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86日前
頭はそんなに悪くないと思う。
実際、成績はいい方だ。
別段自慢できるようなことじゃない。
単に友達がいないと時間を持て余すので、宿題や予習をしているうちに成績が伸びただけの話だ。
それにこんなのは、表面的な賢さの指標でしかない。
人間関係を円滑に進める能力であったりとか、日常生活で問題を発見して自分で解決策を練る能力だとか、そういう実用的な頭の良さとは直結しないのだから。
ただ、頭を使うのは嫌いじゃないし、苦手でもない。
「さ、着いたよ真崎君。ここが私の家」
「……なるほど」
つまり現在、なぜか四季宮さんの家に招かれて、玄関に足を踏み入れようとしている状況をうまく処理できていないのは、僕の頭の良し悪しとは一切関係のない話しなのだ。
以上証明終了。
QED。
……いや、分かってる。
こんな余談に意味はない。なんなら筋だって通っていない。
だけど女の子の家に遊びに来た経験なんてない僕にとって、今の状況は刺激的過ぎるので、現実逃避の一つもしたくなるのだった。
「さ、どうぞ。上がって上がってー」
四季宮さんの家は大変立派だった。それもそのはず。彼女の家は医者の家系で、代を経るにつれてどんどんと裕福になっていっているらしかった。
庶民代表のような僕としては、足を踏み入れるだけでも恐れ多い。
「どうしたのー? 早く入りなよー」
四季宮さんの声に背中を押されるように、そろりそろりとスリッパをはく。
ふわふわのスリッパからは床の感触が伝わってこなくて、雲を踏んでいるみたいで落ち着かない。
四季宮さんの後をおっかなびっくりついていきながら、さっきから微塵も働いていない頭に喝をいれて、必死で今の状況を整理する。
そもそもの発端は、昨日の夜、彼女から届いたメッセージだった。
『みーつっけた! これ真崎君のアカウントだよね?』
それが彼女の初めてのメッセだった。
どうやら四季宮さんは、クラスのメッセージグループから、わざわざ僕のアカウントを見つけてきたらしい。
だけど残念ながら昨日の僕はひどく疲弊していて、早々に泥のように眠っていたので、彼女のメッセージに気付くことができなかった。
結果、
『あ、あれ? 間違ってる? おーい、真崎くーん!』
『ち、違う人だったらどうしよう……』
『いやでも、藤堂真崎って書いてあるし、絶対合ってるよね? もーしもーし!』
と、彼女をやきもきさせることとなった。
翌日、いつもより少し早く目が覚めた僕はあわてて返事を打った。
『すみません、寝てました』
本当のことなのに、どこか嘘っぽく思えるのはなんでなのだろう……?
首をかしげながら返信をすると、すぐに既読がついて、ほどなくして返事が届いた。
『おはよー。今日さ、うちに来てくれる?』
いくつか会話をすっ飛ばしたんじゃないかってくらいの話題の変わりように、僕はしばし画面とにらめっこ。
そして十分くらい頭を悩ませて、震える指で返事をした。
『なんでですか?』
『いいからいいから。十二時に駅前集合ね。あ、何か予定あった?』
『予定はないですけど……』
『じゃあ、決定ね! 待ってるから!』
待ってるから、と言われてしまうと、行かなければ申し訳ない気持ちになる。
僕はそそくさと着替えたのち、最寄りの駅に向かい……そのまま彼女の家まで連れてこられた、というわけだ。
……うん。
やっぱりいくら考えても、家に呼ばれた理由が分からない。
昨日のことについて色々話したいなら、ファミレスやカフェで十分じゃないか。
「あら、お友達? 珍しいわね、茜が家に連れてくるなんて」
物思いにふけっていた僕は、おっとり上品とした声音で現実に引き戻された。
「うん、同級生の藤堂真崎君。真崎君、こちら私のお母さん」
「初めまして、茜がいつもお世話になっております」
「い、いえ……こちらこそ。あ、初めまして……藤堂真崎です……。あのこれ、お口に合うか分かりませんが……」
たどたどしく挨拶をして、紙袋を渡す。
待ち合わせ場所に行く前に買った菓子折りだった。
「わ! それお土産だったんだー。真崎君、律儀だねー」
「まあ、ご丁寧にすみません。茜、お友達が来るなら、事前に言ってちょうだい?」
「大丈夫だよ、部屋で遊ぶだけだから。行こ、真崎君?」
「そういうわけには……ってこら、茜! ……もう、すみません、落ち着きのない子で」
小走りに部屋に駆けて行った四季宮さんをとがめるように、お母さんが頭を下げた。
「こ、こちらこそ突然お邪魔してすみません……」
「いえいえ。来ていただけるのは、とっても嬉しいんです。あの子、家にお友達を呼ぶことがあまりなかったので」
そうなのか。
この大きさだったら、たくさん友達を呼んでも余裕で入りそうなものだけど。
「それじゃあ、ごゆっくり……いたっ」
がさりと紙袋が落ちる音がした。
見るとお母さんは、包帯の巻かれた手を抑えて顔をしかめていた。
「あの……大丈夫ですか?」
「え、ええ、すみません。少し傷が痛んで……」
右手の包帯は手首まで巻かれていた。
骨折ではなさそうだけど……火傷、とかだろうか?
「袋、持ちますよ」
「あら、優しいんですね。でも大丈夫、ありがとうございます」
やんわりとそう言って、四季宮さんのお母さんは控えめに笑った。
美人な人だなと思った。
目じりと口元が、四季宮さんとそっくりだ。
お母さん似、なんだな。
「……? 私の顔に、何か……?」
思わずじっと見つめてしまっていたらしい。
僕は慌てて視線を外し、
「こ、これはですね! その、やましい気持ちがあったわけではなくてですね、その……」
「ま、さ、き、くん?」
どう言い訳をしたものかとあわてていると、後ろから声が聞こえた。
いつの間に戻ってきていたのか、四季宮さんが両手を腰に当てて立っていた。
「私の部屋の場所、分かんないでしょ? 早くおいでよ」
「す、すみません。すぐ行きます」
待たされてご立腹のようだった。
形のいい唇をつんと尖らせて、不機嫌さを主張している。
慌てて彼女の後を追いかけていると、四季宮さんが背中越しに僕に問うた。
「真崎君って、年上が好きなの?」
「へ?」
「だって……」
そして、ちらっとこちらを見る。
やっぱりまだ不服そうに、唇を尖らせていた。
「お母さんに鼻の下伸ばしてたから」
「の、伸ばしてません!」
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