揺れる想い 

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「北斗、…好き」 『――は?』  北斗を好きかと訊いた時の、加納君の素直すぎる表情が心に残っていた。  俺と加納君とは立場も関係も全然違う。  それでも、北斗を好きな気持ちは絶対負けない。  こんなことで対抗心燃やすのってどうかとは思うけど、やっぱり言葉にしないと伝わらない想いは、確かにある。傍にいられない今は、特に。  玉竜旗の時とは違う、たった一人での大会出場と数百㎞の隔たりが無性に心細く、思った以上に俺を不安にしていた。 「……俺、北斗がすごく好きだ」  五日前、俺の仕返しを許してくれた北斗にタオルケットを被せ囁いた言葉。 『――知ってる』  それは、望んだ答えじゃなかったかもしれない。  だけど携帯の向こう側で、北斗が深い笑みを零したのがはっきりと伝わって、それだけでささくれ立っていた心が、穏やかに()いでいくのを感じた。 「……スランプでもいい、甲子園…行きたかった」 『そうだな』 「けど、もしか見に行けても、北斗は……喜ばないよな」 『瑞希が勝つ方が嬉しいし、誇らしい』 「…ん、ありがと。……どこまで行けるかわからないけど、ここで……広島で全力を尽くすよ」 『瑞希が手を抜くなんて、思ってやしない』 「――そう。そんな適当な事、できない。だから、北斗もスランプなんかに負けるな」 『サンキュ。俺も取り合えず全力でプレーする』 「うん、約束な」 『指切りはできないぞ』  クスッと笑ってからかう北斗に、悲壮感や暗さは感じられない。  いつも通り、掴みどころはないけど、前向きな声だ。 「いいよ。それに二回戦は応援に行くし」 『………相手、去年の優勝校だぞ』 「でも、西城は県大会二位だろ?」 『…ああ。それが?』 「ありえない事が起こるから、甲子園は面白いんだよ」 『かもしれないが、…スランプの相手にプレッシャーかけてどうするんだ』  姿が見えない代わりに、一言も聞き漏らさないよう全神経を集中させ、様子を伺う。  少しでも、北斗の力になりたくて――。 「大丈夫。…北斗は、大丈夫だよ」 『その根拠は?』 「俺がついてるから、って言いたいけど、野球に関してはさっぱりだから、加納君が見守ってるから、で…どう?」  自虐行為とわかっていても、スランプだと聞いた今、北斗を立ち直らせるのが最優先だ。 『――それは非常に心強い』  電話越し、愛想ではない柔らかな声が返ってきた。  公園で加納君と話した事は、まだ北斗に言ってない。  暇がなかったのも事実だけど、当然ながらそのほとんどが北斗絡みの内容で、本人には何となく言い難かったせいもあった。  それが今、役に立つなら――。 「忘れるなよ。加納君は絶対、お前の試合見るから」 『わかった』 「それと、スランプの北斗に一つ朗報」 『何? 瑞希が勝ったっていう一報で十分だけど』 「全国だよ、やってみないとわからないよ。もっと確実に自信になる事。加納君が、北斗の投手としての強みは、抜群のコントロールと安定感だって」 『……いきなりだな。そんな話、いつしたんだ?』 「この間、北斗の投球見てた時」 『そりゃどうも』 「フィールダーの強みも知ってるけど、内緒だって、教えてくれなかった」 『……何? お前ら二人して、そんな事話してたのか?』 「え、まあそう。だってあんな長い時間、黙って突っ立ってるわけないだろ」 『それはそうかもしれないが、…あーっ!』  耳元でいきなり叫ばれ、思わず携帯を離すと、今度は不機嫌そうな声が聞こえた。 『お前ら、いつまで経っても「止め」って言わなかったの、話に夢中で俺の存在忘れてたんじゃないだろうな』 「そんなことない! 真剣に見てたよ、だからこその感想じゃないか」 『――まあいい、今はそういう事にしといてやる。その代わり、帰ったら覚悟しとけ』 「ホントだって」 『どうだか』 「何、その疑いの台詞は」 『瑞希の言う事は当てにならない』 「心外だなあ。俺にそんな事言った奴、今まで一人もいないよ」  口先だけと思われるのは俺の矜持が許さない。  だから北斗のその言葉にも過敏に反応して口を尖らせた。すると、 『なら俺が最初の人間だ。大体何だ? あの玉竜旗大会の約束は。「最終日に残るのは、五百校以上の内のベスト16に入る事だよ」、とか言ってたよな、出発前』 「あっ!」  覚えのある台詞が俺の口調を真似て耳に届いた瞬間、頬が赤く染まった。「…もしかして……覚えてた?」 『当たり前だ。だから俺も五割以上打つ、って言ったんだぞ。それがどうだ、最終日残ったの六十四校だぞ、六十四校! サバを読むにも程度ってもんがあるだろ』  「あー、あれは…ちょっとした勘違い? っていうかー……」 『バカヤロ! 勘違いで四倍の高校が残ってたまるか』  しどろもどろに言い訳すると、頭ごなしに怒鳴りつけられた。  何か……怒り方が、梛君に似てきてないか?   先日の言い合いでかなり感化されてしまったみたいだ。けど、非は当然俺にあるから、ここは素直に謝るしかない。 「……ごめん。だって、初めての大会参加だったんだよ、誤解もあるって。それに最終日があんなにハードだなんて知らなかったんだ」 『ったく。…まあ俺も五割割ったから約束は守れなかったけどな。瑞希はベスト8だもんな』 「あれは先輩の力だ。俺、最終日の第一、第二試合で力尽きたんだ。だから今度は絶対、自分の力でベスト8に入りたい」 『そうか』 「そしたら甲子園……行けない」  これは本当だ。  最終日に残るのは九十六人の内の、たった八人。準々決勝から上の試合が行われる。 残りたい。 だけど――その時点で、北斗の試合を甲子園で見る、というもう一つの夢は、完全に断たれてしまう。 『――いいさ、それで』  耳に馴染んだ声が、何でもない事のように俺の望みを後押しした。『なら俺も前年度優勝校相手に、五割超え狙うかな』 「え、相手の投手、門倉さんって、雑誌にも載るくらい有名な人だよ?」 『いきなりそんな投手出さないだろ。しかも初戦、相手は県大会二位だ。エースピッチャーは温存、それが定石』 「そっか、そうだよな」 『だから、門倉さんを引っ張り出せたら上出来だな』 「ふーん、…なんか……変な気分」 『は? 何が?』 「雑誌の表紙を飾ってた人の名前を、北斗が普通に口にするのが。何ていうか、すごい違和感?」 『瑞希も同じだろ』 「え?」 『加納と親しく話してたんだろ、俺を忘れて』  ……根に持ってる。誤解だって言ってるのに。 「忘れてないって」 『加納は来年、どこかの野球雑誌で必ず表紙を飾る』  きっぱりと言い切った。  マウンドに戻って来る事を誰よりも強く願っているのは、間違いなくこいつだ。 『そんな奴と話してたんだから、瑞希も一緒だ。特別ってわけじゃない』 「うん、そうだよな。でも加納君は同級生だし、話し易かったから。なら、門倉さんって人も、話したら普通の人なのかな?」 『さあな。けどせっかくの機会だし、一度はバッターボックスに立ってみたいかな』 「……見たい」 『ん?』 「ほんとに、すごく見たいよ北斗」 『空振り三振を、か?』 「バカッ!!」  ふざける北斗を怒鳴りつけて、すぐに思い直した。「けど、それでもいい。二人の対決が生で見たい。こんな面白い勝負が今年だけなんて、もったいないよ」 『上には上がいるってお前もよく知ってるだろ。ま、確かにこんなチャンス二度とないだろうし、門倉さんは技巧派のピッチャーだから加納とはタイプが全く違う。引っ張り出せたら楽しみではあるな。自分の打撃が通用するかどうか、見極めるのも悪くない』 「―――打って、北斗」 『……簡単に言ってくれる』 「簡単じゃないだろ? 北斗が今までどれだけバット振ってきたか、俺が一番よく知ってる。そんな努力は無駄じゃないけど、結果がついてきたらなお嬉しいよ」 『相手は、俺以上に努力してるかもしれない』 「それでも、俺は北斗を信じてる」  ―――北斗の、手の平を。 『サンキュ、瑞希。けど、瑞希だけじゃない。俺も……お前の試合見に行くつもりで、すごく楽しみにしてたんだからな』 「ん、わかってる」 『俺の事は心配するな。こっちは一人じゃない、頼もしい奴らがいる』 「うん。……俺が心配しても、仕方ないもんな」 『そんな事ないけど、俺達の為って思うなら、一試合でも多く勝て。瑞希の剣が冴えると野球部の士気も上がるのは、玉竜旗で実証済みだからな』 「それがホントなら嬉しいけど」 『事実だ。現に県大会で気持ちが先走ってた渡辺に「瑞希が見てるぞ」って囁いただけで、いつものプレー取り戻したぞ。あいつ、心底瑞希を崇拝してるからな』 「え、そんな事」  あったか? と訊きかけて、渡辺が悔しそうにバットをホームベースに叩きつけたシーンが脳裏に浮かんだ。  そういえばそのすぐ後だった。ネクストサークルに向かう北斗がすれ違いざま渡辺の頭を小突いて、何か耳打ちしたんだ。  あの時、何て言ったんだろうって気になってたんだ。でもまさかこんな形で聞けるなんて思わなかった。それに、そんな事を囁いていたとも。 『県大会見に行ったのがいい刺激になったな。特にあの決勝戦前の瑞希、渡辺じゃないけど本当に凄かった。実は、俺も最初見た時、鳥肌立った』 「え、北斗からは見えなかったんじゃなかったっけ?」 『会場ではな』  そこで、重大な人物を思い出した。 「あっ! 仁科さんのDVD!!」 『お、瑞希にしては鋭い』 「気付くに決まってるだろ。…まだ見てないけど」  福岡出発の数日前、北斗経由で渡された県大会のビデオ。  お礼の電話は入れたものの、あまりの慌しさにダイニングルームのテレビボードの棚に置きっぱなしで、すっかり忘れてた。 『だと思った。俺は帰宅する度に見てたぞ。義父さん、撮影も編集もプロ級。お袋には申し訳ないけど、仕事入っててよかったよ』 「………」  たとえ相手が身内でも、それはあまりにも失礼な、と言いたい。けど、 『おかげでいいもん見れた』  嬉しそうな北斗の声に、嫌な予感が膨らんだ。 「なんかやだ。俺、田舎に送るのやめようかな」 『馬鹿言え、おじいさんやおばあさんに見せなくてどうする』 「だって、…足、出してたし?」  北斗に叫ばれて初めて気付いた。  だからといって別に気にしたりはしないけど、送りたくない言い訳にしてみたら、先にDVDを見た北斗が照れたように呟いた。 『あれは……あー、まあ一瞬だったし、俺も振り返って見る分には少しも気にならなかった。それより藤木さんの竹刀を弾き返した瑞希の迫力に目がいって……結局、全部見終わっても試合ではあのシーンが一番好きだったな』 「――『試合では』? …それ以外のも撮ってあった、とか?」 『当然。ムーンストーンに口付けたところは、目一杯ズームで、はっきり』 「げっ!! ほんとに?」 『ほんとほんと。お袋や義父さんも瑞希が何を拾ったか気付いたらしい。けど、宝石(いし)が入れ替わってたとこまでは、さすがに見えなかったろうな』 「当たり前だろ! そんなのまでわかってたまるか!」  あれ、でも……ならあの二人は、俺が自分のじゃなく北斗の誕生石—ぺリドットに口付けたと思ってるわけか?   それはそれで、なんかすごく恥ずかしいような……。 『県大会の中では、あれが一番気に入った』 「……『気に入った』って、試合よりも?」 『映像ではな』 「あのなぁ……」 『あの辺りは…そうだな、もう五回以上見た』 「――そんな暇、よくあったな」 『俺の栄養剤だから』 「まさか……そこにまで持ち込んでやしないだろうな」 『それはない。あれは俺だけの宝物』 「なんか、『宝物』が増殖してないか?」 『ハハ、そうだな。吉野の家に来てから大切な物がどんどん増えてる。キーホルダーにマグカップ、DVDとスポーツタオル…か。けど――』 「けど?」 『一番の宝物は、瑞希と一緒にいる時間、だな』 「ほんとに?」 『ああ。だから、出て行くなんて考えてもないし、ストレスなんかこれっぽっちもない。瑞希がそれを感じさせないように接してくれるから、リラックスしまくってる』 「北斗……」 『だから、安心して明日からの自分の試合に全力を尽くせ。その為に頑張ってきたんだろ?』 「……そうだけど、頑張ったのは北斗のプレーを…甲子園の球場で見れると……思ってたから……」  ふっと、声が詰まって……再び、視界が滲んだ。 「また……もう、やんなるなあ、何でか、その事考えたら……」  ぐすぐす鼻を啜る俺の声、北斗には筒抜けだよな。 『――悪い瑞希。相手が門倉さんとこ以外なら、俺も少しは初戦突破、自信があった。けど瑞希にいい加減な事言いたくないから、一回戦勝つとは約束できない』  泣き言ばかり口にしている自覚のある俺は、北斗を「冷たい」なんて思わない。  適当な事を言って宥められるより、辛くても、北斗の偽りのない真摯な言葉が、俺をいつも熱くさせ、もっと強く惹きつけられる。 「ん、わかってる。いいんだ、ちょっと……北斗の声聞いてたら、また甘えたくなっただけ」 『……紛らわしい甘え方するなって言ったろ』  声が、僅かに笑みを含み、俺の鼓膜を甘くくすぐる。  このままずっと聴いていたい。穏やかで落ち着いた、少し低めの声音。  俺の栄養剤は間違いなく、この北斗の声と、掛けてくれる言葉だった。
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