苦い回想

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苦い回想

   「……吉野、そのため息、いい加減何とかできないか?」  インハイの試合会場に向かう新幹線の中、隣に座る千藤監督に苦笑しつつ話しかけられ、「あっ」と半開きになった口を手の平で塞いだ。 「今更遅いぞ。今ので…そうだな、二十回は軽く越したな」 「すみません」 「別に謝る必要はないが。ま、お前の気持ちもわからなくはないしな」 「――すみません」 「……相当重症だな」  俺の陰気なため息が移ったかのように細く息を吐き出した監督が、ぼそっと零して腕を組み目を閉じる。  俺はまた移りゆく外の景色にぼんやり目を遣りつつ、これから行われるインハイ全国大会の事より西城高校野球部のいる兵庫県西宮市へと、心を飛ばしていた。    今日は八月五日。  剣道のインターハイ全国大会の日程は、六日から八日まで。  場所は広島。山口県との県境近くにある総合体育館で行われ、勝ち続ければ三日間、毎日試合がある。  明日の第一日目は、女子団体予選リーグの後、男子個人戦の一、二回戦。  二日目が男子団体予選リーグで、終了後、女子個人戦の一~四回戦と男子個人戦の三、四回戦。  そこまではどうにか把握できるけど、最終日の八日がすごくややこしい。  女子個人戦の準々決勝から始まり、男子個人戦準々決勝、女子団体戦決勝トーナメント一回戦、男子団体戦決勝トーナメント一回戦。  続いて女子団体戦の準々決勝、男子団体戦準々決勝。  そこまでが一応、午前中の予定。  といっても昼の休憩があるわけじゃなく、すぐに女子個人戦準決勝、男子個人戦準決勝、女子団体戦準決勝、男子団体戦準決勝。  最後に、同じ順番で決勝戦となる。  選手の疲労を考慮してのものー団体戦と個人戦、掛け持ちの選手もいるからーだろうけど、この予定表に目を通した最初の感想は、 ( 何だ!? この目まぐるしさは! ) だった。  正直、技術よりも集中力を切らさずにいられるかどうかが勝敗の鍵になると感じた。  俺的にはもっとも嫌な敵だ。  もちろん勝ち上がればの話だけど、念のため試合の流れを見ていた俺は、もう一つの事実に気付いて呆然とした。  そこには、最終日に行われる閉会式の予定時刻が記されていた。  ――午後三時半。  西城高校野球部の初戦と同じ日、恐らく試合の真っ只中。  その事を思い出し、またため息を吐きそうになって、かろうじて口の中でかみ殺した。  北斗達の日程をー組み合わせ抽選会の結果を聞くまで、甲子園での観戦だけを楽しみに稽古に励んできたのに、開会式の後の最終組、第三試合が西城の試合だなんて。  しかも相手は去年の優勝校、私立大学付属明峰高校。  不運としか言いようがない。  いや、きっと県大会で結城キャプテンのくじ運が使い果たされただけ。  プラスとマイナスで五分と五分……だったんだ。  ただ確率から言えば初日に試合が当たる方が圧倒的に低いはずで、その想いが拭いきれず、諦めきれないため息が……ついつい零れてしまうんだ。 「――甲子園、行きたかったな」 「ん?」 「いえ、何でも……」  情報が入ってから何度目か、浮かびそうになる涙を飲み込んで小さく首を振った。  同じ県に加納君がいる限り、北斗達の甲子園連続出場は極めて難しい。他にも強い高校はいくらでもあるし、来年再出場できる可能性なんて微々たるものだ。  だから、みんな夢を見る。 「吉野、酷なようだが今は自分に集中しろ。他の事に気を取られて勝てるほど全国大会は甘くない。……早々に負ければ、八日の試合観戦は可能だろうが」 「そんなの!」  思いもしない事を言われ、思わず声を大きくして――俺を見る監督の瞳の中に同情…とは違う、複雑な想いを見た。 「……あいつら、絶対喜ばない……ですよね」  感情的になった声を打ち消すように、ぼそっと呟いた。 「わかってるなら、いい」 「はい。……すみません」  口を開けば謝ってばかり、後ろ向きに落ち込む俺を一瞥して、それでも大会に向けての心構えをそれとなく促す監督は、普段から自身の感情を露わにする事がほとんどない。  俺達に合わせ時々ふざけたりもするけど、それらは表面上のもので、そんな一面が逆に心の読めない奥深さを強調させる。  だけど信頼を寄せるに十分すぎる人間性なのは、この四ヶ月間でしっかりと伝わった。 「それに、先日の玉竜旗大会で個人戦に出るほとんどの奴に目を付けられ……失言、研究されてるだろうから、チェックは厳しいと覚悟しておけ」 「はい」  頼もしく、大人な監督に全て任せられるのは、安心感を得られるのと共に、精神面にもゆとりができる。最高に恵まれた環境、だと思う。  今回の大会は俺と監督の二人だけ、新幹線での快適な旅。  福岡遠征に比べたら雲泥の差だ。  会場も広島だから距離も前回よりはるかに近い。  ―――広島…か。  わずか十日前、バスで通り過ぎただけだけど、会場になると思うと自然親しみも涌く。  もちろん福岡同様、市内観光ができるわけじゃない。遠征で全国あちこち飛び回る剣士も、結局は体育館や武道場と宿泊先との往復だけで終わるんだろう。  どの県、どの市だろうと関係ない、与えられた会場が自分達の舞台。  あいつらとは違う。  ただひたすら、そこに辿り着く為に戦い続けてきた彼らとは。    監督の他に話相手のいない俺は、どうしても野球部の事を考えてしまう。  北斗は結局、最後まで自分の悩みを明かしてくれなかった。  俺の剣道を見たから、もういいと言った。  その言葉に嘘はないだろうけど、俺の気持ちはすっきりしない。  加納君にわざわざ会いに行った事にも驚いたけど、この時期、単独行動を許した野球部監督の判断は、もっと理解し難い。  普通ならありえないし、北斗が許可なくそんな勝手な行動を取るとも考えられない。 「中途入部以来、必要以上に周囲に気を配り、自分を抑えている」 とは、北斗をよく知る山崎の弁だ。 だから、監督が北斗の行動を許可したのは、多分その悩みと何らかの関係があるんだ。もちろんいい事じゃない、悪い事で。  それを探りたくて強引に同行してみたものの、理由なんてさっぱり掴めなかったし、話をしようとするとはぐらかされ、心の内を読ませないままあいつは昨日行ってしまった。  北斗にとっての俺って、一体何だろう?  俺の悩みはいつでも上手く聞き出すのに、自分のそれは明かさないなんて、絶対卑怯だ。俺も今度から打ち明けたりするもんか!  今更無理なのに、頼られてないのが悔しくて、そんな事まで考えてしまう。  ただ一つ救いなのは、他の誰にも北斗が悩みを明かしてない事。  それが野球に関するものだったら部員への嫉妬はしなくて済む。  それでも打ち明けて欲しいとは思うけど、俺も剣道に関する悩みなら、よほどの事じゃない限り、北斗より先に剣道部の仲間に相談するだろうから。  けど、もしそれ以外だったら?   プライベートでの悩みを他の誰かに相談された時、俺は平静でいられるだろうか。  ―――北斗の、プライベート。  同居して九ヵ月過ぎたのに、彼は相変わらず俺の部屋に入ろうとしない。  初めは、ふざけているのかと怒った事もあったけど、最近、俺のプライバシーを尊重してるんじゃないかと思い始めている。  他の場所は共有せざるをえない現状で、個人だけの自由な場所っていったら、互いの部屋だけだ。  ……え?   だとしたら、北斗にとっても唯一のプライベートである彼の部屋へ、毎日毎日入り浸ってる俺って……  どうなんだろう?  そこに思い至った瞬間、心臓をぎゅっと鷲掴みされた気がした。  北斗に「一緒の部屋でクーラー入れて寝よ」、と提案してから一ヶ月以上経った。  なんにも言わないから気にしてなかったけど、無理して付き合っていたなら我慢の限界がきていたとしても頷ける。元々、北斗は嫌がってたし。  もしかして、それが悩みの種なのか!?  すごいストレスになってる、とか。だから俺に言わなかった……いや、言わなかったんじゃなくて、言えなかった?  どうしよう、すっごく有り得る。っていうか、それしか考えられない。  そんな簡単な事に、なんで今まで気付かなかったんだ!?  顔からサーッと血の気が引き、最高に座り心地のいい新幹線の背もたれに、力なく身を沈めた。  ……だめだ、益々落ち込みが酷くなる。  明日の試合までに立ち直れるだろうか?  それでなくても……自分が言い出したとはいえ、加納君への嫉妬心を隠すだけで一杯一杯だったのに。  ―――北斗が、加納君の肩を引き寄せ、抱き締めた。  あのシーンが目に焼きついて、頭から離れないんだ。  二人の間には、俺には踏み込めない、強い繋がりがあった。  北斗でさえ知らない事を、俺は直接加納君から聞いてしまった。  俺達の前で、北斗が数年ぶりにピッチャーとして投げた、あの時に―――。  
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