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『一巻のおわり』
「あなた、私を捕まえてご覧なさい」
そう言って彼女が走り出した。私は彼女を追うのだが、捕まえようとすると彼女の足が早くなりまた逃げられる。そうしているうちに本当に走って逃げられた。
そういえば昔、友達四人と万引きをしたことがあった。あの時は足の遅い自分だけ転んで捕まり、友達はみんな走って逃げていった。それ以来友達でもなくなった。
さらに、お金だって、
「お前の財布は居心地が悪いんだよ」と言って、お金に足が生えて、私の財布からどんどん逃げ出していく。
所詮私は何もかも逃げられる運命なのだ。
だめだ、逃がしてばかりではいけない。なんとしても捕まえなければ。逃げられてばかりでは私は一巻の終わりだ。
ある時、私はおしっこがしたくてトイレに入った。どこからともなく「お前におしっこはさせないよ」と声が聞こえた。
私は周りを見渡したが私以外にトイレに入っているものはない。確かに声は聞こえたのだが、まぁ、気のせいかと思い、もう一度おしっこに意識を集中しようとする。するとなんと、目の前から便器がなくなっていた。そしてまたしても声が聞こえた。
「お前におしっこはさせないよ」その声の方を向くと、あろうことか、ニョキっと足の生えた便器がそこに立っていた。
私が恐る恐る一歩便器に近づくと一歩便器が逃げる。もう一歩近づくと、もう一歩便器が逃げる。
「彼女や友人やお金だけじゃなく、便器にまで逃げられバカにされるとは、私はとことん逃げられる男なのだろう。だが便器にだけはバカにされたくない!」
私は全速力で便器を追いかけた。こうなったら絶対にあの便器でおしっこをしてやる、そして人生の反転攻勢を始めるのだ。
だが、便器も逃げ足が速い、どんどん私との距離が広がっていく。さらに悔しいことにその便器は途中で立ち止まると公衆便所になって子供のおしっこを受けてやり、私が追いつきそうになるとまた走った。また間が開くと公衆便所に戻っておしっこを受ける。いつまで立っても私の番が回ってこない。
「待ってくれ、おしっこをおしっこをさせてくれ!」
なんとしても捕まえなければ、このままでは私はおしっこを漏らしてしまいそうだ。
追いかけても追いかけても便器は走っていく。
だが、便器が溜まったおしっこを下水道に流している時に私はついにこの不良便器に追いついた。
「捕まえた!」
逃げられないように便器の首根っこを押さえる。そして近くの木にこの便器をがんじがらめに縛り付けして脱走できないようにする。ここから私の人生の半転攻勢が始まるのだ。
「お前はもう一巻の終わりだ。大人しくおしっこをさせろ」
「バカ、おしっこをしてみろ、一巻の終わりはお前の方だ」と便器が言った。
「何を負け惜しみを、いいから俺のおしっこを受けてみろ!」と言って便器めがけておしっこをする。
「やめろ、やめろ、お前、一巻の終わりだぞ!」
「なんとでも言え、はぁ、なんという爽快感だろう」
それでもまだおしっこを受ける便器は「やめろ、やめろ!」と叫ぶ。
だが、一度出始めたおしっこはもう止めることはできない。どだい便器のくせに俺様に楯突こうなんて100年早いんだよ。
スッキリすると、目が覚めた。
ハッとして、布団を剥ぐ。
一巻の終わりだった。
『一巻の終わり』でした。
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