四枚目

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四枚目

『手を差しのべてくださったのは、Nでした。 その時の私にとって、どんなに心強かったことでしょう。 腕時計の男に対して、「それは大変な目にあってしまった。しかし、ちゃんと管理していなかった自分も悪い、大事な物はきちんと保管しなければ、そういうことも起こり得ることを想像しなければだめだ」と諭したのです。 Nにとっては、何気ない一言だったでしょう。盗んだ方が悪いのは当然です。 それでも、「盗まれるような高価な物を保持しているならば、それはしっかりと身に付けておく必要がある、このご時世そうでなければ何が起こってもおかしくない、ということを念頭に入れなければならないのも事実だ」そう言い聞かせていました。 Nは私の存在を知りませんし、起こってしまったことについて、話しているだけに違いありません。 もちろん、これは私の我が儘な見解にすぎません。間違った考えであるのは当然のことです。 しかし、Nの言葉に救われた思いがしたのも事実なのです。 私は本当に申し訳ない思いでいっぱいになりました。後悔もし、反省もしました。 正直に申し出よう、そう決心をした矢先でした。Sが突然、「君がしたことを俺は見てしまった。自分では言いづらいだろうから、代わりに俺が伝え返してやる」と言ってきたのです。 本音を言えばホッとした思いがありました。決心したとは言え、どう言えばいいだろうか、どうすれば許されるだろうか、そんなことばかり考えていました。 何も音沙汰がない日が過ぎていく中、不安だけが募っていき、Sにどうなったか聞いてみました。 すると、「まだ話していない、そのうち返す」と投げやりな言葉を残していきました。 私がふとネットを見ていると、私が盗んでSに渡した腕時計がオークションに出され、売られてしまった事実を知りました。もうどうすることも出来ません。 私がそのことについてSに問い詰めると、「お前と俺は共犯だ。お前が盗まなければ俺がオークションに出すこともなかった」と言うのです。 「私は返すつもりだった」そう述べました。 「だったらお前がやったこと、全部あいつにぶちまけてやる」 Sにそう言われて、私は急に怖くなりました。本当は心のどこかでバレたくない、何事もなかったように過ごしたい、そんな思いがあったからでしょう。 それ以来、私はSに逆らうことは出来なくなりました』
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