87日前

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   話もまとまったということで、今日はお開きにすることになった。  やたらと上機嫌な四季宮さんは、鼻歌なんて歌いながら、スキップ交じりに横を歩いている。  遊び相手が見つかったことが、そんなに嬉しいのだろうか。 「雨、降ってたんだね」  周囲を見渡すと、地面がしっとりと濡れていた。  ファミレスにいる間に、通り雨が降ったらしい。  話すのにいっぱいいっぱいで、気付かなかったな……。 「真崎君は、雨って嫌い?」 「どちらかと言えば、嫌い……ですね」 「そっかー。私はね、実はちょっと好きなんだー。みんなに『変だね』って言われるんだけど、でも毎日晴れだったら、ちょっとつまんなくない?」 「……そうですか?」 「なんていうのかなー、ハンバーグは好きだけど、でも毎日食べたいとは思わないでしょ? それと同じで、たまに違う天気が挟まった方が、いいと思うんだけどなー。それにさ――」  道中、四季宮さんとの会話は途切れることがなかった。  もちろんもっぱら喋っているのは四季宮さんで、僕は時々相槌(あいづち)を挟むだけなのだけれど。  それでも、四季宮さんが喋り、僕がごくたまに返答をし、それで会話が回っている状態というのは……端的に言って心地よかった。  四季宮さんのきれいな声音で紡がれる取り留めのない話を、そんな穏やかな気持ちで聞いていると。  ふと四季宮さんが不安そうに僕の顔を覗き込んだ。 「……もしかして私、喋りすぎちゃった?」 「え?」  そして申し訳なさそうに言う。 「ごめんね。真崎どんな話でも反応してくれるから、嬉しくってつい……。もし何か話したいことあったら、遠慮なく言ってね?」  予想外の角度から心配され、僕は慌てて言葉を連ねた。 「い、いえ。それはほんとに大丈夫です気にしないでください」 「そうなの?」 「は、はい。僕、話題振るの苦手ですし四季宮さんが話してくれた方が嬉しいっていうか……まあその、反応するのもへたくそなので折角話してもらってるのにろくな返しもできなくて本当に申し訳ないんですけど……」  しまった、と思った時にはもう遅かった。  四季宮さんは眉を八の字にして、少し困ったように言った。 「相変わらず早口だねー、真崎君は」 「す、すみません……」    信号が赤になったので、僕と四季宮さんは足を止めた。  すぐ近くの電柱を、スパナを持った作業員が登っていく。  四季宮さんの顔が直視できなくて、僕はまるでそっちに興味があるみたいに、視線をそらした。 「んー、真崎君はさ」  四季宮さんは言った。 「句読点を意識して喋ると、いいんじゃないかな?」 「句読点、ですか……?」 「そ、句読点」  思わず僕は、視線を戻した。  聞き間違いでなければ、文章の途中についている、点と丸のことを言っているのだろう。句読点を意識して喋る、というのは、いったいどういうことなんだ……?  少し気になったので、四季宮さんに続けて問いかけようとした――。  その時だった。  。  刹那、現実の風景はかき消える。  視界から彩度は失われ、セピア色の、年月が経ったわら半紙の上に映されたような光景が動き始めた。  四季宮さんは僕の隣に立っていて、依然楽しそうに何かを話していた。  平和な光景。  穏やかな光景。  しかし次の瞬間、視界から四季宮さんの姿が消える。  僕の目線は少し下に向いて、地面に倒れた四季宮さんの姿を映す。  時間差で流れ出した赤い血は、彼女の形のいい頭から出ているようだった。  すぐそばにはスパナが転がっていて、作業員の人たちがあわてて彼女の周りに集まり出した。  四季宮さんはピクリとも動かない。  さっきまであんなに元気に話し続けていた彼女が、嘘みたいに。 「――真崎君?」  四季宮さんの声がして、僕は現実に引き戻された。 「どうしたの? なんだか、怖い顔してるよ?」  目の前にいる四季宮さんは、健康だった。  倒れていない。頭から血なんて流れていない。 「しき……みやさん」 「ん? なあに?」  今日、二度目。  できればもう、干渉したくない。  あの日以来、僕はずっとそうやって生きてきた。  触れず、触らず。  仮に干渉する時は、人に見えないように、分からないように。  だけど……目の前で四季宮さんが傷つくところは見たくない。  からからに乾いた口で、僕は言う。 「ちょっと移動しませんか?」 「どうして? もうすぐ信号青になるよ?」 「そ、それはそうなんですけど……」  残された時間はあと何秒だろうか?  与えられた猶予はたったの六十秒しかない。  いったい今、その内の何秒を無駄にした? 「あ、危ないので……」  四季宮さんはきょとんと小首をかしげた。 「なにが?」 「それは――」  ぱーっ!    遠くでクラクションが鳴った。  僕たちとは何一つ関係のない音。  決して互いに、干渉し合うことのない現象。  だけど僕は、まるでそれが合図だったかのように。  とっさに四季宮さんの肩を掴んで、引き寄せた。  ほっそりとした四季宮さんの身体は、拍子抜けするくらい軽くて、あっさりと僕の胸の中に飛び込んでくる。  長い黒髪は、彼女の移動した軌跡を描くように、宙にふわりと残った。  その軌跡を縦に横切るように。  銀色の物体が落下していく。  鋭くて固い衝突音と、「危ない!」という警告の声が響いたのは、同時だった。  からからという乾いた音につられ、視線を落とす。  地面に転がった大きなスパナはやがて静かに動きを止めて、僕はほっと胸をなでおろした。  今になって、心臓が痛いくらいに脈打っていたことに気付く。  整備員の人があわてて下りてくるのが見える。「大丈夫ですか、けがはありませんか!?」そんな声をどこか遠くのことのように聞きながら、僕は四季宮さんの肩から手を外し、距離を取った。  取った、つもりだった。 「ねえ、真崎君。変なこと聞くんだけど」  僕が後ろに下がった分だけ、四季宮さんも前に進んでいた。  彼女の顔は僕の鼻先にあって、澄んだ瞳が僕を捉えて離さない。  全ての音が遠い。  車が風を切って走り抜ける音も。  低く唸りを上げるビル風の音も。  まるで窓ガラス越しに聞いてるみたいに、くぐもっているのに。 「もしかして、?」  ただ僕の耳元で彼女がささやいた声だけが、やけに近く、現実的だった。
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