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禍津ノ神と呼ばれた怪物はただひたすらに進んでいく。建物を壊し、車を押し潰し道路を分断する。禍津ノ神の体から溢れる穢れが大地に空気、それに河川を汚染しこの町は死が充満する町へ変わり果てていた。 人間が霊力を介し物体に影響を与えることは不可能だが霊体として存在する彼らは違う。俗に言うポルターガイストだ。それも神の領域となれば移動するだけで災害級の被害をもたらしてしまう。 迅速な避難のお陰で民間人に被害は出ていないが咆哮の度にその地に留まる魂が吸収し、巨大な体を更に巨大化させている。 そして、幾度目かの咆哮が放たれた。それに合わせて別の声が響く。 ~~~~~~♪♪   咆哮を打ち消す圧巻の歌声。吸収されそうになっていた魂が天に召されていく。  自分の糧となるはずだった魂を奪われ禍津ノ神が不快そうに歌声の巫女を睨む。 禍津ノ神の前方、道路の中央に水ノ宮咲弥が立っている。禍津ノ神から溢れる穢れた空気さえものともせず、禍津ノ神を包むような優しい視線を送る姿は夜泣きする赤子をあやす母親のよう。 「もう、暴れなくて良いんですよ?」 咲弥が両手を広げ歩き出した。咲弥の足跡が木の根へと変わり禍津ノ神を縛りつけていく。幾本もの根が禍津ノ神に巻き付き、咲弥の手が禍津ノ神に届くころには完全に禍津ノ神の動きを封じている。 「苦しかったでしょう? 辛かったでしょう? けど、もう大丈夫。ほんの僅かな間だけど、あなた方の痛みは私が引き受けるから。その間だけでも安らかに眠りなさい」 禍津ノ神を縛りつけていた根が大木へと変わり自由な空を堪能するように枝を伸ばした。禍津ノ神の体として囚われていた魂たちは僅かな間だけど得られた安息に喜び、桜の花となり笑う。 『桜謳封神』 最強の霊力を持つ水ノ宮と土ノ宮が霊力を併せ行う神を鎮める秘術。生命を産み落とす水の霊力と生命を育む大地の霊力をもって行う最強の封印術の代償は術者の命と決して安くはないが、その分、効果は絶大で魂を根刮ぎ喰らう悪神を封印することができる。この術なら半世紀は禍津ノ神を眠らせておける……はずだった。 前回の封印が施されたのは二十五年前。咲弥が七歳のとき、咲弥の母が行ったものだ。 もう封印は三十年ももたなくなっている。しかし、これは当然の成り行きだ。この術が開発されたのは七百年よりも前。その間一度たりとて術の改良はなかった。封印が解けるたび魂を喰らい成長する禍津ノ神と七百年変わらない封印術。いつまでも対等であるはずがない。事実、術者である咲弥は桜謳封神の力不足を感じていた。 「ダメ! なんて深い悲しみ……なんて激しい憎悪! だけど、その根底にあるのは…………孤独。なんという負の感情の塊なのでしょう。これが禍津ノ神! このままでは、いずれ鎮められなくなる」 今回の封印が何十年もつか分からない。仮に二十年もったとしてもその次は更に短くなる。そうなれば水ノ宮家は子供を残す前に術を行使する羽目になり、一族は途絶え禍津ノ神を鎮められなくなる。それ以前に禍津ノ神の力が強くなり過ぎていて、封印できるかどうかも疑わしい。  ならば、どうするか咲弥は考えた。退魔師としてどうするべきなのか。水ノ宮家の当主としてどう責任を果たすべきなのか。そして、一児の母として何を残してあげるべきなのか……。 「ごめんなさい。瀬那。これがダメなお母さんがしてあげられる精一杯。だけど、お母さんは信じてるよ。誰よりも才に溢れていて、ひたむきで優しい良い娘で、私と貴仁さんの宝物の瀬那。瀬那ならきっと禍津ノ神でさえ救ってあげられるって――。だから……」 咲弥は髪飾りを握りしめ、願った。目の前の歪な神様にではなく神社に祀られた神様にでもなく、病弱で世間からズレていたけど誰よりも強かった男の人に願った。 「貴仁さん、力を貸して下さい。希望を瀬那に繋げるように!」 封印が終わる直前、咲弥は種を二つ植えた。この種が芽吹けば封印術で咲いた桜よりも、もっともっと綺麗な花が咲くだろう。 咲弥が天を仰ぐと空に伸びた枝が蕾をつける……そして花が咲いた。空を埋め尽くす満開の花。禍津ノ神に吸収されていた何百万、何千万の魂が咲かせた花。 満開の桜を見ていた咲弥は瞼を閉じた。全身から力が抜け倒れる。抗えない眠気、それから少しの肌寒が咲弥を包む。 禍津ノ神が完全に封印されたのを確認して石動晋輔は現場へと到着した。天まで届くほど大きな桜の木は町一つを覆うほど枝を伸ばしピンク色に煌めいている。風が通り枝を揺らす。花は散ることなく、強く咲き誇っていた。 晋輔が到着すると咲弥は木の根元で眠りについていた。苦しまず亡くなったのは彼女の寝顔を見れば一目瞭然だ。まだ体温の残る手を胸の上に重ねる。 「この国を救ってくれてありがとう咲弥さん。約束はこの命に代えて守りますから瀬那ちゃんのこと、任せて下さい。だから――。貴仁と一緒に見守ってやって下さい」 晋輔は咲弥の亡骸の前に立つと部下と共に敬礼した。
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