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この国のほぼ中心に位置する地。連なる山々、広がる田園、流れる清流。かつては天下を分ける戦いがあったその地を驀進する存在がいた。住民が退去した街を押し潰す巨体。山のように大きな体に蛇を連想させる二本の首。全身を覆う鱗の一枚一枚に人の顔があり不気味な叫びを上げている。よく見れば鱗のなかの人は色んな時代の人間だ。現代の人から戦国時代の人、中にはもっと昔の人間がいて苦しそうに叫んでいた。 「うてぇぇぇぇぇぇい!」 包囲網として配備された退魔師。号令と共に退魔師が放った光の玉が巨体に命中し鱗が剥がれ落ちる。落ちた鱗は砕け散り同化していた魂が解放され消滅していく。 天に瞬く星ほどの数の魂が双頭の怪物から抜けたものの、何百年も魂を喰らい続けてきた歪な神にとっては針に刺された程度で弱った様子さえ見えない。それどころか腹を空かせた獣のように鋭い目で周囲を一望した。 「ひけぇぇ!ひけぇぇ!¨奪魂の咆哮¨が来るぞ!結界班急げぇ!」 鎌首を持ち上げる僅かな動作を確認した司令官が叫ぶ。結界が張られた直後、轟く咆哮。鼓膜を突き破る咆哮に退魔師たちが耳を塞ぐ。咆哮の有効範囲内から漂う魂たちが集まり、結界の中にいる退魔師も霊力の弱い者から順に魂が抜け双頭の化け物に吸収された。 「くっ……!このままでは――――」 再び、咆哮が轟く。半数以上の結界がガラスのように砕け魂を奪われる退魔師たち。三百名を超える退魔師の部隊も既に半壊しこのままでは全滅してしまう。想定以上の敵の脅威、予想以上の被害に指揮官は撤退を決意した。けれど、その決意は遅すぎた……。無情にも三度目の咆哮をあげようとしている。二度の咆哮で結界は既にボロボロ。新しく張るだけの余力も人間もいない。咆哮と共に残りの結界が壊れると一瞬だけ引っ張られる感覚を覚え絶命した。痛みも恐怖も苦しみも感じることなく、一瞬で……。 退魔師の部隊が全滅するのをモニター越しに視ていた男は溜息をつき落胆した。環境省心霊災害科長官の石動晋輔だ。今回の作戦の最高責任者であり、心霊災害の事件において最高の権限を持っている。 「すまない。やはり咲弥さん、君の力を借りることになりそうだ。」 目の前のソファーに座る女性をみる。申し訳ない気持ちと不甲斐なさで頭が上がらない石動に対し咲弥は穏やかな声で答えた。 「気にしないでください。禍津ノ神を鎮めるのが私たち夫婦の……いえ、水ノ宮と土ノ宮の人間の使命ですから」 咲弥は三日月の髪飾りに触れる。亡くなった夫の形見であると同時に土ノ宮当主の霊力が封じられたものでもある。咲弥は髪飾りに施された封を解く。生前体の弱った夫が蓄えていた霊力に咲弥は夫の面影を見出だし涙ぐむ。もっと夫との思い出に浸りたいところだが、暴食を続ける禍津ノ神は待ってくれない。毅然と顔を上げた咲弥は水色の特徴的な袴の巫女装束を翻し部屋を出ていく。感謝と敬意を込めて深く――深く頭を下げて石動は巫女を見送る。 「一つだけお願いがあります。娘のことよろしくお願いします」 そう言い残し扉が閉められた。咲弥の娘には何度か会ったことがある。ウサギのヘアピンをいつも着けている大人しい子で咲弥以上に才能に愛された子だ。  咲弥の姿はもう見えないけど、長く苦楽を共にしてきた盟友の頼みに石動は力強く頷き応えた。
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