明るく生きていられるのだろうか。 「……引いた?」  様々な疑問を抱えて黙り込んでしまっていた僕は、四季宮さんの問いに慌てて首を横に振った。  実のところ――彼女の自遊病自体に、そこまで驚きはしなかった。  きっとそれは僕が、四季宮さん以上に特殊な体験をしてきているからだと思う。 「いえ。大変そうだなとは、思いましたけど」 「それだけ?」 「す、すみません気の利いた言葉思いつかなくて……」  僕が謝ると、四季宮さんは「ああ、違う違う」と笑顔で手を振った。 「やっぱり、君に話してよかったなって思っただけ」  僕に話してよかった、か……。  彼女の言葉に、ふと疑問がわく。  そういえば四季宮さんは、どうしてこの話を僕にしてくれたのだろうか?   口止めをするだけなら、詳しい事情の説明はいらない気がするけれど。 「それでね、真崎君に一つお願いがあるの」 「分かってます。もちろん誰にも話したりしません」 「あ、そっか。それも含めると二つになっちゃうんだけど」  ……ん?  僕にかん口令を敷くよりも、更に重要なことがあるみたいな口ぶりに、内心首を傾げた。 「そうだね、勝手なお願いだけど、他の人には話さないで欲しいかな。このことを知ってるのは、両親と、かかりつけのお医者さん一家、あとは一部の学校の先生くらいだから」 「友達に隠してるのは……引かれるから、ですか?」 「うん。手首だけじゃなくて、私の身体には、あちこち傷痕がついてるから」 「手錠で縛ってるのに?」 「お家で居眠りしちゃった時とかに、ちょっとね。はっと目が覚めたら椅子の上に乗ってて、びっくりして転がり落ちちゃうこととかもあるんだ」 「なるほど……」  それは……大変だな。 「傷痕も結構生々しいし、他人が見て気分のいいものじゃないと思うんだ。それにほら……こんな病気にかかってること自体、ちょっと気持ち悪いでしょ?」  どうだろう。こんなことで、八さんをはじめとした彼女の友人たちは、四季宮さんから距離を取るのだろうか?   そもそもろくに友達がいない僕には、さっぱり分からない問題だ。  ただ、知られてしまったが最後、普通の高校生活は望めないだろうということは分かる。 「事情は分かりました。この話は他言しないので、それだけは安心してください」 「ありがと。とっても助かるよ」 「それで、もう一つは?」  僕が聞くと、四季宮さんは両手を合わせて楽しそうに微笑んだ。  どうやら、こっちのお願いが本題のようだ。 「そうそう! それでね、私って色々行動が制限されてるでしょ? 傷痕を隠すために、カーディガンは絶対着ないといけないし、体育だってできないし、球技大会なんてずーっと応援席にいたし……」  だからね、と四季宮さん。 「私と一緒に、いっぱい遊んで欲しいの!」  ……「だから」の接続詞と、そのセリフはどう繋がるんだ?  彼女の言っている意味がよく分からなくて、僕はオウムみたいに言葉だけを真似して返す。 「いっぱいあそんでほしいの」 「うん。ダメ、かな?」 「すみません、ダメとか以前に、意味が良く分からなくて……」  困惑する僕に、「えーっとね」と四季宮さんは人差し指をふりふり、説明を続ける。 「だからね。私が、この体の傷のせいで楽しめなかったいろーんな遊びを、一緒にやって欲しいんだよ!」  そこまで聞いて、僕はようやく理解する。  恐らく四季宮さんは自遊病を発症してから、肌を晒す遊びを禁じてきたのだろう。  だから、唯一事情を知ることになった僕に付き合って欲しい、と。 「あ。もちろん、真崎君の受験勉強に差しさわりのない範囲でいいよ。私のわがままに付き合わせて、真崎君の勉強がおろそかになっちゃったら申し訳ないから」 「別にそれは……気にしなくて大丈夫ですけど」  自分で言うのもなんだが、成績はそこそこ良い方だ。  志望大学のボーダーラインは既にクリアしているし、背伸びをする予定もない。 「ほんと? なら良かった! 私も真崎君と同じだから、たっくさん一緒に遊べるね!」 「はあ……」  気の抜けた返事をしてしまったのは、勉強のことはさておき、彼女のお願いの中身が気になっていたからだった。 「……あの、さっきから言ってる遊びって……例えば、どんなやつですか?」 「んー。とりあえず、プールには行きたいなー」 「ぷーる!?」  素っ頓狂な声が飛び出てしまい、あわてて目を伏せる。  プールに入るためには水着を着なくてはならない。水着の布面積は小さい。だから体中に傷がある彼女は水着を着ることが出来ないので、プールにも行けない。  筋は通っている。  しかしそれはつまり、僕が、彼女と、二人でプールに行くということであって……。 「あれ? プール、嫌い?」 「嫌いとかじゃなくて、その、なんていうか……異性と行った経験がないっていうか……」 「なんだそんなことかー。私も男の子と二人でプールに行くのは初めてだし、お揃いだね」  そういう問題じゃなくてですね……。  相変わらず四季宮さんを直視できないまま、僕はぶつぶつと言い訳を探す。 「いやでも泳ぐのもそんなに得意じゃないっていうか、あんまり体も鍛えてないし貧相っていうか見せられたもんじゃないっていうか恥ずかしいっていうか、そもそももうすぐ十月ですしプールのシーズンじゃないような気もしますし――」 「ふーん」  からん、と。  四季宮さんが飲んでいたアイスコーヒーの中で氷が鳴った。 「真崎君は嫌なんだ。そっかそっか、そうなんだー」 「い、嫌って訳じゃないんですけど……」  しどろもどろに、出来かけの、不出来な言葉を吐き出す僕に、四季宮さんは机越しにズイと近づいて――囁いた。 「ちゅーした癖に」 「――っ!」  ジトっと半目で唇を尖らせ、四季宮さんは言う。   「言いふらしちゃうよ? 真崎君が、私にキスしましたって」 「そ、それは困ります……! や、やめ……やめてください……!」 「階段から落ちた時にぶつかって、たまたまキスしちゃいましたー、なんて話……みんな信じてくれるかな?」 「あの、お願いですからそれだけは……」  四季宮さんはニヨッと笑った。 「じゃぁ一緒に遊んでくれる?」 「分かりました、遊びます、遊びますから、言いふらすのだけは勘弁してください……」  あのことが知れ渡ったら、僕は学校で好奇と殺気の入り混じった視線を全身に浴びることになる。  それに比べたらまだ、彼女と一緒に遊ぶことくらいは、どうってことがないように思えた。 「えへへ、やった。約束だからね? 破ったら、言いふらしちゃうからね?」 「破りませんよ……」  いつの間にか、とんでもないことになってしまった。  彼女いない歴=年齢を地でいき、そして恐らくこれからもその等式が崩れることがないであろう僕には、正直言って対処に困る案件だ。  けれど―― 「さーて、最初は何に付き合ってもらおっかなー。ふふ……楽しみだなー、わくわくするなー」  目の前でにこにこと笑う四季宮さんを見ていると、そんな不安はなりを潜めて、途端に何も言えなくなってしまうのだから……まったく困ったものだった。
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